富岩家住宅
Tomiiwa



 
壱岐市指定文化財
長崎県壱岐市勝本町布気触324-1
旧所在地・長崎県壱岐市勝本町新城西触921
建築年代/江戸中期(18世紀)
用途区分/郷士(百姓武家)
公開状況/公開 (壱岐風土記の丘内)

玄界灘に浮かぶ壱岐島の中央部に所在する壱岐風土記の丘に移築復元された建物である。そもそもは壱岐島北端の勝本港から南東の山間に少しばかり入った壱岐商業高校近くに所在していた。壱岐地方の農家の屋敷構は、主屋を中心に隠居棟、牛小屋、納屋などが一直線上に配置されるというものを典型とするが、時の流れと共に島でも次第にその姿は失われつつある。当所では、そうした屋敷構の風景が再現されるが、主屋を除いた附属の建物は全て新築復元である。できれば寄せ集めでも良いから、島内各所から本物を移築復原して欲しかった。住宅は正面に式台玄関を構えることから相応の家格であったと窺え、庄屋役を務め、武士でもあったと地元の方はおっしゃっていた。規模も平均的な民家よりも大きく、造作もしっかりとしたものとなっている。壱岐の民家の外観的な特徴として屋根の傾斜がきつく、棟が高いことが挙げられるが、屋敷林に囲まれる様に建つことからも容易に窺い知れるが、風雨の強い気候風土にありなから何故なのか訝しく思っていたが、屋根材として麦わらを使用していることと関係があるようだ。(壱岐は麦焼酎の産地としても有名である) そのため主屋には妙に貫禄があって、屋敷林に囲まれて密やかな雰囲気に包まれながらも存在感のある屋敷構えは印象的である。


主屋は主人夫婦とその子供が住む建物で、ホンケ、ホンケヤとも呼ばれています。
旧富岩家住宅は、江戸時代中期頃(18世紀)の様式を備えた武家住宅です。間口は7間(13m)、奥行4間(7.6m)、棟高5間(9.4m)となっている。寄棟造の屋根は小麦藁葺で、前面が深く切り込まれた兜屋根となり、庇は桟瓦葺です。内部は左側に土間を配した3室2列の計6室に分かれる喰違六間取で、正面中央の式台構えの玄関、仏の間は他の武家住宅にも見られますが、2階の居室、座敷の造り込みの神棚は当家だけのものです。【現地案内看板より一部改編】

この古民家苑は、壱岐島の農家の標準的な屋敷構えを再現しています。主屋を中心に隠居、納屋、牛屋が建ち、屋敷の後ろには背戸の山と呼ばれる防風林があり、前には前畑と呼ばれる広い畑があります。壱岐島の農家は、壱岐島を治めた平戸藩の農政の影響で、1ヶ所に密集することなく、島中に散在しています。その多くは北西の風を防ぐために南東向きに宅地が造られており、私有を認められていた背戸の山と前畑は、殊の外大切にされました。【現地案内看板より一部改編】


 

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