ごあいさつ

民家を廻り歩いて、何年たったでしょうか。単に古い建物が好きだった当初は、神社仏閣を中心に各地を訪ね歩いていましたが、いつしか気付いた時には民家ばかりを廻るようになっていました。文化財指定の民家から次第にまだ見ぬ民家はないかと、地図を片手に目星をつけた古い風情を残す集落内を随分探し回るようになっていました。今でも意外に知られていない素晴らしい民家は数多くあるようです。日本は意外と広いというのが実感です。けれども一方で急速に失われつつあることも事実です。
このページでは建築の専門的な用語はできるだけ使わないように心がけています。また文化財の民家を中心に紹介しているのは、プライバシーの問題もあるためです。本当は人知れず残る「生きた民家」にこそ、本来の美しさがあると考えてはいますが、現在では、文化財指定の民家も結構な数になっています。充分ではなくとも、その良さをお伝えすることは可能だろうと考えています。できるだけ民家の持つ独特の風情をそのままお伝えしようと思っています
 

  



戯言集

【全国旅行割は永遠なり】2023.2.19
先日の新聞に各道府県知事が旅行支援割引の継続を国に要望するとの記事が出ていたが、一体この人達は、いつまで国の支援を受け続けるつもりでいるのだろうか。海外からの外国人旅行者も回復基調にあり、むしろホテルや旅館では人手不足から予約を断っているという状況があるにも関わらず、の話である。恐らくコロナ禍の前後では旅行のスタイルそのものが変化しつつあるのだろうが、業界保護が行き過ぎると変化に対応できないままに、投じた税金を回収する機会を失いかねないのではないだろうか。過ぎたるは及ばざるが如し、である。
 

【防衛費の増強に絡む増税の是非】2022.12.12
中国による台湾侵攻危機を契機とする日本の防衛力増強問題。岸田首相が財源として増税を打ち出すと、与党内から国債で賄うべきだとか、景気回復による税収増を考えるべきだとか、意見が頻出している。特に旧安倍派の連中は云いたい放題の様相である。けれど少し考えてもらいたい。国債を発行し過ぎて、日本銀行に禁じ手を強要し、挙句の果てには金利を上げるに上げられない程にまで日本の財政状態を悪化させたのは誰だ。景気浮揚と称して公金をバラ撒いた挙句も世界の経済成長から取り残されるような事態にしてしまったのは一体誰だ。正直、国民は絵に描いた餅のような話ばかりを聞かされてきたが、もう騙されてはいけない。妄想に近い夢物語を見ている余裕は我が国には無いはずである。ツケを先延ばしにする政策はもう止めて欲しい。今回ばかりは、岸田さんが首相で良かったと思う。
 

【東京五輪汚職の根深さ】2022.9.30
やはり、とでも云おうか。東京五輪開催に絡む贈収賄事件は全く酷いものである。これが現代日本の実態なのであろうか。どこか経済発展が著しく遅れた途上国の様相である。コロナ禍で五輪を中止するという話も当時出ていたが、当然ながらに中止になれば貰ったお金を返さなければならなくなるので、無理にでも延期に持ち込む必要があった訳である。そして当初予算を大幅に超える開催費用が然程に問題視されることも無く支出され、グダグタな内容の最低の五輪開催に至った訳である。それにしても、こうした問題は、いつも何故に事が終わった後に露見するのであろうか。お金が費やされてからでは遅く、取り戻しようなど無い状況になってから発覚するのである。このことも少し疑問である。マスコミも一枚噛んでいるのではないかと思ってしまうほどに、全てが腐っていても不思議ではない国の姿に暗澹たる気持である。

【民家の受難 北海道江差町の横山家住宅】2022.9.6
スマホでネットニュースを見ていると、北海道の江差町に所在する横山家が3000万円で売りに出されているという記事が目に飛び込んできた。名物の鰊蕎麦を食べさせてれる道指定文化財の民家である。本気で買うべきか悩んでいると、奥さんに鼻で笑われたのは云うまでもない。この物件は、結局のところ、先代の御当主が亡くなられて、町との間で無償譲渡することで話が進んでいたにも関わらず、土地は有償で買い取ってくれと一部の相続人が言い出したことから妙な事になったようである。文化財として半永久的に祖先の家が残るというのも良いのではないかと思うが、とにかく私には静観するという選択肢しかないようである・・情けない。
 

【北京冬季五輪について思う】2022.2.22
冬季五輪が閉幕し、少し手持無沙汰になったので久し振りの更新である。北京五輪は東京五輪に続いてのビックイベントであったが、主義信条が異なる中国開催だったが故に新聞の論調は必ずしも褒め称える内容一色ではない。むしろ辛口のコメントが多いかもしれない。しかし、そうした色眼鏡を外してみたとき、東京大会と北京大会は、どちらがイベント的に素晴らしかったかと云えば、北京大会側に軍配が上がるのではないかと思う。夏と冬では規模に差があるため、単純な比較は難しいとは思うが、少なくとも訳が判らず、冗長な演出だった東京大会の開会式と閉会式の演出に恥ずかしさと情けなさを覚えた私としては、今回の北京五輪の聖火の在り方一つを採っても、彼らが未来を見据えていることが感じられ、羨ましく思った。

【進歩しないコロナ感染症対策】2021.11.27
コロナウィルスの強力な新株オミクロンが発生し、世界では再び感染拡大の懸念が広まりつつあるが、日本も対岸の火事と捉えずに備えるに越したことはないのは云うまでもないが、これで再び緊急事態宣言が発出されることになると、政府は性懲りもなく飲食店等に休業補償を出すのであろうか。コロナ禍が訪れることを常態としなければならないと云いつつ、いつまで非常事態として対応するのであろうか。この週末に駅前に買物に出たが、人の多さに困惑している。飲食店の混雑振りも以前と同じである。席数も間引き状態からいつもの狭い間隔に戻っている。雇用も持ち直すどころか再び人手不足に陥りつつある。変化を訴えても元の木阿弥にしかならない国民に対してコロナ対策として膨大な税金を費やすことに何の意味があったのだろう。逆に税金で助けられることが判っていれば、進化するリスクを取ることなど誰もしないはずである。変わらねばならない日本の国民、企業の動きを封じているのが、税金によるバラマキだとすれば皮肉な話である。
 

【マイナンバーカードの普及には・・】2021.11.23
マイナンバーカードの取得を促すための施策として、2万円分のポイントをばら撒く計画が着実に進みつつある。コロナ禍の給付やワクチン接種に際し、マイナンバーカードが何の役にも立たなかったことへの反省を踏まえたうえでの事らしい。しかし、国民がマイナンバーカードの取得に踏み切らない理由は、取得するメリットをあまり感じていないからに他ならない。健康保険証としても使えるということを「売り」にし始めているが、それならば一層のこと、「健康保険証」を廃止してしまうぐらいの覚悟でないと駄目である。マイナンバーカードを使わなくても健康保険証で診察を受けられるのであれば、わざわざ取得する輩はいないに決まっている。また、マイナンバーカードを使うと、例えば印鑑証明書や住民票は200円でコンビニから取得できるが、カードを使わず、役場の窓口で取得すると800円かかるとか、マイナンバーカードを取得しないことのデメリットを打ち出す方法もあるのではないかと思う。国の財政にゆとりがないのに、何でこんなに甘い政策ばかりを打ち出すのだろう。今の政治家達には倹約の意識というものがないのであろうか。
 

【公明党の言いなりになんかなるな。】2021.11.13
衆議院選挙が終わって日常の風景が戻ってきたが、年齢18歳以下の子供達に10万円を配布するという公明党の選挙公約が押し通されようとしている。「選挙で約束したのだから」と、公明党は一律配布を自民党に正面突破を試みているが、それならば、これまで反故にされてきた数多くの選挙公約の存在は一体何であったのだろうか。世論調査で67%の国民が反対している愚策を本当に実行すべきなのであろうか。選挙に辛勝した自民党は公明党の助けが必要だとの事情があることは承知しているが、このような愚策を本当に聞いてしまうと、今後も自民党は国民からの信頼を取り戻すことなく、ずっと公明党の選挙協力に頼ることになってしまうのではないか。無党派層の多くは、業界団体からの支持を得ることの交換条件として政策が歪められることに嫌気がさしているのだ。そろそろ中身ある政策で勝負しなければ、政治に対する不信感が国民の間に鬱積されつつあることに気付いてもらいたい。今回の選挙で日本維新が躍進したが、これは与野党の中にあって、唯一バラマキはしないと訴えた事によるものだと私は思っている。甘言で国民を愚弄するのはいい加減にして欲しいものだ。
 

【国民の大半は困った振りをしているだけ】2021.10.12
衆院選を目前に控えて与野党のバラマキ合戦が酷いものになってきた。コロナ禍での苦しみは、ワクチン接種のお陰でようやく過ぎ去ろうとしているのに、何故か経済の自立回復を待とうとせずにバラマキで経済復興を図ろうとする。雇用の回復が本格化しつつあるのに、給付金を支給したがるのは何故か。緊急事態宣言が明けた途端に、旅行業界の急激な回復振りが明らかになりつつある状況に、なぜGO TOキャンペーンの話が復活するのか。借金漬けの疲労困憊国家である日本の状況に、何故そんなにお金を使いたがるのか理解できない。はっきり云おう、国民の大勢は困ってなどいないのだ。ただ、抑制的な生活を送らざるを得なかった状況に、「困った」、「困った」といって被害者になりたがっているに過ぎないのだ。18歳以下の子供に給付金?、笑わせるな。スマホでゲームばかりしている輩に、なんで大事なお金をくれてやらねばならないのだ。こんな滅茶苦茶なバラマキを続けるから、将来に希望が持てなくなるのだ。与党の蛇顔の総務会長が、財務省の事務次官の真っ当な発言に対して、未来ある子供たちのためにお金を使うことにケチを付けるとは生意気だ、みたいな事をいっているが、はっきり云おう。「お前たちが、節度ある政治をきちんとすれば、それこそが未来の子供たちのためになるんだ」ということを。
 

