高橋家住宅 Takahashi |
無指定・公開 愛媛県喜多郡内子町内子2403 建築年代/不詳 用途区分/庄屋分家・酒造業・実業家 公開状況/公開 内子町の八日市・護国の重伝建地区東側の地区外に所在する近代和風建築である。通り沿いに町家が居並ぶ一画から路地裏に抜けると石垣上に練塀を廻らした当住宅が現れる。当家は大洲藩領五百木村の庄屋から分家して酒造業を営むとともに大洲藩の御厩小頭を務めた家柄とあるが、住宅の価値としては戦前にアサヒビール・サッポロビールの前身である大日本麦酒の社長を務め、戦後は日本商工会議所会頭、通産大臣等を歴任した高橋龍太郎の生家であることに力点が置かれているようである。 その父・高橋吉衡は嘉永3年(1850)生。化育小学校の初代校長を務め、内子聖人と呼ばれた。その息子の高橋龍太郎は明治8年(1875)生。大阪ヒ麦酒(アサヒビールの前身)に入社し、のちに社長を務める。第3次吉田内閣で通産大臣を務め、日本商工会議所の会頭を務める。1964年には勲2等旭日重光章を受章している。またその長男の高橋吉隆はアサヒビール会長を務め、当住宅を内子町に寄付した。 内子町の高橋家は大洲藩領五百木村庄屋を務めた高橋本家からの分家。分家高橋家は酒造業を営み、大洲藩の御厩小頭を務めた。屋号は五百木屋を名乗る。 本家は近江国神崎郡の城主・高橋対馬守秀久で織田信長に滅ぼされた後、次男の助右衛門重久が五百木村に移住したことに始まる。文禄4年(1595)には大洲藩より庄屋職を拝命し、以後幕末まで務めた。 |