喜多家住宅
Kita



無指定・公開
徳島県三好市東祖谷大枝43 (移築)
旧所在地・徳島県三好市東祖谷大枝203
建築年代/宝暦13年(1763)
用途区分/名主(土居)
残存建物/主屋
公開状況/公開

西日本第二の高峰・剣山の西麓に位置する祖谷地方は、祖谷川が刻む渓谷沿いの山村集落である。急峻な山々に囲まれ、辛うじて人が住める程度の平地を確保するのさえも精一杯の土地柄に中世より人々は住み着いたというから驚きである。さて当家は藩政期の祖谷地方を支配した「土居」と称する名主層の家柄で、蜂須賀家入部の際に反抗的であった在地の土豪一揆勢を鎮定した功により政所支配を許された喜多源内家の一族となる。主屋は祖谷地方でも最大規模を誇るもので、元来は現在地よりも同集落の低い位置にあり、牛小屋や持仏堂と一列に並ぶ様に建っていた。



【参考資料】
民家緊急調査報告書 第2次調査民家として所収。
四国の民家/日本建築学会四国支部・(株)万成社刊

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