【馬鹿の一つ覚えのGO TO キャンペーン】2021.10.7
一時期、少しコロナ禍が収まった際に政府が観光需要の浮揚策として実施したGO TO制度、国内旅行者の大半が利用したとの調査結果から政策的な効果があったとするが、どのような旅行者であれ、格安料金で旅行できるのであれば、制度を利用するのは当たり前の話である。故に、この調査結果を以ってして効果があったと喧伝するのはチャンチャラおかしな話である。また、それでもコロナ禍以前と比較して旅行者が減少していることを憂慮するのは、インバウンド効果による海外旅行者が消失してしまった現状から当たり前のことで、国内旅行者の動向とは全く別の問題である。馬鹿の一つ覚えのように、コロナが終息したらすぐにGO TOキャンペーンを再開させようとする動きは、業界団体との癒着の匂いがプンプンして、少し怪しい政策のような気がする。何か嫌だなあ。
 

【給付金のあり方】2021.6.17
長期化するコロナ禍で、大変な思いをしている方も多いとは思うが、何もしなくても政府からいろいろな名目で給付金が貰えるという制度は果たして良いものなのだろうか。働く対価としてお金が貰えるという当たり前だと考えていたことが、そうではないという状況に、古い感覚を持った私には戸惑いしかない。特に零細な飲食店でよく見受けられることだが、そもそも普段において稼ぐ金額よりも多くの給付金を貰えるという事態は誰がどう考えてもおかしいのではないか。せめて多額の給付金がバラ撒かれた飲食店においては年次の決算で黒字化した金額が、給付金の金額を上回っている場合は、全て国庫に返金してもらいたいものだ。働かなくてもお金が貰えるという感覚を国民に植え付けることの危険性を政治家はもう少し深刻に捉えるべきだと思う。
 

【コロナワクチン接種について思うこと】2021.4.25
明日から医療従事者に限らず、高齢者に対する対コロナワクチンの予防接種が始まるらしい。その一方で感染は第4波へと突入し、経済活動の更なる停滞が懸念されるところである。ここで私が個人的に感じているワクチン接種に対する違和感を述べさせてもらうと、何で高齢者から始めるのだろうという疑問。むしろ経済活動の主軸たる45歳以上の中年齢層から始めるべきではないのか。第4波の変異型ウィルスは高齢層のみならず若年層に対しても強い感染力を示すというではないか。それならば高齢者を優先させる意味は薄れる訳で、年金暮らしの高齢者よりも明日の生活の糧を得るのに必死な現役世代こそ優先されるべきではないかと思う。もう十分に生きた世代よりも、これからの時代を実質的に担わなければならない世代を生かすことが経済原則に基づいても理に適っているように思うのだが。
 

【五輪の開催国に相応しいのか】2021.4.12
とうとう東京五輪の聖火が各地を廻り始めた。振り返ると五輪のシンボルマークの盗作疑惑から始まり、海外設計者による優秀作品を袖にしたうえ、売れっ子だがつまらぬ建物を創らせたら右に出るものがいない日本人建築家の面白みのない地味なスタジアムを作り、愛らしさの無さから全く人気に火がつかない存在感の薄い五輪マスコット、殆ど更迭に近い形で総理の地位を退いた招致委員長の女性蔑視発言、開会式典の演出家の無様な交代など、数え上げればキリがないほどに失策の山である。これだけの失策を積み重ねても判らない人が多くいるようなので、敢えてはっきりと云おう。「今の日本は五輪を開催できるだけの知性と情熱と先進性を備えた国では既にない」と。もう止めようよ。
 

【東京五輪の担い手として日本という国は相応しいのか】2021.3.29
とうとう東京五輪の聖火が各地を廻り始めた。振り返ると五輪のシンボルマークの盗作疑惑から始まり、海外設計者による優秀作品を袖にしたうえ、売れっ子だがつまらぬ建物を創らせたら右に出るものがいない日本人建築家の面白みのない地味なスタジアムを作り、愛らしさの無さから全く人気に火がつかない存在感の薄い五輪マスコット、殆ど更迭に近い形で総理の地位を退いた招致委員長の女性蔑視発言、開会式典の演出家の無様な交代など、数え上げればキリがないほどに失策の山である。これだけの失策を積み重ねても判らない人が多くいるようなので、敢えてはっきりと云おう。「今の日本は五輪を開催できるだけの知性と情熱と先進性を備えた国では既にない」と。もう止めようよ。
 

【コロナ禍中のバラマキ行政】2021.3.14
コロナ禍が長引いているが、もう国民は自粛などしていない。けれど宿泊業や飲食業の不振は続いている。実は前年度の比較において、こうした観光業には海外からのインバウンド需要が大きく寄与していたことを忘れてはならない。そもそも日本人の中に1泊に数万円もするような旅館に度々滞在できるほどの金持ちは、経済力の地盤沈下が著しい状況にあって既にそう多くは居ないのかもしれない。いつまでも金満国家であった過去の記憶から脱却できないようでは、今後の国の有り様を誤ってしまうような気がして仕方がない。GO TO キヤンペーンの様なバブル経済の再来を願うに等しいバラマキ政策はもう止めてもらいたい。
 

【文化庁の優先事項がおかしい】2020.12.28
最近の文化財行政はおかしい。世界遺産や日本遺産だとか、耐震化工事など、新しい施策に対しては積極的に予算を措置して実行するものの、本来の文化財の保護という肝心要の施策について、少し蔑ろにする風があるのではなかろうか。地方行政が過疎化の問題に直面するとともに、町村合併などで広域化したこともあって、地域の文化財を守るゆとりを失っている現状がある。文化財担当の専従職員を配置していない例も多く、地方の時代などと云っている割には、まるで心許ない。そして更に妙なことに、重伝建地区内において家を新築する際に修景のための費用は出すくせに、保護すべき文化財民家は放置されたままであったりする。日本の財政事情を鑑みれば、無い袖は振れないと云いつつも、本来的でないところにはお金を費やしている。(縦割り行政でお金の出所が違うことは十分承知のうえである) 今年一年、各地の民家を訪れて、現地で民家を守る人々の声を聞くと嘆きの声ばかりである。時代の流行り廃りで安直な施策をやりたがる本末転倒気味な政治家どもの声は無視して、文化財の世界はもっと聖域化されて然るべきではないかと思う。
 

【幼稚な政治家達】2020.10.10
日本学術会議会員の任命拒否問題について、与党は学術協会のあり方について見直す必要があると、急に云い出したことは噴飯ものである。それならば役に立たないどころか、度々不祥事を起こして止まない議員様達の集まりについても早急に見直したらどうだろうか。

【コロナ禍に思う】2020.9.10
最近始まった政府主導のGo Toキャンペーン、コロナ禍で疲弊した観光業の救済策として実施され、安堵している業者も多いことと思うが、それよりも間接的に引き起こされた景気悪化による業績不振は製造業全般に及びつつある。不可抗力に近い形で、じわじわと忍び寄る不況の波に、海外輸出に活路を見いだすこともできず、企業心理は戦意喪失による不戦敗も止む無し感に陥っている様子である。恐らく、日本は二度と這い上がれない国になってしまうような気がして、正直怖い。

【また民家が失われた】2020.2.6
年明けの休日に、久し振りに都心の大型書店に足を運び、建築関係の書籍を物色した。LIXIL出版から刊行されている「ものいう仕口 白山麓で集めた民家のかけら」という本を見つけて立ち読みしていると、何と福井県池田町にある町指定文化財にもなっている旧大庄屋・安達家住宅が、ダム建設のために取り壊されたとの情報が載っているではないか。今のこのご時世にダム建設で貴重な文化財民家が失われるなんて・・・。古くからの歴史を有し、文化財に理解のある自治体と思っていた池田町でさえ、こうした文化遺産を守れないなんて世も末である。維持・修理に費用がかかる民家文化財がお荷物になる時代が、到来しているのである。

【政治の隠蔽】2019.12.17
先日来、週刊誌や国会で取り上げられ問題になっている「桜を見る会」の件、招待基準の問題よりも、招待者名簿を廃棄した官僚の行動には驚かされる。共産党が問い合わせた数時間後にシュレッダーで廃棄するなど、誰がどう考えても安倍政権に対する忖度以外の何物でもない。こういう形で事実が闇の中に葬り去られる事態に、日本政府そのものが信用できなくなってくる。韓国の問題も日本の主張は本当に正しいのだろうか、米国との貿易交渉の中身も政府発表を信じていいのだろうか等々、戦時中の大本営発表と同様の事態になっていないか心配になってくる。少し以前には、「日本は愚直なまでに事実を重んじる国家」だと多少は思っていたが、このままでは三流国家に成り下がってしまうようで本当に怖い。

【高齢者の雇用】2019.6.9
最近、企業の人手不足対策のため、あるいは年金財政の破綻を避けるためなのか、いろいろ理由はあるのだろうが、企業定年を70歳にまで延長することを義務付けるような日本政府の方針が取り沙汰されている。正直、余計なお節介である。企業も人手が足りなければ市場から高齢者であっても雇用を積極化させるであろうし、年金財政などは消費税を上げて財源を確保するなどと云いながらも、いつの間にか少子化対策や景気対策にお金を回すことにしたりしている。今の政府の振る舞いは市場原理を無視したり、本来の目的を簡単に反故にする、国民を馬鹿にしたような政策が多く、目に余る。それに今の60〜70歳の人達は、高度成長期に活躍した世代で、現在のような低成長期のシビアな時代に働く若手の感覚と全く相容れず、働き方改革で効率化を追求していかねばならない昨今のご時世にそぐわないと日々感じている。なので私の個人的な見解としては、企業定年の延長ではなく、高齢者の活躍の場として規制緩和等により保育所や飲食店など、人手を要する効率化が難しい産業でのみ活躍していただきたいと思うのだが如何であろうか。

【諸行無常】209.4.18
パリのノートルダム大聖堂の火災は世界に衝撃をもたらした。新聞の報道によれば、火災報知器の警報に対して消防士が2度に亘り確認をしたものの火の気を発見できなかったということだが、大規模な建物だから場所の特定が難しかったというだけでなく、祈りの場所であったことや、文化財建造物ということで奥深くまで立ち入りづらい禁忌のようなものがあったのではないかと想像する。最近の日本の火災監視装置は、軍隊が用いているような熱感知装置の類まで備わっているらしいが、あまりに過剰な設備は費用的な問題もあるが、宗教的な施設には何となく不似合いな感じがしないでもない。私の個人的な見解としては、「モノはいつか滅びて無くなる」と昔の人はよく云っていたように、無くなったら無くなったで仕方がないと諦めることも必要ではないかと思う。
 

