永島家住宅
Nagashima



京都府指定文化財 (平成6年2月18日指定)
京都府宮津市国分天王山611-1
旧所在地・京都府京丹後市丹後町徳光348
建築年代/天保11年(1840)
用途区分/大庄屋
指定範囲/主屋
公開状況/公開(丹後郷土資料館内)
平成7年に宮津市北郊の史跡公園内に移築保存された宮津藩の大庄屋役を務めた永島家の主屋建築である。そもそもは京都北部の日本海に突き出す丹後半島の付け根、松葉蟹の水揚地として有名な間人港より少し内陸に入った徳光集落に所在していた。当家は18世紀中頃に永島勘兵衛家より分家、2代信麿の寛政8年には大庄屋役を拝命、苗字帯刀も許されたという家柄。天保9年(1838)に4代目浅治郎が再び大庄屋職を拝命した翌年の天保10年(1839)から翌年にかけて当建物を建て替えていることから、役儀拝命に関わる普請と推察されている。
旧地においては小高い敷地中央に主屋が建ち、他に長屋門、離れ、納屋、土蔵3棟があったとのことである。
移築は主屋のみで昭和58年に民具や文書と共に京都府へ寄贈されたものである。入母屋造茅葺屋根で桁行15.4m、梁間10.1mの東西棟とし、東側が下手となり土間を配し、西側は整形四間取の居室部となる。四間取の構成については、土間側の表にダイドコロ、奥にナベザ、その上手の表側にオモテ、奥にナンドとなる。更にナンドの奥の突出部にも居室が設けられているが、そもそもはこの奥に土蔵が建っており、その取り付きとなる空間であったらしい。大庄屋階級の主屋としては際立つ規模の建前ではなく、座敷も決して格式高いものではなく、且つ贅を凝らした空間とはなっていない。旧家と称するには歴史が浅く、ましてや分家筋の家柄にあっては、例え大庄屋の役儀を果たしたといえども、屋敷構えには限界があったのかもしれない。ただ、主屋の規模に比して屋根の大棟位置が極めて高く、急勾配な茅屋根が印象的であるが、これは冬期の積雪に配慮したものであろうか。また大工棟梁は、ホゾの墨書より松見和衛門重定と判っており、丹後型民家の特徴を顕し、建立年代等も明確なことから丹後を代表する民家と位置付けられている。



 

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