徳善家住宅
Tokuzen



 
国指定重要文化財 (平成)
徳島県指定文化財 (平成26年2月14日指定)
徳島県三好市西祖谷山村徳善113
建築年代/慶応2年(1866)
用途区分/山村農家(名主)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
徳島平野を悠々と流れる吉野川を上流部にまで遡ると景勝地として有名な大歩危に至る。周囲は急峻な山々が迫り、人家が絶してもおかしくない様な土地柄ではあるが、山の中腹に民家が点在する様子に平家の落人伝説が生まれるのももっともなことである。当住宅は大歩危を眼下に見下ろす山の中腹に所在します。この地域を支配し「土居」と呼ばれた八家のうちの一軒です。まるで寺の本堂のような規模・外観で小さな家が多い山村にあって異様な雰囲気に包まれています。前出の阿佐家や木村家等の上層の家でさえも寄棟造りが一般的な当地方において、当家は入母屋造りの堂々たる建前です。屋敷周辺に残る風情等も含めて何か伝説的なものを感じさせてくれる家です

敷地は2700u、山間の屋敷地としては破格の広さである。主屋は桁行10間半、梁間5間半。屋敷周辺には屋敷前の石垣に沿って馬場が残り、屋敷奥には伏墓が多数設けられている。独特の風情を醸している。
祖谷地方は東分12名、西分24名の合計36名の土居によって支配された。このうち特に高持の土居は御屋敷と呼ばれ、喜多氏、小野寺氏、菅生氏、西山氏、阿佐氏、徳善氏、有瀬氏、窪氏の8家があった。筆頭は重末集落にあった喜多家で祖谷政所と称された。
徳善家の始祖については、南北朝の武将・楠木正成の28将の1人、伊藤兵部が四条畷の戦いにより敗走後、この地に隠棲したことに始まるとされ、生地である河内国得銭の名を取り、当初は得銭を名乗ったが、後に徳善に改名したと伝えられる。



 

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