【北方領土のこと】2019.1.27
年末に何年か振りに蟹料理の専門店に行ったのだが、「毛ガニが一杯(1匹)1万3000円です」と云われてびっくりした。本当に庶民には縁遠い食べ物になってしまったようである。ところで最近、北方領土の返還交渉が進展するとか、しないとかテレビで取り上げられる機会が増えたようであるが、友人に「島が返ってきて、何か得るものがあるのか?」と聞いたら、皆、異口同音に「蟹がたくさん採れるようになる」と答えてくれる。けれど、そんなの今までどおりにロシアから買えば良い話で、日本人の漁師が採ったら余計に高くなるのではないかと思うんだけど。今更、島が返還されたからといって移住する人がいるとは思えないし、ロシア人の島民に対していろいろと補償しなければならなくなったりで、凄くお金がかかるような気がする。北方領土が日本固有の領土だという話も、明治に入って勝手に領有を宣言しただけの話だし、多くの日本人にとって決して愛着のある土地だとは到底思えないのだが。こんなことを考えると、非国民だと罵られるかもしれないが、「非国民」という言葉で思考停止するよりも良いのではないかと思っている。私としては、島の返還にお金が沢山かかるのだったら、そのまま放置するという選択肢が一番良いような気がするのだが。

【この国の違和感】2018.7.25
何だろう。この国の違和感。賭博法案や議員定数肥大化法案、この国から清貧という言葉が消えていくように思えてならない。先日のサッカーワールドカップでも、日本の戦い振りに、サムライの国ではなくなったと海外メディアから批判の声が上がったが、あながち的はずれな指摘ではないように思う。全てが根底で繋がっていて、勝てば官軍、結局はお金、といった安直な発想が跋扈している。この流れに抗う術はないものだろうか。
 

【耐震補強はどこまでするべきか】2018.7.5
先日の大阪北部の地震で、神社仏閣の多い地域だけに文化財の耐震補強が進んでいないことが問題となっているらしい。日本経済新聞の記事によれば、石灯籠などはその最たる例で特に耐震補強が急がれるとのことだ。けれども少し立ち止まって考えて欲しい。日本全国に石灯籠が何万基あるのか判っているのか。ついでに云わせてもらうと、同じ石造建造物という括りで考えると、墓石も同様に危険ではないのか。そうなると、対策は何千万基にも及ぶはずである。そんな膨大な工事を、年金福祉に圧迫される今の日本の財政状況下で本当に可能と考えているのか。補強が無理なら撤去という方法もあるが、先祖を供養する場を失うことになりかねないことに国民のコンセンサスなど得られるはずがないことは明白ではなかろうか。大阪の地震は400年振りのことかもしれないが、日本列島は当たり前のように地震に見舞われてきた歴史があるのだ。ここは先人に倣って、自然災害に出遭った時には仕方がないとあきらめるぐらいの心持で、むしろ日々の生活の豊かさに重きを置き、文化を楽しむ姿でありたい。

【人手不足の問題】2018.6.17
最近は日本企業の人手不足が深刻化しているとのことで、政府は70歳定年制を奨励している。建設や介護の現場で外国人労働者の活用も本気で取り組むらしい。けれど少し待って欲しい。最近、日本を訪れる海外からの観光客の異常な増加によってサービス産業がいびつな形で膨張して人手不足を招いているということは問題ではないのか。オリンピックや東北の震災復興需要で国民の納得感の乏しい施策を乱発し、今や必要のない不景気対策を続けているということに疑問の余地はないのか。無理に官製で作った需要が思った以上に凄いことになってしまったが、今更元に戻すと反発を受けるので、もっと外国人に働いてもらいたい、70歳まで働いて欲しいなどと、少しおかしくないか。本末転倒していないか。人口が減少すれば、経済規模も自然に縮小していくのがモノの道理である。いつまでも国全体が経済発展を続けねばならないという幻想をそろそろ捨て去った方が良いのではないか。政府の過剰な経済への介入が、とうとう国民に負担を強いる時代になりつつあることにもっと注意すべきだと思う。

【もっと他に問題があるのでは】2018.4.27
最近、新聞紙上で官僚や芸能人のセクシャルハラスメント絡みの記事がだんだんと増えている。世の趨勢なのだろうか、こうしたことが全国紙で次々と大きく書き立てられる様を見ていると、新聞も芸能週刊誌のような存在に堕ちつつある様に思う。大衆は、これらの記事に対してセクハラというものの犯罪性よりも、芸能人のゴシップ的な感覚で卑しく読んでいるのではなかろうか。私には、実につまらないことを、大きく、そして執拗に取り上げているように思われてならず、もう少し被害者も大人な行動が取れなかったものだろうかと、いつも感じてしまう。何事も話が大きくなり過ぎる原因は、現代人が寛容の心を失い、何事にも過剰に、過敏に反応するようになりつつあるためではなかろうか。私には、そちらの方が問題だと思うが。
 

【公文書保管の在り方】2018.4.11
今国会を賑わせている森友や加計学園、防衛庁の日誌等の問題について、国会の論戦を聞いていると、公文書を廃棄した等の理由で野党からの追及から必死で逃れようとする与党の姿勢が何とも情けない。与党は公文書の在り方を是正しなければならない云々で、現在の問題を未来の問題として話をすり替えようとも必死である。けれど、そもそも公文書に保管期限を設けること自体がおかしいのではないかと思う。ましてや国家を動かしている本省の公文書は、将来の歴史家の評価に晒されなければならない類のものも多いはずである。保管期限を無くしてしまえば、「問題の文書がないので判らない」などという戯けた言い逃れはできなくなるはずである。

【政治家の矜持】2018.3.16
森友問題で大揺れの政界。街頭のインタビューで景気回復や外交で頑張っている安倍首相に対して、取るに足らないことで責め立てなくても良いのではないかと回答する人がいた。けれど彼は日本銀行を歪んだ状態に追い立て、高齢者優遇に偏重する社会福祉の問題を先送りし続けている張本人でもあるのだ。全てを彼の力で解決することを期待するのは酷かもしれない。実際、無理だろう。そんな簡単に物事を切り回せる訳がない。しかし少なくとも、そうした次元ではなく、我々のリーダーたる人物には、清廉な矜持を持つ姿を期待したいのである。景気さえ回復すれば良いなどという底の浅い考えに我々自身は同調してはならないと思う。

【文化財は観光活用のためにあるのではない】2017.11.17
先日、新聞を読んでいたら文化財の形状変更の権限を文化庁から市町村の首長に移すように文化財保護法を大幅に見直す旨の記事が出ていた。文化財を観光に活用することを容易にするための措置とのことであるが、少しおかしくないか。文化財は、先人たちからの預かりものである。単に製造業が疲弊して経済が立ち行かなりつつある我が国が、苦肉の策として観光立国を目指すという、まやかしの様な政策を打ち出し、そのための手段として、安易に、そして姑息に活用する類のものでは、そもそも無いはずである。文化財に対しては、保護か活用かと問われれば、保護である。自治体の首長連中は、開発というお題目で日本の美しい自然を破壊してきた連中の巣窟である。こうした愚を文化財の世界にも及ぼそうというのか。我が国は、もう少し奥ゆかしい国だったと思うのだが、今の世では戯言に過ぎないのであろうか。

【選挙が終わって思うこと】2017.10.23
選挙が終わった。またしても自民党の圧勝である。論点もはっきりしないままに行われた選挙ではあったものの、その結果によってもたらされるものは、憲法改正、そして軍備増強への歩みである。国民は北朝鮮の脅威に対して、憲法改正に向けて議論していくことに賛意を示したということになるのであろう。
そもそも日本は祖国を守るために、どこまで軍事力を行使するつもりがあるのであろうか。アメリカの核の傘に守られている状況を是としてながらも建前上は非核三原則を貫くという不思議な態度をとり続ける。唯一の被爆国である日本は、例えば核攻撃の脅威に晒される状況にあれば、アメリカが核を先制使用することを認めるのであろうか。専守防衛のための自衛隊によって相手国を侵略する意図さえなければ、相手国の基地を攻撃することは是とするのであろうか。憲法解釈などの小難しい話は、あくまでも法治国家としてのテクニカルな話であって、実際的には、軍事力の行使をどこまで国民は許容するのか合意形成を図っていかねばならない。
いつの時代も、日本人は腹を括らねばならない事に正対することを避けてきた。玉虫色の曖昧な決着こそが、穏便に物事を収める賢さだと考えてきた。そして先送りしてきた。もうそろそろ時間切れではないかと思う。

【文科省の許認可は方便】2017.7.20
今、世の中を騒がしている加計問題。そもそもの話として獣医学部の新設を認めなかった文部科学省の姿勢を批判する声も挙がっているが、一方で高校卒業者数が急激に減っているにも関わらず、増え過ぎた一般の私立大学をなかなか整理できないでいる状況に、「許認可」という制度は何のためにあるのだろうかと思う。常に適正を保つことが本来の許認可の意味だと思っていたが、実際に既得権者の傲慢を前に国としての役割など全く果たせない状況にあるではないか。阿呆首相と馬鹿官房副長官のやり方も目に余るものがあるが、官僚とて茶番は十八番である。政治家と官僚は目糞鼻糞みたいなものである。
 

【世界遺産登録への下品な思惑】2017.5.7
ユネスコにより宗像大社の沖ノ島が世界遺産として認められることになったが、沖ノ島以外の中津宮や辺津宮等の神社施設を除外するよう勧告を受けたのは至極もっともなことである。古代の祭祀遺跡としての痕跡は沖ノ島以外の場所には全く残されていないのが事実だからである。そもそも沖ノ島以外の施設を含めた形で世界遺産登録を目論んだ理由は、どこにあったのだろうか。観光振興の起爆剤として世界遺産を活用しようと考えていたのだとすれば、お門違いも甚だしいことである。安倍政権の某大臣が「観光振興にとって学芸員は癌」と発言したのは記憶に新しいが、日本人の大多数が、こういう発想でしか自らの祖先が刻んできた文化を評価できない状況は、この国が既に三流国家に成り下がってしまったことの証左ではないかと思う。深刻な事態である。

