白川郷合掌造り民家園
岐阜県大野郡白川村荻町2499

中野義盛家住宅 県指定文化財 (昭和46年12月14日指定)
旧所在地・岐阜県大野郡白川村加須良205
建築年代/
用途区分/
移築建物/主屋・板倉

中野長治郎家住宅  県指定文化財 昭和46年12月14日指定(
旧所在地・岐阜県大野郡白川村加須良190
建築年代/明治18年以降、大正14年修復
用途区分/農家
移築建物/主屋
中野長治郎家は前項の中野義盛家の分家筋に当たる。当住宅は本家同様に白川村内でも最も交通不便の地であった加須良集落に所在していたものである。当家は長治郎氏の父・禮佐氏が、当住宅の前身となる建物を所有していた中山家が大正中期に北海道開拓移民として渡道した為、家屋敷を譲り受け分家したことに始まったとのことであるが、住宅はその際に一部の古材を再用したものの、ほぼ新築同然に建て替えられたと伝承されている。桁行8間、梁間5間の小規模な建前ながら、上手には仏間に加えて書院座敷さえ備えている。合掌造は狭隘な土地柄にあったが故に複層階方式の採用により編み出された技法と理解していたが、過分と思える程に接客空間に間取りを費やした理由は、稀人の往来を焦がれる気持ちの裏返しであったのだろうか。
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山下陽朗家住宅 県指定文化財 (昭和46年12月14日指定)
旧所在地・岐阜県大野郡白川村島22
建築年代/宝暦年間頃(1755頃)
用途区分/農家
移築建物/主屋
山下家は屋号を九右衛門と称し、現移築地より北方3km程に位置する島集落に所在した農家建築である。明治9年(1876)の時点では島集落は9戸から成る集落であったが、江戸時代には山下家一軒のみの一人百姓であったとのことである。主屋は桁行9間半、梁間6間の合掌造としては中規模な建前で、百姓代を務めたという家格に相応しい規模となっている。建築年代に関しては当家5代・吉助が建てたとする家伝を残し、柱を礎石の上に直接立てる石場建て技法や、帳台構を残す点、仏間は設けるが書院座敷が無い点などから江戸中期頃の建築と推定されている。19世紀以降の建築遺構が大半を占める合掌造民家において、18世紀に建てられ、古式を残す遺構として基調とされている。
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東しな家住宅  県指定文化財 (昭和46年12月14日指定)
旧所在地・岐阜県大野郡白川村加須良86




村瀬忠正家住宅  無指定・公開
旧所在地・岐阜県大野郡白川村


 
浅野忠一家住宅  無指定・公開
旧所在地・岐阜県大野郡白川村


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