清水家住宅
Shimizu



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福岡県指定文化財 (平成29年3月17日指定)
北九州市指定史跡 (平成8年3月27日指定)
福岡県北九州市八幡西区石坂1-4-6
建築年代/天保7年(1836)頃
用途区分/農家(組頭)・御茶屋
指定範囲/主屋・蔵
公開状況/公開

長崎街道の宿駅である木屋瀬宿と黒崎宿のちょうど中間あたりに石坂という地名がある。その名から推察されるとおり、それまで比較的平坦であった街道が、ここで急な登り勾配となる。参勤交代の殿様も駕籠を降りて歩かざるを得なかったとの逸話が残る程である。当住宅は、この坂を登りきった台地上に所在する街道沿いの農家建築である。ちょうど行列の一行が一息つくのに格好の場所であったのか、御茶屋として公的に位置付けられることになった。但し、石坂が宿駅として位置付けられた集落ではなかったためか、宿泊施設としての御茶屋ではなく、あくまで御小休所、すなわち休憩施設であったようである。往時には長崎奉行や幕府の巡見使などが立ち寄ったと記録されている。ところで当住宅に対し何ら予備知識を持たずに主屋の外観だけから推察すると、街道に接して建てられ、妻入桟瓦葺の白漆喰大壁に仕上げられた建前から全く町家としか思えない様子であるが、そもそもは香月村の組頭を務めたこともある農家であったというから驚きである。(但し明治年間には醤油の醸造も行っていたとのことである)家の間取りにも農家らしさは微塵も無く、むしろ町家に近いものがある。恐らく台地上の立地であるが故に敷地面積・形状上の制約を受けたことや、農家といえども街道沿いという立地条件を生かして実際の生業は多岐に渡っていたからなのかもしれない。また主屋内においても家の規模の割には上段の間を備えた3間続きの本格的な座敷が設えられるなど驚く程に立派な造作となっている。想像の域を出ないことではあるが九州地方の大名は大藩で格の高い殿様が多かったので、御休憩用の茶屋といえども半端な造作は許されなかったのかもしれない。いずれにせよ御茶屋としての機能・面目を施すために意表を突かれるところが数多い住宅建築である。近年、修復工事が施され、内部も公開されるようになった。ミセの間に差し掛けられた立派過ぎる鴨居や座敷部の天井裏を土壁で覆う手法(防火対策と推察される)など、なかなか面白いものも拝見できる。じっくり見学すると良いだろう。ところで当家の座敷前の小さな庭には樹齢350年と云われる大銀杏が聳え立っている。11月中旬には黄一色に染まり、実に見事な姿を見せてくれる。当家が「銀杏茶屋」とも別称される由縁である。(2010.11記、2011.5改訂)

 

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