山本家住宅 |
【山本家住宅として登録された建造物】 主屋/木造平屋建・東方に土間、西方を床上部とし南面中央部に玄関を構える。 土蔵/明治41年築・二階建・ 離れ屋/明治41年築・14m×6m隠居屋として使用。 納屋/ 番門/明治41年築・ 練塀/ 【山吉醤油として登録された建造物】 諸味蔵/明治21年築・木造平屋建・切妻造桟瓦葺・桁行24m×梁間10m・南半を諸味桶置場、北半を瓶詰場とする。 圧搾場及び仕込場/明治21年築・木造平屋建・圧搾場は18×10m、仕込場は14×8mで平行に建つ。 釜屋/明治41年築・木造平屋建・切妻造桟瓦葺・15m高の煉瓦造煙突を突き出す。 原料蔵及び帳場/明治41年築・木造2階建・桟瓦葺・桁行8.2×梁間7.7m 苗羽は「のうま」と読む、大正~昭和初期にかけて小豆島でもっとも醤油生産が盛んな村であった。 山本家は苗羽地区における醤油業の祖であり、初代・山本吉左衛門で宝暦7年(1757)に馬木村で生まれ、文政年間に「山吉」を名乗って醤油生産に乗り出し、主に近畿地方を商圏に販売したという。 彼の曾孫・国蔵や玄孫・時蔵の代に、機械化を導入している。 現在は桟瓦葺きの切妻屋根に四周に本瓦葺きの下屋を廻すが、恐らく本来は茅葺屋根で、讃岐地方に特有の四方蓋造であったのではなかろうか。桁行18m、梁間11m。入母屋造の玄関を正面に張出し、北東に切妻造の釜屋を突き出す。 正金藤井醤油の蔵も、元は山本家の所有であった。 50000石を超える生産量を誇った。(1石=180リットル) |