STAGE1.ウォーレンの城


T.
ゆっくりと閉じていたまぶたを開くと、その双眸は涙で濡れていた。
まだ夜明けは遠いらしく、窓から差し込む灯りは月だけである。
レティシアは防寒着を取ると、同じ船室に雑魚寝している仲間を起こさないよう注意しながらドアの外へ滑り出た。
気候の温暖な地方だとても、まだ吐く息は白い。
甲板へ出たレティシアは、月を見上げて呟いた。
「サイノス…。」
レティシアは5年前に帝国軍によって殺された兄の夢を見ていたのだった。
炎に包まれた街から、妹である自分を逃がすために帝国軍に立ち向かい、自分をかばったが為に黒騎士の斧をその身体で受け止める事になった、たった一人の尊敬し愛していた兄。
その兄が、よく話してくれていた理想は「誰の上にも平等な世界」だった。
実現させると力強く語っているサイノスの横で、必ずついて行くと言った自分。
共に戦いたかったが、兄を死なせてしまったのは誰でもない、未熟な自分の短慮。
ならばサイノスの願いは私が叶える。
なによりそれは自分の想い馳せた夢でもあるのだから。
そして……。
「やはりまだ寒いな。」

取り留めない思考を振り切るように頭を振って、レティシアは冷えた身体に防寒着をかき寄せる。
潮風がレティシアの腰より長い髪を弄んだ。
「騎士ランスロット、か…。」
この船がやがて辿り着くのはゼルテニアである。

ウォーレンに言われるままにレティシアたちはそこに住む騎士を訪ねる事になっていた。

ウォーレン、とは占星術師にして魔導師である辺境の領主であり、そして自分に力を貸してやると言い出した酔狂な老人である。

彼が言うには自分は星が定めた勇者なのだそうだ。

それを聞くなりレティシアの口元がひどく歪んだ笑みを作る。

「勇者」と言われるなら私よりももっと兄の方が相応しかったから。
ゼルテニアとは、地図上には何もないただの小島だったが、話しによればゼテギネアに追われる旧ゼノビアの生き残りが隠れている街があるのだそうだ。
このままのペースであれば、翌朝には島に着いているだろう。


そのころ、
ランスロットはウォーレンからの書状を燭台の火にくべて、月を見上げていた。
今夜はなにやら胸騒ぎがする。
心急かされると言うのか、自分にとっての転機が訪れようとしている事を、ランスロットは何故か確信していた。
「我々の新しい指導者…か。」
本当を言えば、ウォーレンの占星術師としての腕を全面的に信用していた訳ではなかった。
だが頭から否定するには抵抗もある。
夢を見たいだけと言われればそうかもしれないとは思うが、実現するならこれほどまでの朗報は無い。
ランスロットは燭台の灯火を吹き消した。
 
U.
翌日、ランスロットは早まる鼓動を落ちつかせようと何度か深く息を吸い、吐いた。
このドアの向こうに、訪ねて来た若者が…我々の指導者がいる。
そう思うと落ちつけた鼓動がまた跳ねた。
何故こんなにも心が揺れるのか?
ランスロットは一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
「失礼する。」
ドアを開けた瞬間、肌を焦すほどの熱風がランスロットを襲った。
それは気のせいに他ならないが、そう感じたのだ。
ランスロットの視線は真直ぐ吸い寄せられる様に、ただ一人を捕らえる。
紅い髪が風にたなびく様を、まるで炎だとランスロットは思った。
この…女性が、我々を導く光?
ランスロットは「指導者」という言葉から、「男」をイメージしていただけに、驚きを隠せない。
だが、間違いない。
圧倒的な存在感を感じる。
ふと、彼女がランスロットを見つめ返した。
彼女の迷いの無いまっすぐな情熱を秘めた翡翠の瞳は、見ているだけで吸い込まれていく、そんな錯覚さえ起こしかねる。
二人は、互いから目をそらす事が出来ずに、戸惑うながらも見つめあった。
「レッティ?」
やや険しい顔をした、連れの男に声を掛けられてはっとしたように彼女は初めて一瞬目をそらした。
それと同時にランスロットも呪縛が溶けた心地がした。
彼女は真直ぐにランスロットのところへ歩み寄って来る。
「貴方が、ランスロットですね。」
耳に心地よい、暖かな響きのある魅力的な声だった。
鈴を転がすような可憐さを含みながらも、それを全て裏切るような覇気がある。
目の前に立つ彼女の半歩後ろに、双子の青年兵士が並んでいた。

