籠田家住宅
Komorita



うきは市指定文化財 (平成8年10月2日指定)
福岡県うきは市吉井町若宮113-1 (別称・鏡田屋敷)

建築年代/江戸末期・明治26年増築
用途区分/郡役人官舎→郵便局長
指定範囲/主屋
公開状況/公開
重要伝統的建造物群保存地区に選定される筑後吉井の町は、久留米と日田を結ぶ豊後往還の中途にあって、浮羽郡の中核的な町場として大いに栄えた。現在に至っても白漆喰で塗り籠められた大壁造の重厚感ある妻入商家群が連続して残る様子は、その証左とも云える。20年程以前(1990年頃)に初めてこの地を訪れた時、町の中心部を国道210号線が横断し途切れることなく車が激しく往来し排気ガスで空気が霞む中、大規模な町家群が朧に佇むその姿に「奇跡ではないか」と思ったことをよく覚えている。
しかし数年前から春の季節に雛人形を店先に飾り、「筑後吉井雛祭り」と称するイベントが当り、観光客が大いに増加した頃から、町並の価値は文化財ではなく、観光資源へと大きく舵を切ったように思われる。江戸時代には精蝋・酒造・製油等の産業が町の発展の基礎となったが、観光という大衆迎合的な産業が、この町の行く末をどのように導いてくれるのか少し心配である。
ところで選定地区内の保存民家の多くは街道筋の町場ゆえに町家の体裁を取るものが殆どであるが、当住宅は街道筋から少し脇に逸れた場所に所在しており、主屋が通りに面せず周囲を土蔵や板塀で囲む、いわゆる屋敷型の民家となっている。そもそもは郡役所の官舎として建てられたものらしく、文久3年(1863)の建築とされている。
主屋は建築時期により当初からの建築部分と増築部分に分けられ、江戸末期に官舎として建てられた主屋オモテ側の当初部分は造作も至って質素なものとなっているのに対し、明治26年に増築された主屋ウラ側の座敷部や2階部分などは銘木などを用いた立派な造作となっている。こうした造作の大きな隔たりは、江戸と明治という2つ時代の間に起こった封建制度の崩壊がもたらしたことが背景にあるに違いないが、当住宅に官舎から個人所有物という役割変化がもたらされたことが大いに寄与しているのではないかと個人的には推測している。それにしても当家の座敷は広く、15畳敷きもある。屋敷規模を考慮すると不釣り合いな程の広さである。3間幅もある一枚板の床板もなかなかの贅沢だし、座敷を取り巻く縁側に用いられる桜材の厚板も相当なものである。その時々の当主の家に対する愛着の変遷を増改築という形で辿ることができる面白い民家である。  (2010.12.20記)
 

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