木下家住宅
Kinoshita



八女市指定文化財 (平成6年12月28日指定)
福岡県八女市本町184


福岡県南部に所在する八女市はお茶の産地として全国的に著名なところであるが、品評会でもたびたび全国一に輝くなど、中でも高級茶の生産が盛んである。また仏壇の生産地でもあり、国の伝統工芸品にも選定されている。八女市の中心・福島地区は江戸時代初期に城下町として町の基礎が築かれ、元和の一国一城令により福島城が廃された後も、純然たる商工業の町として着実に発展を遂げた歴史を持つ。背後に山間地を控え、物資の集散地としての役割をうまく利用した産業振興が図られた様である。現在でも八女福島の旧市街地には仏壇屋さんや酒造家が多く見受けられ、何となく町に品良く落ち着いた風情が感じられる。
さて当住宅は、そんな福島町の中でも大型の町屋が多く営まれた南側の往還沿いに所在する。もともとは「堺屋」の屋号で酒造業を営んでおられたらしいが、廃業後久しい現在では、屋敷内に主屋は失われ、離れと2棟の蔵が残されるばかりで、その面影はすっかり失われている。しかしながら離れ建築にも縁起を担ぐさまざまな細工が随所に施されており、直接的ではないが商売を生業としてきた家の歴史を垣間見ることができる。屋敷地のやや奥まった場所に建てられた離れは、明治39年から2年の歳月をかけて建築されたことが棟札から判明している。重層入母屋造桟瓦葺きの平屋建で、外観的に整った姿ではあるものの特に際立つところもない印象の建築に思われるが、実は内部の造作の凝り様には目を見張るものがある。建物の主室となる座敷には、当然のことながら床・違い棚・書院の3点セットが設けられているが、床框や落掛には紫檀、床柱には黒柿等が用いられ、次の間との境の欄間には木目の細かい屋久杉の一枚板が惜しげもなく使われている。現代の腕に覚えがある大工職人たちが羨むような用材である。発見された棟札の大工職の名を私は知らないが、地場産業でもあった仏壇職人が手掛けたのではないかと思われるほどの手の込んだ造作である。
ところで前述の縁起を担ぐ造作についてであるが、座敷の書院上には富士山の意匠を象った明かり窓が設けられていたり、違い棚の棚板端には茄子の彫金細工が貼られている。また各部屋の大きさも「半畳」の半端が必ず出るように設定されており、これも「繁盛」に通じる縁起担ぎとのことである。当住宅は明治という伝統建築が頂点に至った時代に、商人が夢見た家作への憧れを昇華させたような建築である。 (2010.12.6記)

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