「いかにも、ランスロット・ハミルトンだ。君がウォーレンの言っていた我々の新しい指導者だろう?」
レティシアは頷いた。
「私の名は、レティシア・ディスティー。兼ねてより疑問であった帝国のやり方に…神聖ゼテギネア帝国の圧政に、これ以上黙してはいられない。私は、ゼテギネアを倒す。」
一度言葉を切って、再び力強くその先を続ける。
「だが、力無き正義は無力。だから、貴方の力を是非借りたい。」
レティシアの目には断固とした決意と、そして、その奥に怒りと悲しみがあった。
例え自分がここで断ったとしても、彼女はゼテギネアへ突き進む事だろう。
ランスロットは震えた。
願ってもない事だ。
「私たちは、グラン王のご無念を晴らすためだけに今まで生き恥をさらしてきた。だが、君とならば、ゼテギネア帝国をうち滅ぼすことができそうだ。」
ランスロットが右手を差し出した。
レティシアがその手を握り返す。
「ゼテギネア帝国を倒し、真の平和を手にするまで、我らの命、君と共に…!」
 
V.
ヴォルザーク城の門が開かれた。
城の中庭にはウォーレンが一人、供も付けずにたたずんでいる。
レティシアに続くランスロット以下およそ100名にみたぬ仲間達を見て、言った。
「どうやら戦いの準備が整ったようですね…。では、私と勝負してください。見事、私に勝てたなら我等一同はあなたに従います。では…行きますよ!」
「ギル、アル、手を出すなよ。」
レティシアはそう言うと腰に履いていた剣をすらりと抜き放つと、銀色の刀身が日の光を鈍く照り返した。
それだけで、張り詰めた空気に息苦しさを覚える者たちが幾人か無意識に喉元を擦る。
彼女から受けるプレッシャーによるものだろう。
眼光だけで射殺す事が可能ではないだろうかと思うほどに鋭い眼差し。
ランスロットはウォーレンの額に光るものを見て、場違いながら苦笑した。
「来い、ウォーレン。」
レティシアの言葉にウォーレンが先に仕掛けた。
ウォーレンの詠唱で、杖の先に炎が生まれレティシア目掛けて一直線に飛んだ。
それを身を捻って避け、ウォーレンを目指して走りこむ。
間合いさえ詰めてしまえばレティシアの勝利は確実である。
だが、ウォーレンの詠唱は予想をはるかに越えて早かった。
レティシアは一進一退を繰り返し、だがレティシアは確実にウォーレンとの距離を縮めている。
と、到底避けられない距離でウォーレンがナイト・メアを放った。
レティシアは僅かに腰を落として、息を吸い、止めた。
「ウォーレン!私は生半な覚悟で反旗を翻すのではない!」
眼前に迫った薄暗い雲状のものを、レティシアは気迫と剣の一振りで掻き消した。
これは予測していなかったらしく、ウォーレンが大きく目を見開いた。
ウォーレンの手の中の杖が、レティシアの蹴りに跳ね飛ばされて円を描いて空を舞う。
昏く冷酷な光を携えたレティシアが大きく振りかぶった剣を頭上に見上げ、ウォーレンは背筋を凍らせた。
これは…殺気だ。
レティシアの剣が勢い良くウォーレンの頭上目掛けて振り下ろされた。
『レッティ!!』
ギルフォードとアルバートが二人そろって非難の声を上げる。
ランスロット達からも、非難がましい悲鳴が上がり、誰もがその惨劇から逃れようと目を硬く閉じた。
静寂がヴォルザーク城を支配する。
その静寂は一瞬とも永遠とも思えた。
レティシアは溜めていた息を一気に吐いて、薄く微笑んだ。
「何も斬られなければ負けを認めない訳ではあるまい?」
レティシアはウォーレンの額すれすれでその瞬速の剣を止めていた。
「…お見事でした。皆も、あなたの力を認めたことでしょう。今こそ、我らの命をレティシア殿に預けることにします。さあ、ゼテギネア帝国を倒すまで、共に命をかけて戦いましょうぞ!」
一瞬遅れて歓声が上がる。
ヴォルザークの城の頂点に掲げられていた帝国の旗が折り倒され、高々とゼノビアの旗が掲げられる。
―――祝宴は夜半まで続いた。
「もう、後戻り出来ないな。」
祝宴の場から少し離れて、ゼテギネアへの宣戦布告を後悔するでもなく、レティシアが一人呟いた。
星空に次々上がる花火を見上げつつ、
「見ていて。もう二度と、大切な人を奪われる苦しみを…仕方なかったなんて、言わせない。」
スーツの上から、脇腹に触れる。
「もう二度と…!」