鳥田家住宅




 
無指定・公開 
長崎県島原市下の丁1971-2
建築年代/慶応3年(1867)
島原という町は近年においても雲仙普賢岳の噴火にみられるように、常に火山の脅威に曝されてきた歴史を持つ。江戸初期の「島原大変」の際には、城下が土石流の下敷きとなり壊滅的な打撃を受けたらしい。このことは人々の記憶から消え去った今においても、町自体は覚えているようだ。市内各所に見られる島原湧水はこの自然災害の賜物らしい。
当家は島原城下の下級武士たちが集住した一画に所在するが、前面道路の中心を流れる生活用水と道路両脇の火山岩を積み上げた石垣が往時の風情を未だ醸している。
普段そこに生活していない来訪者にとって、この用水と石垣にまさしく「島原」が被ってきた火山災害の歴史を感じとるのである。


松平氏草創期以来の古い家柄。
三河吉田から丹波福知山と転じ、寛文9年(1669)に島原入り。
地方代官や郡方物書を務める。
幕末には御目見独礼格7石2人扶持。材木奉行、宗内方加役、船津往来番等の重職を務めた。

 

一覧のページに戻る