【人の振り見て、我が振りを直せ】2017.3.21
外国人に対して日本の在留資格を与えるか否かの基準は、優秀であるか否かで判断されるらしい。その基準は学歴や年収といったものらしいが、もし外国で同様の制度が設けられ、こうした基準が日本人自身にあてはめられるようになったとき、恐らく殆どの日本人は資格を得ることなど遠く及ばなくなるに違いない。日本の経済力が落ちつつある状況では尚更である。人間の存在価値を輪切りにするような制度が、何の議論もなく、大手を振ってまかり通ろうとする事態を私は憂う。米国のトランプ大統領が繰り出す政策を非難し、嘲笑しているくせに、足元の我が国自身のこうした政策に対して何故異議を唱えないのだろうか。他人の振りを見て我が振りを治すことなく、ただ非難するだけなら馬鹿でもできる。

【文化財民家の在り方】2017.1.8
寄る年波には勝てず、民家を廻る頻度が少しずつ落ちてきている。50年の人生の約半分を費やしてきた民家廻りの世界を振り返ってみると、世間における民家の存在感が少しずつ変化してきているように思う。当初は我々の生活の源泉を辿る民俗学の世界だったものが、今は博物学の世界と化しつつあるように感じる。生活における歴史的な連続性が失われ、過去にはその存在の欠片さえなかった全く新しい道具が世の中を席捲している現況では当然なのかもしれない。
また民家に付設される解説板の記述も、個人情報の漏洩を危惧してか、間取りや構造に言及するだけの建築学的なものが多く、家の歴史にまで触れることが禁忌になりつつあるように感じる。民家が人との関わりでなく、単なる物体としてしか捉えられなくなりつつあるのは、こうした背景があると思う。高度な建築技術を使用していないにも関わらず、個人の住宅である民家が、文化財として認知されるに至った理由は、何処にあったのかを再考する必要があるのではないた゜ろうか。
 

【自民党の横暴】2016.12.1
国会審議でTPP法案を可決させるか否か云々と騒いでいる中、どさくさにに紛れて自民党はカジノ法案まで通そうとしている。「日本の観光振興のために必要」といっているが、近年の外国人観光客の増加振りは半端でない。宿泊施設や観光バスの不足で、十分な「おもてなし」もできなくなりつつある状況の中で、更に治安悪化の原因となりかねないカジノを導入して底上げを図る必要性があるとは到底思えない。韓国やマカオなどアジア諸国に既にあるカジノ施設を作ったところで、日本の魅力が相対的に高まることなど決してない。再三、導入を見送った経緯がある中で、やたらに粘り強く推進するのは、よほどの利権が絡んでいるのだろうか。現首相は就任演説の際に「美しい国」を作ると云ったと記憶しているが、彼の考える美しさがカジノによってもたらされるのだとすれば、驚くばかりの感覚である。

【トランプ、終わりを始める。】2016.11.19
米国の大統領選挙の結果に、少し放心状態である。このような結果をFBIの再捜査辺りからは薄々予感していたが、起こってはならぬことと否定する気持ちが強かったため、その可能性を頭から完全に抹殺していたせいであろう。
「終わりの始まり」という言い回しがあるが、まさに「2016年という年こそが、そうであった」と後世の人々から云われるのではないかと思う。近代の歴史を振り返れば、「何故このような人物を民衆は選んだのか、もっと理性的に振る舞うことはできなかったのか」と問われる過去がある。そして、その行き着く先が先の大戦であったことを大勢の人々は知っているはずである。「歴史は繰り返す」という言い回しも使い古されたものであるが、所詮、人という生き物は、その程度のものなのであろうか。

【文化財保護と観光促進】2016.10.27
文化財の保護と観光促進では、どちらが大切なのだろうか。先日、久し振りに鑪製鉄の遺構として有名な雲南市吉田町の菅谷たたらを訪れた際のお話。地元の方は自らの故郷に愛着を感じながらも「日本遺産」などと祭り上げられ、観光地化していくことに戸惑いを感じている様子。確かに自らの生活の場が「よそ者」の好奇の目に晒されることは、余り気持ちのよい話ではない。一方で、文化財になったからこそ、自らの誇りとなる生活遺産が残ったわけで、このことに関しては感謝されておられた。私が思うに、海外からの観光客が来て、経済的な恩恵に預かる人は、文化財とは全く関係の無い一部の業界人だけで、大半の地元民にとっては、むしろ生活が破壊されることの方が多いのではないかと思う。たくさんの観光客が来ることは良いことだという発想は、あまりにステレオタイプな考えで、思考停止しているに等しい。やはり文化財は、観光資源ではなく、ひっそりと保護されるものであって欲しい。

【東京都の公共事業迷走】2016.9.30
東京都知事が交代してからというもの築地市場の移転問題に始まり、続いて東京オリンピックの施設整備費用について見積りの甘さが指摘されるなど、次から次へと過去のいい加減な仕事振りが暴露されているが、少なくとも我が国・日本において見積りの甘さは今に始まったことではない。建築費の積算に限らず、道路整備の際の交通量など、いつもお手盛りである。まず作ることありきで、とにかく始めてしまえば、あとは最後まで仕上げねばもったいないの一点張りで押し通してしまう。いつまでこういう事を続けるつもりなのだろうか。せめて事業を進めた政治家と官僚達には責任をとって公職追放ぐらいの措置はとるべきではなかろうか。

【なんで農地を潰すのか】2016.9.4
最近、近所の田圃が放置されているのでおかしいなと思っていたら、大規模な流通団地を整備するとのこと。日本という国は食糧自給率の低さを問題としながらも、平気で田圃を潰してしまう。農業の大型化を進めると云いながらも、平野部の大規模化に最も適した田圃をいとも簡単に捨て去ってしまう。何よりも農業保護のために多額の税金を投入してきたはずなのに、あっさりと転用を認めてしまう。近隣で工場の廃業が進んで、物流施設として大規模な用地を確保できない訳ではないにも関わらず、である。何か少しおかしい。
 

【国への甘え】2016.7.13
最近、怖いと感じるのは、社会福祉の充実を声高に叫ぶ人が余りにも多いことである。子育てにお金がかかるから養育費が必要という声、奨学金の返済に対しても卒業時に大きな借金を背負っているのはあまりにもかわいそうなので返済不要の奨学金を創設すべきとの声。年金受給要件の緩和や無年金者への生活保護要件の緩和、高齢者への手厚い介護や介護する側にも生活の不安がないようにするだとか挙げればキリがない。一体、国民はどこまで国の世話になるつもりであろうか。働かなくても生活の不安が無ければ働かないのが人間の性だろう。生活が苦しいと云いながらパチンコ屋に入り浸る輩に対して、なぜ税金を投入して養い続けなければならないのか。少なくともスマホを買ってゲームをピコピコ一日中している輩をなぜ国が面倒をみなければならないというのか。子を育てる親や義務教育を終えた人間、現役世代を終えて余生を送る老人、全て社会人である。一人前の社会人として自立した人間に育てるため、崖から突き落とす厳しさも必要ではないかと思う。甘い汁を与え続けることが社会福祉ではないと思うのだが。
 

【熊本地震】2016.4.29
熊本の地震被害は思っていたよりも酷い様である。「古い家は例え地震保険に入っていたとしても、建物としての評価額が低いので、あまり保険金の額は多くはならない」と知り合いの保険屋さんが云っていたが、最低でも生活再建できる程度に保険金が支払われれば良いのだが。ところで文化財の被害としては、熊本城や阿蘇神社が取り上げられることが多いが、西原村にある登録文化財の矢野家住宅や竜北町の県指定文化財の伊藤家住宅でも深刻な被害が出ているようである。少し落ち着いてからでも良いので、きちんと修復されることを願うばかりである。

【お子ちゃまの国、日本】2016.4.13
少し以前まで通勤路の途中に家電製品を無償で引き取ってくれる業者の廃品置き場があったのだが、現在は事情により閉鎖されている。敷地にはバリケードが設けられて、事業を止めているということは一目瞭然なのだが、夜間に勝手に廃品を置き去る人が後を絶たない。ご承知の通り、家電製品は廃棄にお金がかかるので、その僅かな費用を惜しんでのことだと思うが、何とも情けない話である。誰が捨てたか判らなければ、平気でこういう振る舞いをするのが今の日本人である。「保育所落ちた、日本死ね」と匿名のブログの書き込みが新聞や国会で取り上げられていたが、これも誰が書き込んだか判らなければ、何でもアリの心根で書いたものであろう。まるでお子ちゃまの国にいるようである。

【震災復興のもどかしさ】2016.3.10
東北の震災から5年が経とうとしている。未曾有の大惨事であったことは間違いない。ただ、5年が経過して復興がこれから本格化するという報道を聞いて少し呆れている。膨大な予算を費やしながらも今まで一体何をやってきたんだろう。今更ながら町を復興しても人が戻らないのでどうしたら良いのかという話も聞く。私の個人的な見解では、小さな自治体単位で総花的な復興をしているからこういう事態に陥るのだと考える。震災がなかったとしても過疎化が進んでいた東北の寒村に膨大な費用を投じてどうする。自然の摂理に抗うことの難しさを震災は教えてくれたではないか。人が社会を構成し、その中で自立して強く生きていくためにはどのような施策を講じればよいのかをもっと考えるべきである。人が本来持っているはずの強さを引きだす施策を。

【野田元首相】2016.2.23
私は最近の日本の歴代総理大臣の中で誰が好きかと問われれば、間違いなく野田さんである。理念のために我が身を犠牲にすることを厭わなかった稀有な存在だと思っている。ただ互いに違う方向を向いている民主党という政治団体に所属していたことが彼の政治家としての評価を下げている。先日の安倍首相との論戦でも、実に見事で潔い態度であったのは野田さんの方である。けれどネットでの評価は民主党憎しの感情からか、酷いものである。どこの世界でも人が大勢集まれば、自分が思った方向に物事が進まないことはよくあることで、それを理解せずに個人の努力を顧みない云い様はあまりにもお粗末である。まずは高潔な政治家を個々に応援することが大切なことだと思う。育児休暇を求めたり、人種差別発言をしても悪びれない稚拙な政治家は排除して、きちんと本物の政治家を評価すべきだと思う。
 

