京藤家住宅 Kyoutou ![]() |
国指定重要文化財 (令和7年5月) 福井県指定文化財 (平成22年4月9日指定) 旧今庄町指定文化財 福井県南条郡南越前町今庄68-35 建築年代/天保年間(1830-44) 用途区分/商家(造酒業) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 江戸時代、京都から北陸地方に向かうには北国街道を北上した。近江との県境となる栃の木峠を越えて越前の国に入ると、そこは北陸の玄関口と称された今庄宿である。宿場町としての成立は慶長年間にまで遡り、天保年間の記録では旅籠55軒、茶屋15軒、酒屋15軒もあったというから、かなり規模の大きな宿場である。令和3年8月には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。当住宅は町の中程に所在する町家建築で、往時は造り酒屋を営むとともに脇本陣格を務めたとのことである。宿場内には今でも豪商家が数軒残っているが、当家のような本卯建を上げる造作は他には見られない。 京藤家は、初代の北大門屋甚五郎が18世紀中頃に今庄に居住していたとされ、5代目以降から京藤甚五郎を名乗ったとされる。近世には庄屋や長百姓を務め、「大門屋」の屋号で酒造業を営んだ。明治中期頃に酒造業から金融業に転換している。主屋は、町指定文化財の頃には天保年間(1830-44頃の建築とされていたが、県指定後には寛政11年の大火直後の時期に当たる享和元年(1801)頃に3代目甚五郎により建てられたと推測されている。恐らく当住宅も被災した可能性があるのだろう。その後の文政7年(1824)に座敷部が増築されている。 敷地は間口20m、奥行き52mで西側で街道に接する。主屋の居室部は桁行9.5m、梁間17.0mで木造2階建、切妻造、平入の建物となる。大屋根は、現在は桟瓦葺となっているが、当初は石置板葺であったと思われる。 |