多田家住宅
Tada



 
広島県指定史跡 (昭和15年2月23日指定)
広島県呉市豊町御手洗蛭町255-1
建築年代/明治末期
用途区分/商家(船宿・町年寄・庄屋)
公開状況/公開(七卿館)

江戸中期になると航海技術の発達により瀬戸内を航行する廻船も「地乗り」から「沖乗り」に変化し、大崎下島の東端のそれまで近隣集落の出作り耕作地であった地に町場が形成されることとなった。それが御手洗湊である。当住宅は町南東端の蛭子神社裏手に所在し、かつては海際まで広大な屋敷地が広がっていたが県道の開通により削られてしまった。建物は明治末期に古材を利用して建て替えたとのことである。竹原屋を称し、延岡藩や小倉藩、宇和島藩指定の船宿を営み、御用商人として諸国物産を商ったという。当時、広島藩では他国米の取引に関しては米穀統制が敷かれ、尾道、宮嶋、御手洗の湊でのみ許されたとのことであり、往時の隆盛が窺われる。また、当屋敷は幕末維新の七卿落の奇宿地として史跡指定を受けている。




 

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