【スマホ中毒の親達】2016.1.16
最近気になる光景をよく見かける。公園で元気に遊ぶ子供たちの傍らで、親がスマホに夢中になっている姿である。子供たちが話しかけても、画面から目を離すことなく生返事である。彼らは一体、何のために子供と公園に来ているのであろうか。そのくせ最近の親は、すぐに「子供が大事」、「家族が大事」と平然と言ってのけ、他人から文句をつけられると狂気じみた対応をする。おかしいと思わないのか、お前たち。スマホなんて早く捨ててしまえ。
 

【大衆の無知ほど怖いものはない】2015.12.22
先週の日曜日にNHKの新・映像の世紀を見た。第3話となる今回は、ナチスドイツの勃興から第二次大戦を経てアウシュビッツからユダヤ人が解放されるまでの時代をドキュメンタリー映像で綴る内容。疲弊した経済を立て直すために公共投資を拡大させる一方、民族の優位性を訴えかけてドイツ国民の圧倒的な支持を得たアドルフ・ヒトラー率いるナチス党。そして人々はユダヤ人の迫害を知りつつも目を逸らし続け、自らは近隣各国を併呑して得た富により豊かな生活を謳歌する。人間という生き物の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。翻って、今の日本。日本人は中国人よりも優秀ですか? 韓国人よりも優秀ですか? 日本という国は美しい国なのですか? 思考を単純化させ、感情を煽るような風潮は無いですか?

【世界遺産の粗製濫造に思う】2015.11.5
何の世界でも同じだと思うが、最初の頃は目新しさに引かれて人が集まるが、気を良くして規模を拡大すると、途端にそっぽを向かれる。飲食店などが良い例で、最初は手造りで僅かな量しか作れなかったため希少価値も相俟って行列ができるような人気振りだったものが、同じ味を維持する目途が立ったと云って量産化した途端、客足が途絶える。何とも人の気というものは実に難しい。何の話がしたいかと云えば、世界遺産の話である。最近の粗製乱造振りは目に余る。地域のエゴで世界遺産に立候補する事例が実に多いように感じる。そしてその暴走を止めることが全くできない文科省。観光立国を掲げ、設定した訪日外国人数ばかりを追う痴呆振りに、文化の根幹をないがしろにして、ひたすら観光地化を図ることの手助けしかしない。いずれ「日本の世界遺産はしょぼい」とツィツターされる日も近い。用心、用心。
 

【消費税導入に対する軽減策】2015.10.17
17年の消費税を10%にする際に食料品に対しては軽減税率が適用となるように公明党が求めている問題、社会福祉予算が厳しいので消費税を上げるのだから、その恩恵を受けるはずの社会的弱者に対して、本当はどちらが優しいと云えるのだろうか。消費税を十分に取れないのだから社会福祉関連予算に充てるお金が無いというのでは本末転倒である。変な軽減システムを導入して経理処理が煩わしくなるぐらいだったら、潔くすべきではないかと思う。また新聞や書籍についても盛んに軽減税率を適用せよとの声が上がっているようだが、普段は社会の在り方を問うている高慢な輩が、変なところでセコイ話をするものである。大所高所からの意見では、消費税導入は悪ですか?
 

【安保法案】2015.9.29
安保法案の改正の議論は本当に難しい。日本は立憲国家であるのだから憲法の定めから逸脱する法律は作れないはずである。そして今回の集団的自衛権の拡大解釈が違憲であるか否かを問われれば、限りなく「黒」だと思う。一方、国際環境は10年前とは激変していることも事実で、中国の脅威を感じる今、軍備増強の必要性も感じないわけでもない。ではどうすれば良いのか? 素直に考えれば、憲法を見直して自衛隊を派遣できるようにすれば良いかと思うのだが、憲法の見直しは並大抵のことではない。まさにジレンマの世界である。けれど集団的自衛権を行使しなければ、日本の国土は守れないのか、日本国民の命は守れないのか、と問われれば、そんなことは無いはずである。(海外にいる邦人の保護に自衛隊を派遣できるようになることを国民の命を守ると訴えているが、僅かな邦人救出のために戦争を起こすことになってもいいのかというと、違うと思う) いろいろ考えた末、自衛隊の増強は行うべきであるが、集団的自衛権の拡大解釈には反対であるというのが私自身の結論であろうか。まあ安保法案は既に可決されてしまったので、今更の話ではあるが。自民党の主張は、日本国民を直接に守ることではなく、アメリカに恩を売ることで日本を守ってもらうことにあるというように思えるのだが、違うだろうか。・・・・・・民家とは何の関係もない話でしたが。

【オリンピック騒動】2015.9.1
2020年の東京オリンピック開催にあたって、いろいろ問題が噴出している。国立競技場の建設費の事、五輪エンブレムの盗作疑惑。これ程情けないスタートを誰が予想したであろうか。五輪開催決定の高揚感など今は全く過去の出来事である。けれど一番心配するのは五輪本番の事。北京、ロンドンと実に素晴らしい開会式や閉会式の演出が未だに私の頭にはしっかりと刻まれているが、果たして今の日本人に、あれに匹敵するだけの演出をまとめ上げることが可能であろうか。例えば、日本を代表する放送局・NHKでも、1年で最も威信を問われる紅白歌合戦を見ていると、ジャニーズ軍団のオンパレードでまるで幼稚園のお遊戯大会である。競技場さえも計画が立たない現段階で、先の事など心配しても詮無いことかもしれないが、もう少し大人にならないと、日本人。
 

【青森の事】2015.7.27
先日、20年振りに青森県に行ってきた。岩木山麓に広がるリンゴ畑の木々は幹も太くなり、長い歴史のみが紡ぎ出せる重厚な雰囲気が風景に感じられるようになっていた。お目当ての岩木山神社もやはり美しかった。これ程に風情の良い神社はそうあるものではない。「青森の方言は他国の人が耳にしても理解できない」と云われるように閉鎖的な土地柄を想像してしまうが、神社仏閣に関しては京や江戸に負けない水準を誇るものではないかと思う。少なくとも文物に関してはむしろ積極的に良いものを取り入れた観がある。また降雪により冬場の活動が制限された風土ゆえに、じっくりと文物を愛でる力を育むことができたのかもしれない。青森県、なかなかに良い所である。
 

【鈍感な日本人】2015.4. 
先日、TVを見ていたら元東京都知事の石原慎太郎氏が「先の大戦における日本の南方侵出について卑下することではない」と話をしていた。「日本のおかげで戦後の早い段階で欧米植民地から独立することができたと各国の指導者層達から感謝されたことがある」との話である。そして「懺悔ばかりを云い募る最近の学者共は何も判っちゃいない」と罵倒していた。私は、こういう物言いをする人が大嫌いである。自分の意見だけが正しく、他者の意見は一顧だにする価値さえ無いような物言いのことである。なんで東京都民はこのような人に嘗て大量の票を投じたのであろうか不思議でならない。そしてその発言内容についても一言云いたい。欧米植民地からの独立は結果であって、日本の侵出はそれを後押しするためのものでは決して無かったという事実を忘れてはいけない。日本が欧米に伍するため、アジア各国を植民地化を図った行為は歴史的な背景として已む無き選択であったというのも事実であったのかもしれない。だが、それは日本人にとってのみ都合のよい理由であって欧米による植民地よりも日本による植民地の方が良いに違いないというのは勝手な言い分である。そして戦後の平和主義の時代に嘗て多大なる迷惑を懸けた国々に償いをするのも歴史的な背景とも云えるのではなかろうかとも、私は考える。話は飛ぶが、沖縄の普天間基地移設問題が混迷の度を深めている昨今の状況を見るにつけ日本人は他国(嘗ての琉球国であった沖縄を含む)の人や土地に犠牲を強いることに対して未だに鈍感な民族なんだなと思う。日本人は、その身勝手思想から一体いつになったら卒業できるのであろうか。

【屋久島に行ってきた】2015.1.16
先週末の3連休に屋久島に行ってきた。九州最高峰の宮之浦岳を目指したが凍えるような冷たい風に山頂目前で登頂を断念。同じ山小屋で2日間過ごすことに。初めて見る屋久杉の圧倒的な存在感も然ることながら、意外にもかなりの奥山まで屋久杉が伐採されてきたことに驚き。明治初期の貴顕の邸宅に、あれだけ屋久杉の天井板が使われているのだから当然と云えば当然かも。当時の人たちに節操という概念は無かったのかもしれないが、人間の業の深さにも圧倒された旅であった。
 

【自国を守るため以外に行う戦争なんてあるのか】2014.7.2
昨日、集団的自衛権の閣議決定を受け、首相が国民に丁寧に説明したようである。けれど記者の質問に対して、いつものように噛み合わない。恐らくこの人の丁寧さとは、ゆっくりと自分の言いたいことだけをしゃへることに違いない。自衛隊を国民の命を守るために活用するということは良く判る。当たり前の話である。しかし問題は従来の受動的な防衛から能動的な防衛に移行すべきか否かということなのであろう。国民は能動的な防衛が世界に誤解を与えることを恐れているのだ。国民に納得のいく説明さえ十分にできない首相に、万が一の有事の際、日本は相手国に対し能動的な防衛に徹していると説明し、理解を得られるだけの能力を果たして期待しても良いのであろうか。

【見えづらい生活水準の低下】2014.6.18
今朝、トイレの棚にトイレットペーパーを補充しておこうと思って気が付いた。同じ大手メーカーの製品なのに「巻きが細い」、「芯にメーカー名の印刷が施されていたのも無くなっている」。そういえば時々買う定番のビスケットも個包装になったのは良いが、実質ボリュームダウンである。かといって価格はあまり変わらない・・・・。こうやって日本人はだんだんと貧しくなっていくのであろうが、企業も判らないように上手く対応するため、なかなか気が付きにくい。他国の経済発展を直接、目にしない限りは日本の立ち遅れに気が付くことも余りない。こうした目に見えない実質値上げは日本人が安穏と日々を過ごしてしまう遠因になっているに違いない。

