福永家住宅
Fukunaga



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国指定重要文化財 (昭和51年5月20日指定)
徳島県鳴門市鳴門町高島字浜中1
建築年代/文政11年(1828)
用途区分/塩田農家
指定範囲/主屋・離座敷・土蔵・納屋・塩納屋・薪納屋・宅地・塩田
公開状況/非公開 (外観のみ公開)

藩政期において阿波国を名産とする全国規模に流通する商品作物と云えば、藍と塩が筆頭格であった。藍においては現在でも徳島県を始めとする関係自治体が観光的なイメージ戦略の一環として広報活動に余念なく利用しており、また伝統工芸品として藍染を保護・奨励していることも手伝って、藍=徳島のイメージが十分に確立されているようだが、一方の塩については甚だ心許ないというよりも、殆ど顧みられることなどない惨憺たる状況にある。昭和47年にイオン交換膜製法という工業的な製塩方法が確立し、その有り様が根本から変わったことや公社による専売制の導入によって民間資本による製塩が制約されたこともあり、塩田を利用した伝統的な製塩は一気に失われることとなる。塩という物の存在が余りにも身近にあり、その必要性が失われたわけでは無いにも関わらず積極的に製塩業が保護されなかった理由は、そもそも塩という産物が他国産との差別化が甚だ難しく、そこに過酷な労働に見合うだけの付加価値を見出すことが難しかったことが大きく影響しているのではないだろうか。実際、先日訪れた能登半島の先端にある珠洲市で揚げ浜式塩田で古式製塩が復活しているというので見学に立ち寄ったところ、ここで購った食塩は50g入りで400円の値であった。一方、近所のコンビニでは伯方の塩が500g入りで199円で売られている。伝統製法と工場製法の価格差は約20培程度ということになるが、この価格差を日常的に受け入れる購買層はごく限られていることは云うまでもない。そして何よりも両者を舐め比べてみたところで、価格差ほどにはその味覚に差は感じられなかったと正直に云っておこう。
さて阿波の塩である。そもそも阿波の製塩業は幕藩体制が確立する以前の慶長年間に蜂須賀家が阿波国に入部して以来の長い歴史を有し、斎田塩の名で赤穂の塩と並び称された存在であった。特に鳴門湊から上方・江戸への出荷量は相当なものであった。






渦潮と真鯛で知られる鳴門は嘗て塩の産地としても著名であった。塩は江戸期には藍と並び称された程の阿波藩を代表する産品で、特に鳴門市高島一帯は見渡す限りに塩田が拡がる一大産地であった。さて当住宅は鳴門瀬戸に面した干潟に塩焼けした高石垣で敷地造成されており、恰も浮島の体である。干潟は嘗ての塩田跡で本瓦葺の主屋や煙突、釜屋などの建物が浮島内に所狭しと建ち並ぶ様は実に壮観である。瀬戸内の旧塩田地帯には今でも塩田経営で財を成した家が少なからず残っているが、主屋のみならず生産施設までを残す例は他には無く貴重なものである。


【参考文献】阿波の民家 徳島県民家緊急調査報告書 徳島県教育委員会
       月刊 文化財 第一法規株式会社
       重要文化財福永家住宅主屋他五棟保存修理工事報告書
       四国の民家 建築家の青春賦 日本建築学会四国支部
       徳島市民双書阿波の民俗3 すまいとくらし 徳島市立図書館 
       解説版 新指定重要文化財12 建造物U 毎日新聞社
 

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