長島家住宅
Nagashima



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養父市指定文化財
兵庫県養父市小城字荒神下36
建築年代/江戸末期(天保・嘉永年間頃)
用途区分/農家(出石藩領大庄屋)
指定範囲/主屋・客殿・土蔵・納屋・物置
公開状況/公開 【大庄屋記念館】

兵庫と鳥取の県境に聳える氷ノ山を源流とする大屋川が但馬地方を縦断する大河・円山川に合流せんとする辺りに小城集落は所在する。国道9号線を日本海側に向かって北上する途中、大屋川に架かる広谷大橋を渡る付近から右手を望むと、集落越しの高台に一見して大屋敷と判る建築群を見て取ることができる。それが当・長島家住宅である。住宅は屋敷面積3700平米を超える広大なもので、山腹の傾斜地を三段に造成して、上段に納屋、物置、中段に主屋、客殿、土蔵、下段を前庭とする。この雛壇の造成には屋敷地の西面から北面にかけて高さ10mを超える石垣が築かれており、大庄屋屋敷としての風格を伝えてくれる。特に屋敷北西隅の石垣においては隅角とせず、緩やか円弧を描く珍しいもので、明治期の築造とのことである。この高石垣に沿って中段へと続く緩やかに登り坂が設えられており、段上には表門の代わりとなるように行く手を阻むかのように山梨の古木が差し掛かり、その背後に桟瓦葺、平入の素朴な主屋が端座している。主屋の建築年代については、天保9年から嘉永5年(1838-1852)までの15年間に長島善右衛門が出石藩18ヶ村の大庄屋職を務めるとともに苗字帯刀を許された時期のものと考えられている。主屋は明治期に改造を受け、大正期には主屋の北東隅奥に二階建ての客殿が増築されるなど藩政期のままの姿ではないが、往時の風情を十分に止めている。早くに地元自治体である旧養父町に寄贈されたことから、昭和中期以降の風情をそのまま保つ状態で維持されている。高台にある屋敷からは大屋川越に対岸の上箇集落や薮崎集落までを望み、地域に君臨した家柄であることを感じさせてくれる。


 

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