南薫造生家
Minami



 
南薫造画伯は明治16年に生まれ、明治40年に東京美術学校を卒業、文展に幾度も出品し、上位入賞を果たす。大正10年からは文展、帝展の審査員を務めたが、戦後に故郷に戻り、瀬戸内の風景を描いた。
当家は代々地主の家柄であったが、父親は医者となったため、地元に縛られることなく、悠々たる人生を送られたようである。
主屋の東方に画伯の木造のアトリエも残されており、田舎町ながら当家の周囲だけ文化の香りが漂っているかのようである。




 

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