【集団的自衛権の国会審議の茶番】2014.6.4
日中は仕事があるので滅多に聞くことは無いのだが、出張帰りの先日、ラジオで集団的自衛権について国会中継されていたので興味深く聞いた。けれど首相の答弁が論点に正面から答えることなく、自分の意見なのか、諮問委員会の意見なのか主語をちゃんとつけないものだから議論が度々空転する。全く聞くに堪えない。途中からチャンチャラ可笑しくなってきた一方、こんな進め方で今後の日本の針路が決まるのかと思うと空恐ろしくなってきた。私はこの問題に関しては憲法解釈の変更等で対応可能だとか、個別の具体的な事例を挙げて検討するという様な考え方では、全く駄目だと思っている。そんなことでは実際の有事の際には対応の是非を検討している間に決着が付いてしまいかねない。ただ、ここで賛成か反対かの旗幟を鮮明にしようとは思わないが、きちんと真っ当な議論だけはして欲しい。何となくの風潮だけで物事を判断する日本人の気質は余りにも危うく、先の太平洋戦争にしても開戦時には多くの日本人が賛成していた事実を忘れてはいけない。

【石動山の過ち】2014.5.12
今年の黄金週間は、久々に能登半島に足を伸ばしてきた。そこで気になったことを1つ。最近、国の史跡指定を受けた修験の地として名高い石動山では明治の廃仏毀釈により山内の殆どの施設は破却され、神社施設以外では唯一僧坊として旧観坊が残されるのみである。しかし現在は無住で公開もされていない。一方、国の史跡になったことを受け、建物の破却により空き地となっていた本坊跡地に巨額を投じて本坊建物を十分な資料が残っていないにも関わらず、それらしき建物を再建し公開している。こんな状態はおかしくないか? 本物を疎かにし、偽物に巨費を投じる。文化財に粉飾してまで観光という経済的利益を過度に期待する風潮はおかしいとは思わないですか。礎石の跡だけではダメだったのですか。兵庫但馬の竹田城は建築物の一切は失われ、石垣しか残っていないが、凄い人を集めている。石動山は偽物の建物に頼らなくても十分に素晴らしい遺跡だと思うけどなあ。

【安易なお祭り気分】2014.4.17
最近、どこの町でも観光に力を入れ始めると、町の至るところに幟を立てる事例を見受ける。安価にお祭り気分を盛り立てることができるからだろうが、民家の前にやたらと立てるのは勘弁願いたい。写真を撮る際の邪魔以外の何物でもない。古き良き風情を売り物にして公開しているにも関わらず、その様子を台無しにしてしまっていることに是非とも気づいて欲しいものである。

【耐震補強工事】2014.4.6
以前にも書いたことではあるが、最近の文化財建造物の耐震化工事には本当にうんざりする。民家の修復工事の場合、多額の費用をかけて往時の姿に戻すのに、なぜ耐震化という現代の妙な技術を混在させてしまうのだろうか。私は行く先々で耐震化工事をみかけると案内の人につい悪態をついてしまうが、民家を愛する誰しもが、こんな評判の悪いことを本当は厭がっている。案内の人たちは釘を使わない伝統的な往時の工法を褒め称える一方で、耐震化工事が行われた現実にその欠陥を認めざるを得ない。そして訪れる人々は次第に在来工法を否定するように気持ちが揺れ動いていく。文化庁のお役人は本当は民家を、日本の文化を愛していないのではないだろうかと心底思ってしまう。

【PM2.5】2014.3.10
私の住む地域では最近PM2.5が酷い。晴れた日の昼前後になると霧がかかったかのように遠くがぼやけて見える。外出時にはマスクは必携で、以前のようにカメラを持って町をブラブラ散歩しようなどとも思わなくなった。少し恨めしい。

【小豆島の農村舞台】2014.2.13
先日、小豆島の肥土山農村舞台を見てきた。これまでに川崎や服部緑地、四国村の民家園で移築再現された農村舞台を見たことはあったものの、現地を訪れるのは初めてのこと。やはり本物は違う。演劇を神に奉納する意味合いもあるため神社の境内と一体となる形で舞台は設えられているが、何かしら怪しげな雰囲気さえ感じられるのである。神様だけでなく、いろいろな魑魅魍魎も集まって楽しんでいくのではないかと思わせるような独特の空気を感じるのである。訪れたのは、ちょうど逢魔が刻。そそくさと逃げるように舞台を離れてしまった。
 

【鰻重の危機】2013.12.23
この3連休に久し振りに鰻屋に行った。鰻の稚魚が獲れないため鰻の仕入値が高騰、玉突きで鰻料理の値段も上がっているという報道は夏頃のことであったか。私は大の鰻好きだが、資源保護の観点から今年ばかりは鰻屋に行くのは控えるべきかなと思っていたが、一方で鰻屋さんが潰れても困るので、年に1度くらいは行っておくべきかとと思い直し、妻と2人でいそいそと出掛けた次第。しかし驚いた。鰻重に痩せた鰻が半身しか入っていないではないか。価格は1人前が2000円。昨今の鰻重の価格としては良心的な価格設定かもしれないが、鰻重で半身はありえない。心もお腹も満たされることなく店を後にしたが、こんな状況下でも夏場に牛丼屋が平気で鰻丼を売っていたことを思い出した。このままでは近い将来、鰻も絶滅危惧種に指定される日が来るに違いない。日本人の節操が問われる事態である。
 

【東京都知事への追及】2013.12.17
東京都の猪瀬知事が医療法人徳州会から5000万円の提供を受けていた問題、都議会での追及を見ていて呆れた。知事が金を受け取ったことは間違いないことなのだから、金の受け渡しや保管方法を追及して何の意味があるのだろう。要は徳州会に対して、便宜を図ることがあったか否かが問題ではないのか。5000万円が知事が用意した鞄に入るか否かなんて茶番も甚だしい。もう少し本質的な部分での追及を風見鶏みたいな都議会議員さんたちには望みたいものだ。

【映画ハンナ・アーレント】2013.12.9
昨日、町に出て「ハンナ・アーレント」という映画を見た。ハンナは第二次大戦時にドイツ第三帝国によるユダヤ人迫害を逃れてアメリカで活躍した哲学家である。彼女はナチス党員でユダヤ迫害に加担したアイヒマンの裁判傍聴を通じて平凡な人間が「物事の善悪を考えずに組織の一員として犯す悪」について現代社会に警鐘を鳴らすが、過去に迫害を受けたユダヤ系の人々にとってアイヒマン擁護の論説だとして逆に大学から排斥を受ける。
「常に考え続けることこそが、人間にとって最も大切なこと。」いとも簡単に付和雷同する多くの日本人に、一度見てもらいたい映画である。


【国の責任・公務員の責任】2013.11.17
昨日、新聞を読んでいたら政治欄の片隅に「公務員の給与を元に戻す」といった記事が掲載されていた。東日本大震災の復興財源に充てるため一律7.8%カットしていた措置を来年度から止めるということらしい。民間企業に給与UPを要請していることもあり、公務員に対しても率先する意味合いで実施するとも云っているようである。けれどよく考えてもらいたい。原発事故は未だ収束していないし、東京電力の社員は公務員どころではないレベルに給与カットされたままである。自民党は原発事故に対して国の責任を先般ようやく認めて重過ぎる腰を上げたばかりというのに、もう公務員の給与は元に戻すというのか。国の責任とは政治家や公務員に果たしてもらうべき事柄ではないのか。少なくとも原発事故が収束するまでの間は元に戻さない、あるいはもっと下げる等の責任をとり続けてもらう必要があると私は思うのだが。 

【農地のあり方】2013.10.24
最近、我が家の周囲の田圃が次々と宅地開発によって失われている。「こんなにまとまった田圃を潰してもいいのかい」というぐらいの規模で、すごい勢いである。恐らく消費増税前の駆け込み心理とアベノミクスという怪しい言葉に踊らされて需要が一気に高まっているからに違いないが、何よりも農家の後継ぎ連中が、苦労をしてまで米を作り僅かなお金を得るよりも、高値で売れるときを狙って一攫千金を濡れ手に粟で目論んでいるという供給側の事情も絡んでいるようである。けれど、これまで農家に対して十分過ぎるほどの税金を投入してきた経緯はどうなるのだろう。食糧自給と国土保全を名目に多額の補償をしてきたにも関わらず、あっさりと土地を売らせて、宅地化させても良いものだろうか。日本と云う国は実に土地利用計画が緩い。個人の財産に対してモノを申さない役所の姿勢も如何かと思う。かつては公というものが尊いとされたが、今はその反動が過ぎるようである。もう少し何とかならないものだろうか。
 

【日本人の節操】2013.10.20
私は最近の日本人が嫌いである。昔の日本人が好きだったかと問われたら、昔の日本人のことはよく判らないので、「最近の日本人」に限定するのは間違っているかもしれないが、とにかく人々の節操の無さが気に障って仕方がない。先日もテレビを見ていたら加盟国による関税撤廃を目指すTPP交渉について政治家が「攻めるところは攻め、守るべきところは守る」と居丈高な発言をする。そんなに我が国にだけ都合のよい交渉が可能だとは人々は既に思っていないにも関わらず、平気な顔をして国民を騙し、そして世界を呆れさせる。そしてマスコミも日本の主張だけが簡単に通ることはありえないことを理解しながらもわざと意地の悪い質問をする。厭な連中ばかりである。

【2020年オリンピック東京開催決定】2013.9.15
2020年のオリンピックの開催地に東京が選ばれた。「おもてなし」なる言葉が招致活動の決め台詞のように連呼されたことには経済優先で物事を考える風潮が蔓延する昨今の日本において違和感を感じないわけではないが、まあ久々の明るいニュースなのであまりシニカルに考えない方が良いのかもしれない。そこで「おもてなし」の方法について以前から考えていたことを披露したい。皇居脇の北の丸公園内に民家を移築あるいは新築して外国の方々に日本の伝統文化を体感してもらってはどうだろうか。江戸城の本丸御殿を復原できたら最高かもしれないが、あまりに素っ気ないものになりかねないので、人々の生活の営みが感じられる民家など面白いと思うのだが。
 

