戸波家住宅



無指定・公開
福岡県朝倉市秋月野鳥532-2

自らを「筑前の小京都」と称する秋月の町は、観光客で賑わう桜の季節を避けさえすれば、静かな落ち着いた佇まいを今に残す良い処である。特に晩秋の少し冷え込むぐらいの季節に、ゆっくりと散策できれば最高である。町の背後に聳える古処山を源とする野鳥川がもたらす清冽な水が町の至るところに廻らされた用水堀に流れ込み、ピンと張り詰めるかのような澄み切った空気が町全体に漲り、体の芯から心地よさを感じることができる。
藩政時代の秋月は福岡藩の支藩黒田家5万石の陣屋町で、今でも町の東南隅には濠や石垣、御門などの陣屋遺構が残されている。その陣屋前の南北に伸びる通りは、嘗て「杉の馬場」と称されたらしいが現在では杉に代わって桜の並木が数百mにも及び、秋月観光の中心地になっている。当家はその「杉の馬場」に面して所在し、路面よりも一段高い屋敷地は前面に石垣を築き、その上に長屋門と練塀を廻らせる典型的な武家住宅となっている。陣屋に程近いこの場所は上級武家屋敷が軒を連ねた一画に当り、当家も知行300石の馬廻格で中老職を務めたこともあるという由緒正しい家柄であった。また明治維新により特権を失った武士階級の叛乱として名高い「秋月の乱」を主導した戸波半九郎定夫の屋敷跡としても著名である。
屋敷内には長屋門の他に主屋と道具蔵が残る。主屋は正面からは落棟形式の直屋に見受けられるが、実は座敷棟を背面に突き出す曲屋となっている。明治維新後に屋敷は戸波家から旧藩主黒田家に譲られ、地元における別宅として利用された経緯もあり、大正年間に大がかりに内部の改築が行われ、旧藩時代の風情はかなり失われている。但し旧藩主の別宅といえども使用される材は粗末なものが多く、決して贅を凝らしたものではなく、武家的な気風を未だ感じさせてくれる建築と評価することも可能かも知れない。一方、道具蔵は秋月の歴史資料や民俗資料の展示場として利用されており、昭和40年の開館以来、秋月の歴史の語り部としての役割を一身に担ってきた自負が観る者にも伝わってくるような展示内容である。
現在、当屋敷は隣接する藩校・稽古館跡に建てられた郷土美術館と併せて「秋月郷土館」の名称で一般に公開される施設となっているが、こちらの美術館も秋月藩主黒田家累代の重宝類が展示され、なかなか見応えのある内容である。財団法人による地方の博物館の経営は厳しいものがあると、ここの事務長さんはこぼしておられたが、所有している武具・甲冑類のレベルは群を抜く高さである。歴史好きならずとも工芸品などの美術に関心がある方にも秋月訪問時には必ず立ち寄られることをお勧めしたい。(2010.12.24記)
    ※残念ながら秋月郷土館は閉館、公有化され、美術館展示品のみが秋月博物館として継承されている。(2021.4.6追記)

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