鹿毛家住宅
Kage



福岡県指定文化財 (平成元年8月26日指定)
福岡県久留米市草野町草野405-1
建築年代/江戸時代(18世紀末)
用途区分/商家(醤油醸造・櫨蝋製造・質屋)
指定範囲/主屋・表門・蔵・井戸小屋
公開状況/非公開(不定期で公開日あり)
福岡県南部の中心都市・久留米の市街から筑後川に並行する国道210号線を東に進んでいくと右手に耳納連山の山塊が見えてくる。この耳納連山の北麓は早くから拓けた地域であったらしく全国的にも珍しい装飾古墳が点在することで有名で、国の史跡に指定される古墳も数多い。現在においては山麓の傾斜を上手く利用した果樹栽培が盛んな地域として葡萄畑や柿畑が拡がっている。ところで耳納山の山裾には国道210号線とは別にその南側の高台を国道に並行して県道151号線が通っている。実はこの県道こそが江戸期には日田往還道と称され、久留米城下と西国の天領地を統括した日田代官所を結ぶ街道であった。先の装飾古墳群もこの県道に沿って点在しているので、恐らく日本と云う統一国家が形成される以前の古代から近世・近代に至るまでの長きにわたって、この道こそが地域の主軸をなしてきたことに間違いない。
さて当住宅が所在する草野町は、この日田往還沿いに形成された在郷町である。そもそもは中世土豪の草野氏の勢力拠点として発達した城下町であったらしいが、江戸時代においても街道の中継地として商業的繁栄を維持し続けたとのことである。しかし明治に至り鉄道が町の郊外に敷設されてしまうと、その衰退振りは著しく、町場としての機能を失うこととなってしまう。確かに今でこそ古い町並が注目されるようになり観光客のために案内看板が掲げられてはいるものの、以前は車で走っていてもその存在を見落としてしまうほどであった。町内の洋館を改造して開設されている草野歴史民俗資料館展示の明治期の古写真を見ると、通りの両脇に結構な大店が軒を連ね、相当に活況に充ち溢れた町場であったことが判る。
当住宅は町のほぼ中心部にあり、江戸中期から醤油醸造や櫨蝋製造、質屋等を行っていたという商家建築で、往時には屋敷内に蔵が十数棟が建ち並ぶ大店であったらしい。敷地は計画的に町割が行われたことを示すように間口に対してやたらに深く奥行きを取る、いわゆる「鰻の寝床」形状である。現在においては大半の土蔵群は失われ、僅かに屋敷西側の小路に沿って主屋の背後から三棟の土蔵が連続する姿を見ることができるだけとなっているが、それでもなかなかに見応えのある風情である。主屋の外観形状は周辺の一般的な町家と異なるもので、一見すると二階部分が極端に小さい切妻屋根の妻入の建前のようであるが、実際は平入の母屋に小さな切妻屋根の別棟を直交させただけのあまり類を見ない特異な屋根形状となっている。また正面一階の戸口についても恐らく防犯対策と思われるが、普段使用する大戸口の更に表側に引き戸式の土扉を設けるなど特徴的な造作を見ることができる。一方、主屋内部については、天井の根太に不整形な材が用いられ、部屋境の柱は6寸角の太い木割が用いられるなど全体的に武骨な印象である。座敷の床柱までもが太く、部屋境の柱間に差鴨居が殆ど用いられていないのは18世紀末という建築年代の古さ故のものであろうか。大店の居宅としてはかなり質素な建前ではあるが、随所に見られる特異な造作を町家建築が定型化する以前の証左と考えることが可能であれば、当住宅の重要性は並々ならぬものである。

 

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