【2013年夏の旅行】2013.8.27
「今年の盆休みは、民家の旅ではなく、避暑に行きたい」という愛妻からのプレッシャーに負けて、今年の夏は北海道。けれど15年振りの北海道に、やはり民家を訪ねずにおれる訳がない。「北海道の鰊番屋は凄いよ」と云って誘い水。優しい奥さんは少しだけ協力してくれました。北海道のページに写真だけUPしています。北海道の民家にはロマンを感じるんだなあ。
 

【富士山世界遺産登録】2013.6.22
本日、富士山が世界遺産に登録された。当初は自然遺産としての認定を目指したが、難しいとの判断により文化遺産としての認定を目指し、その結果である。けれど現在の日本人に富士山を文化的な存在として捉えている人がどれほどいるのだろうか。信仰に基づく富士講といった習慣は遠の昔に廃れている。多くの人々は美しい富士の姿に見惚れているだけなのではなかろうか。それにも関わらず、是か非でも世界遺産の認定を目指す現在の日本人を私はおよそ文化的とは思わない。 

【日本の民家1955】2013.3.10
先日、ようやく東京・汐留で開催されている「日本の民家1955」を見に行ってきた。平日の夕刻にも関わらず、そこそこに入場者がいて、意外な思いであった。正直な感想を云えば、「建築家の写真展だな」というもの。建築の美しさ、造形の素晴らしさを記録に残した写真という印象である。「別に1955年でなくても良かったんじゃないの」と思ってしまった。これはあくまでも私の勝手な期待であるが、1955年という文言が付くからには、その当時にしか残っていなかった生活の息吹のようなものが感じられる写真を見たかった。まあ建築家はデザイナー志向だから、仕方がないけどね。

【民家は生きていた】2013.2.21
先週、近所の紀伊国屋書店に行き、建築本のコーナーをふらふらしていたら、何と伊藤ていじ先生の「民家は生きていた」が鹿島出版会から再刊されているではないか。以前の美術出版社刊(1963年初版)よりも立派な装丁になって、値段も3600円(以前は980円)と、これまた立派になっている。以前に旧版を中古市場で3800円出して買っているにも関わらず、躊躇せず買い物カゴに入れたのは云うまでもない。この本は民家好きにとってバイブルのような存在だと私は思っている。専門的な用語使いを極力避け、読み物として民家が何を語っているかを教えてくれる一冊である。是非、一家に一冊、オススメである。
 

【久し振りの「日本民家園」と展覧会「日本の民家1955年」】
先週末におよそ17年振りに神奈川県の川崎市立日本民家園を訪れました。この民家園は私が東京に住んでいた際には毎月のように通っていたところで、本当に懐かしかったです。あいにく前週末に降った雪が未だ溶けずに残っており、足元がぬかるみ、最悪のコンディションでした。汐留ミュージアムで開催されている「日本の民家1955年」も見に行こうと思っていたのですが、民家園に行って満足したので、パスしてしまいました。少しもったいなかったかな。
 

【大阪府指定文化財渡辺家住宅の解体】2012.11.29
今日、NHKのクローズアップ現代で大阪の淀川区にある府指定文化財の渡辺邸の解体の話が放映された。実はこの話を知ったのは2週間ほど前のこと。大変なショックで、その晩はよく眠れなかったほどである。そもそも私が当住宅の存在を知ったのは約20年くらい前の事。昭和42年に刊行された「大阪府の民家」に写真が所収されており、これを見た私は、その素晴らしさにいそいそと見学に訪れたものの、門前の「拝観お断り」の貼り紙にスゴスゴと引き下がったことを今でもよく覚えている。文化財に対する思いは、所有者の世代交代が起きた時に表面化しがちである。また思いだけでは到底維持できない現実もある。当住宅の保存に当たっては大阪府は「財政難の折、買い取りはできない」と回答したということであるが、コスト一辺倒で文化的なゆとりを評価できない維新の会の幹事長をしている低能知事らしい対応である。
確かに文化財を維持していくためには費用はかかるものである。しかし文化財というものに行政が関与するとき、余計な史料館を併設したり、余計な耐震化工事を行ったり、公開に向けた周辺整備工事を行ったりして無駄なお金を費やしていないだろうか。大切なことは過去に先人が築き上げてきた本物を残すということである。本物の買収費用よりも付帯工事に振り向けられる費用の方が大きいなどという本末転倒な対応は見直すべきである。財政難というならば、とにかく本物の部分だけでも残す努力をしてほしいものである。
 

【期待できない政治】2012.11.22
衆議院議員選挙が始まるようである。しかし今度の選挙は難しい。民主党政権に愛想を尽かした多くの国民は、残された選択肢として自民党に票を投じることに躊躇しているのではないだろうか。「自民党は生まれ変わった」と主張するゾンビのような安倍総裁の選挙公約を聞いていて、相変わらずの呆け振りに驚かされる。彼は「自民党は民主党のように実行できない約束はしない」と意気軒昂に演説しておられるが、その自らの公約の中身は「TPPへの参加は皆で議論をする」というもの。はあ〜っ。議論することを約束するのですか、自民党さんは。馬鹿じゃないの。議論することは当たり前でしょ。もうちょっと何とかならないものだろうか、自民党さん。今度は民主党に入れちゃうぞ。

【大学が増え続ける問題】2012.11.8
田中真紀子大臣が大学の設置を認可しなかった問題、見事な対応と喝采していたら、敵は身内(民主党内)にもいて、あっけなく撤回。残念である。「手続きが既に進んでいたのに認めないのはおかしい」と関係者のみならずあらゆる評論家やマスコミなども非難を浴びせたが、では聞きたい。「そもそも大臣の承認は形だけのものだったのだろうか?」
私は大局的に真紀子大臣の考え方に賛成だし、彼女が決定権者であるならば、彼女の決定が全てではないのかと思うのだが、間違っているだろうか。民主党も以前には官僚支配からの脱却、政治主導と唱えておきながら、政治主導で大局的な見地から認可は妥当ではないと判断した彼女の行動を非難してどうする。
「子供たちの学ぶ権利を守るため」なんて云っている輩は実に危うい。学びたくて大学に入った連中が高校の数学を勉強し直すという現状はおかしくないのか。学びたいのではなくて、大学という学歴だけが欲しい連中に対して、4年間の時間とお金を浪費させ、かつ莫大な税金を投入するほど、日本にはもう余裕がないことを自覚してもらいたいのだが。
 

【登山ツアー客遭難に対する日本人の平和ボケ】2012.11.8
中国の万里の長城で大雪のためツアー客が遭難事故した問題、日本のマスコミはツアーを企画した旅行会社を責める、責める。けれど山を登る人間であれば、こういうことに遭うことも覚悟しているものなのではなかろうか。その証拠に一人生きて帰って来られた方は、旅行会社に対して非難めいたことは一切おっしゃっていない。マスコミと平和ボケした一般人だけが騒ぎ立てている。「旅というものは、そもそもある程度、危険が伴うものである。」というのが私の持論である。特に今回のような登山旅行では旅行会社の主催ツアーであろうと自らの判断で事を行い、自分で責任を取るというのが、大人というものだろう。上げ膳、据え膳のような旅が当たり前と考えている子供のような輩が、殊更に問題を大きくし、大人の足を引っ張っているように思えてならない。

【地方の発信力】2012.10.17
平成の市町村大合併によって行政の効率化が図られるようになったことは、税金を納める者にとっては喜ばしいことである。が、私の実感としては地域の文化財に対する愛着の度合いは、これを契機に極端に希薄化しているように感じられる。簡単な例で云えば、統合した後の市町村のHPで文化財の紹介が殆どなされなくなっている。観光的な価値を持つ文化財に関しては掲載されている例は多いようであるが、そうでないモノに関しては殆ど何も掲載されていないことが増えたように感じられる。こういう傾向が続く状況に、「何が地方の時代、地方からの発信の時代だ」と私は云いたい。
 

【尖閣諸島のこと】2012.9.30
最近、尖閣諸島や竹島の領有権問題で世間が喧しい。双方が主張している領有の根拠となる事実さえもお互いに共有できない有様にもどかしさを感じる。しかし、こうまで互いにすれ違うと、我々日本人は日本側の主張に理があるように思ってきたが、果たして本当に事実なのか、後ろめたい事実が隠されていないのか疑問に感じてしまう。中国人や韓国人が政府によって洗脳されていると日本人は主張するが、果たして我々日本人は大丈夫なのだろうか。学者さえも互いに見解を一にできない状況なのに、政治家や一般人が互いの主張を認めあうことなどできるのだろうか。
 

【重伝建の功罪】2012.9.16
前回に引き続いて重伝建のことである。最近になって重伝建地区に選定される地域がかなり増えてきているように感じられるのであるが、このことは本当に意義のあることなのだろうか。その地区に住まいする人々の努力なしでは選定も難しいことは百も承知しているが、重伝建という枠組みが果たして意義のあることなのだろうか。この制度を活用することで本当に住民の意識が向上し、その地域の伝統を継承していくという意識が芽生えたであろうか。日本人は建前を重視する傾向にあるため、こうした点についてアンケート調査すると、必ず良い回答結果になることが多いが、果たして本音としては如何であろうか。地域の伝統を守るということについて、地域の住人全てが、そうした気概を持つ人々の集合体であれば、何も云うこともないが、現代のように多様な価値観を持てる時代に、伝統は守るべきものと無理強いしても、個々人の認識を変えることなど難しいのではないだろうか。私は文化というものは自然発生的なものだと思っている。決して無理に強いるものではない。その意味で現在の重伝建の制度は決して自然発生的なものではなく、半ば強制的に事が進められているような気がしてならない。私は重伝建という面で保護する制度は止めて、やはり個別に文化財指定する民家を増やしていくことが望ましいのではないかと思っている。

