咸宜園
Kangien



 
国指定史跡 (昭和7年7月23日指定)
大分県日田市淡窓2-2-13
築年代/江戸時代(天明元年/1782)
用途区分/私塾
指定範囲/居宅・書斎
公開状況/公開
居宅(秋風庵)・書斎(遠思楼)
咸宜園は三浦梅園、帆足万里と共に「豊後の三賢」と称された広瀬淡窓が生家近くの日田町南郊に開設した私塾跡である。淡窓は天領日田で掛屋を務め九州15藩の御用達をも担った豪商・博多屋の出身で、その惣領として生まれながら生来病弱であったが故に家督を継ぐことなく学問の世界へと進んだ。漢詩人、儒学者としても高名を馳せたが、私塾を開き6千人にも及ぶ門弟を育て上げた功績は計り知れない。現在、史跡内には淡窓の本宅であった秋風庵、書斎・遠思楼が往時の建物として残されている。





 

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