村瀬家住宅
Murase



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板野町指定史跡 (昭和30年指定)
徳島県板野郡板野町大坂字ハリ71-1
建築年代/文化12年(1815)
用途区分/番所
残存建物/主屋
公開状況/公開

嘗て阿波から讃岐に抜けるには板野町北端に在る大坂峠を越える道筋が最も一般的であった。現在の県道1号線である。藩政期の国境には当然ながら関所が設けられ、村瀬家と久次米家の両家が代々御番役に任じられた。その役儀は関所設置の正保元年(1644)から明治5年(1873)の廃止に至るまでの約230年間の長きに亘ったという。現在、関所跡には当家の家人が起居した主屋が残るばかりで、残念ながら通行人を検閲した番所建物は残されていない。
主屋は平成14年度の修復工事の際に棟札が発見され、文化12年(1815)に建てられたものであることが判明している。庇瓦に徳島藩主蜂須賀家の卍紋の軒丸瓦が用いられている建設費は公費で賄われた可能性があるものの定かではない。しかし山深い県境ゆえに関所が置かれた土地の風情はそのままである。

【覚書】
桁行6間、梁間3間半の中規模の建前。「家暦書」によると、同家は徳島城南方の一宮城主につながる家系で、天正8年(1581)に長曾我部氏の四国統一の過程で敗れ、浪人していたところ天正13年(1586)の蜂須賀家の阿波入部の際に仕官。正保元年に大阪越関所設置に伴い、御番役勤務を命ぜられたとのことである。
ちなみに当家に隣接して同役の久次米家住宅が昭和後期まで残されていたが現在は失われている。こちらは明治初期の建築で桁行7間、梁間4間の規模であった。



 

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