渕上家住宅 Fuchigami |
神戸市指定文化財 (平成22年3月19日指定) 兵庫県神戸市北区大沢町日西原1872 建築年代/19世紀中頃〜昭和初期 用途区分/大庄屋 指定範囲/主屋・東納屋・上風呂・離れ・北納屋・焚物部屋・漬物部屋・米蔵・衣裳蔵・表門・土地 公開状況/非公開 私が当住宅と出逢ったのは、一枚の写真からであった。白川郷五箇山の合掌造り集落に足繁く通われ、「日本茅屋風土記」という私家版の写真集を出版された味村敏先生の記念展示会に飾られていた全国各地の民家の写真、その中の一枚に豪快な石垣を築いた上に屹立する茅葺入母屋屋根の写真があった。この時に購った写真集の奥付に「1996年11月31日 1996部 初版第一刷」とあるので、その前後のことであったのだろう。当時から全国の民家を訪ね歩いていた私は、その見たこともなかった威容を誇る当住宅に魅せられ、是非この目で見てみたいとの思いが募り、厚かましくも味村先生に当家の御当主・渕上源治氏を紹介してもらい、すぐに訪問したことを今でも鮮明に憶えている。 政令指定都市である神戸市に対する印象は、余所者にとっては六甲山麓の狭い平地に人家が密集する港町であるが、六甲山を越えた北西郊外には豊かな田園地帯が拡がっている。自然林が残る穏やかな丘陵地帯の谷間を埋めるように田圃が作られ、東京近郊で云えば、嘗ての多摩地方のような風情が今でも残されている。高度成長期前後から大阪・神戸の富裕層を当て込んでゴルフ場が周辺で開発されていたが、平成の世に移ってからはニュータウンとしての住宅開発が猛烈な勢いで進みつつあった。平成22年に当住宅が神戸市の指定文化財になったことから、久し振りに写真を撮り直したいと思い立ち、訪れてみたが、少し脇道に逸れさえすれば、未だ嘗ての中山間地としての長閑な風景が拡がっており、当住宅も何ら変わることなくそのままの姿を保ち、正直ホッとした心持であった。恐らく開発の波が押し寄せる一方、それに乗じて地主化した農家が多いのであろう、総じて集落は豊かな印象である。 屋敷地は南北に長く、山裾を整地して西側に高石垣を築いて700坪程の平地を確保する。表門を南東側に向けて開くが、これは新しい道路が整備されたお陰で往時の屋敷への導入路が判らなくなっている現在においては、かなり不自然な配置である。神戸市の指定書によれば主屋は所蔵文書の嘉永4年の家屋書き上げには完成していたものとみられ、それ以前の幕末19世紀中頃の建築と推定されている。御当主の話では土間上の豪快な梁などは大阪で買い付けたものだということだったが、こうしたことは龍野の国重文・永富家住宅でも同様で、天下の台所として名を馳せた大阪近郊の農村地帯においても、庄屋・大地主層にとっては良材を市場から求めることは当たり前のことであったようである。 今回は主屋と同時期に建てられた東納屋を含め、米蔵、衣裳蔵など10棟が指定対象となったが、やはり当住宅の価値は屋敷西側を臨む高石垣と茅葺の主屋の豪壮な風情にこそあるといっても過言ではないだろう。当住宅のみならず、周辺の風情を含めて、是非後世にまで伝えて欲しいものである。 (2022.2.20記) |