【重伝建について思うこと】2012.9.16
最近、重伝建地区を歩いて気づくことは伝統工法で建てられていない現代住宅の修景工事である。簡単に云うと地区内にあるプレハブ住宅を道路に面する前側だけでも町並の風情に合うように伝統工法で化粧直しを施すというものである。こうした事業は有意義なことのように思われるが、そこに投下される費用について国民的なコンセンサスは得られているのか。要は文化財でないものに対して多額の費用をかけることが果たして有意義な税金の使い道といえるのか。こうした工事がなされる一方で文化財や文化財級に価値のあるものが維持困難により荒れて、失われていく現実がある。地方都市の財政困難から本当は地域の文化として残しておきたい民家が買収も儘ならず、解体されていく様子をどれほど見てきたことか。本来、残すべき価値あるものを置き去りにして、外観だけをまねたモドキ建築に費用を費やすことが、文化財行政として正しい姿なのであろうか。 

【2012年の夏休み】2012.8.21
毎年、盆休みを利用して旅行にでることを慣わしとしているが、「盆休みに旅行なんかしていていいのか」と云われることが多い。どうやら盆休みは先祖を偲ぶもので、旅行などして享楽に耽っている場合ではないのではないかと非難されているようである。しかし現実には、こうした機会を利用しない限り遠出なんかできないのである。先祖を敬う気持ちは常に心の中にもっているから盆だからといって特別なことはしないのだ、とブツブツと小声で云いながら、今年も3400kmほど走ってきました。わはは。

【おおかみこどもの雨と雪】2012.7.28
こうも毎日うだるような暑さが続くと、民家探訪はもちろんお休みである。こういう時は涼しい映画館に行くべし、ということで細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」を観てきた。主人公の女性が狼男と結婚して子供を産むのだが、この子たちが気を許すとすぐに狼に変身してしまうので、人目を忍ぶため山奥の民家に移り住むことを決意する。その移住先の民家がなかなか味のある民家なのである。なんとなく富山県辺りを舞台に想定している様なので、手本にしたのも富山の民家なのかなと思うのだが、そうでないような気もする。はっきり云ってよく判らない。架空の民家だとすると、かなりよく描けている。いずれにせよ、とても良い映画なので皆さんもぜひ観てみてください。 

【水無月】2012.6.27
今日、たまたま昼過ぎにNHKラジオを聞いていたら、6月の陰暦である「水無月」という呼び方について解説されており、とても感心したので書いておこうと思う。随分以前から梅雨時分なのに「水が無い月」と書くのは何故だろうと思っていたが、本来は水月と書いていたのではないかとのことである。水上と書いて「みなかみ」、水底と書いて「みなぞこ」と読むように、発音を「みなづき」としたは良いが、いつのまにか「な」の発音部に無が付着してしまったのではないかとのことである。NHKラジオは実に勉強になる。
 

【この国の政治】2012.6.9
日本の経済力が低迷を続けて20年近く経過する。普段の生活においてもスーパーから高級品が姿を消し、街行く車は軽自動車や小型車が増え、何となく日本全体が貧しくなってきていることを実感する。こうした中で尖閣諸島問題における東京都知事の発言や行動である。経済が下降する状況の中でナショナリズムを扇動するような政治の動向が私を不安にさせる。私は戦前の世相というものを知る世代ではないが、故にこそ慎重に物事を見極めるべきだと思っている。嘗ての過ちを繰り返さなければ良いと思うが、ネットでは丹羽中国大使を中傷し、石原知事を褒め称える意見が大勢である。本当におかしなところはないのであろうか。東京都が尖閣諸島を購入することが正しいことなのであろうか。
仮想敵は云うまでも無く隣国・中国である。確かに中国の台頭振りには驚かされる。傍迷惑な動きも多々ある。はっきり云って警戒すべき対象だとも思う。しかし私が最も恐れるのは、ここ数年の日本と云う国の大衆迎合的な政治の無様な有様である。東京都知事の傲慢で偏狭な老害とも云える恫喝的発言に対し、シベリアンハスキー犬みたいな目をした外務大臣までが簡単に同調する。この国の責任ある立場の政治家達が、自らの国を代表し、最前線に立つ人間の発言を真意も糺さず、いとも簡単に罵倒する。こんな軽い国で良いはずがない。

【沖縄のこと-テンペストを読んで】2012.6.2
先週の日曜日に買った「テンペスト」を昨日までに一気に読み上げた。現在NHKで放映しているドラマの原作本である。ドラマが面白いということもあるが、今年は沖縄返還40年ということで、個人的に沖縄に関心を抱いているのである。
読後に思うことは、やはり沖縄は日本ではなかったということである。もちろん中国でもない。琉球国なのである。近代において西欧列強による植民地化を回避するため大日本帝国が琉球を併合した歴史については、それが琉球にとって良かったのか、悪かったのか私には判らない。ただ、現代のように小国家の主権がある程度尊重され、侵されることのない時代にあっては、沖縄は琉球国として独立することが本当は幸せなのではないだろうかという気持ちにさせられた。沖縄には日本の国土の一部になった故に沖縄戦で前哨基地となり、殆ど壊滅状態にまで陥ったという歴史がある。戦前の民家が数えるほどしか残されていないという事実が全てを物語っている。沖縄に残る文化遺産の殆どが近年になってようやく修復されたものだということを知っておくべきである。本当に何もかもが失われたのである。最近、沖縄に興味を持ち始めた私がつとに感じるのは、沖縄の歴史・文化に関する書物が極端に少ないことである。我々日本人は、沖縄に対して犯した過ちをあまりにも簡単に忘却の彼方に追いやっているような気がしてならない。
 

【大事にすること】2012.5.24
以前、島根県の津和野を訪れた際に、SLの写真を撮っている若者に出会った。津和野はSL山口号の終着駅なのである。ふと彼のカメラを見るとフィルム式。デジカメ全盛のこのご時世に珍しいなと思って「何か思い入れがあるのか」と尋ねたところ、「単にデジカメを買うお金が無いだけです」と答えが帰って来た。申し訳ない質問をしたなと思ったが、彼は意に介さずにこれまで撮り溜めた写真を嬉々として見せてくれた。「遠出をするゆとりが無いので山口線沿線を中心に季節を変えて撮り溜めた」という写真からは、彼のSLに対する思いが溢れていた。私は写真を撮ったときの様子を説明する彼のそのときの顔がとても眩しかったことを今でもよく覚えている。以来、私もカメラの力に頼ることは止めた。私の民家に対する思いも、きっと神に届くであろうことを信じて。
 

【原発再稼働について思うこと】2012.4.25
人が社会生活を営むうえで決断をしたことの1つに、利便性と引き換えにある程度の危険を被ることは止む無しとしたことがあるのではないかと思っているのだが、間違っているだろうか。例えば、簡便な交通手段として鉄道や飛行機、自動車などは、現代社会に無くてはならない存在だと思うが、それと引き換えに脱線事故、墜落事故、交通事故に遭うこともある。当然、こうした事故が起きて良いという訳では決してないが、裏腹な関係にあることは認めざるを得ないのではないだろうか。
そこで原発の話である。原発事故の危険性については、可能な限り除去していく必要があることは当たり前だと思うし、これまでのいい加減な原発行政に不信感を抱くことも仕方が無いと思う。しかし何が何でも原発再稼働に反対するという考え方に、私は現代社会に生きる一員として決して与しない。このグローバル化する競争社会から落伍しても構わないなどと腹を括れるだけの胆力を、私は持ち合せていない。
 

【映画マーガレット・サッチャーを観て】2012.4.19
先日、久し振りに映画を見に行った。「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」という英国首相の伝記モノである。主演のメリルストリープの演技はとても素晴らしく、良い映画であったが、邦題の付け方にはケチを付けたくなった。原題「The IRON LADY」に対し、邦題は「鉄の女の涙」。何故わさわざ「涙」という言葉を付けたのであろうか。映画の中でもサッチャー元首相は最後まで毅然としていたし、老いて最愛の旦那を失くした後も、自らの人生に悔いることなどしていない。題名に「涙」という言葉を付けることによって人々のemotionalな部分を喚起しようとしたのだろうが、それは劇中の主人公の言葉にも反する行為である。「大事なのはどう感じるかよりもどう考えるかである」
映画の評論を読んでも、この「涙」という言葉に誘導されたような「老いた主人公の悔恨」という内容のものが多いように見受けられる。言葉を欺瞞の道具に使う最近の日本人の傾向に危うさを感じるのは私だけであろうか。
 

【文化財の耐震対策工事に思う】2012.4.8
先日、訪れた新潟市の小澤家住宅に続いて、佐賀県唐津市の中尾家住宅でも目障りな耐震対策工事に遭遇した。
往時の建物には無かったはずの鉄柱や鉄筋、壁が新たに追加され、見るも無惨な姿である。
平成17年頃から人命の安全を図ることを大義名分に文化財の耐震性強化が図られるようになったことは承知しているが、はっきり云って文化財の価値とは何なのか、もう一度考える必要があるのではないだろうか。
私は文化財という存在は、耐震性が劣るという事実も含めて、往時の工法をありのまま伝えるべきものではないかと考える。実際、そのためにわざわざ解体修理工事を行って後世の改造を取り除き、往時の工法や状態を復元しているのではないか。文化財建造物は、一般に公開される施設とはいえ、図書館や公民館では無い。まして公有化されている民家には人が住んでいるわけでもない。たまたま訪れた建物内で遭遇する地震が怖いというのであれば、そんな輩は一生核シェルターの中ででも過ごしたらいい。人間が生きていくうえでは、多少の危険と隣り合わせでいることは当たり前である。「人命優先」という錦の御旗を振りかざす偽善的な輩にはイライラさせられる。本当に昨今の日本人はひ弱である。
  

【雛祭りの展示について思うこと】2012.2.26
雛祭りシーズンの到来である。この時期、多くの民家の座敷は雛人形の展示で占領される。一揃いや二揃いといった数ではなく、膨大な数の人形たちが所狭しと並べられる例も少なからずある。ひどいところでは座敷だけでなく、居間にもミセの間にも、果ては縁側までにも展示されている。民家建築そのものが目的の私のような者には、雛人形の展示は邪魔者以外の何物でもない。百歩譲って、展示される雛人形が、その家所縁のものであれば許せないことも無いが、大半は周囲の家庭から要らなくなった最近の人形を持ち寄っただけのつまらないものが多い。建物に価値があるのだから、もっと建物そのものを堪能できる環境にしてもらいたいものだ。

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