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SAKKOのオーストラリア便り
12月2日
ni hao ma
この間テレビを見てると(ついに家にテレビが来た。友達からタダで購入したというスグレモノ)オーストラリア人とイスラム教徒が討論をしていた。

一見「ここが変だよ日本人」の討論番組のようでありましたが、お題は極めて深刻。例の米テロ事件からオーストラリアに住む数多くのイスラム教徒は数多くの問題を抱えているようです。
あのテロの直後、私の住む街のある大学ではイスラム教の生徒達が崩れ落ちるビルをキャンパスのビジョンで見て大喝采を上げ、それを見ていた他の生徒と暴動騒ぎになったという事件がありました。
しかし反面、ただイスラム教というだけで彼らは家の窓を割られるなどの嫌がらせを受けたという事件も多発。
「どうにもテロ=イスラムというイメージがあまりにも強いのではないか、イスラム教にだって皆と同じ、色んな人がいるということが分からないか」というのが討論での彼らの訴え。

この番組、最初は双方綺麗事を並べていたが、討論のまとめ役人が「本音でいきましょう」と言ってから急に面白くなった。

そんな問題山積みの宗教ですが、私が今まで出会ったイスラム教徒の友達はやけに明るく面白み溢れる人が多かったように思います。

(続きます↑これは前置き)
ではまた

12月13日

私が世界史で習ったイスラム教のイメージというと
厳しい戒律がある、ターバンを巻いている、女の人には尼さんのようなほっかむり(これもサリーと呼ぶのだろうか)、長いワンピースを着ている、メッカに礼拝、断食。
イスラム教は皆そろってそうだと思っていた。

固定化したイメージというものは恐ろしい。私はこの国に来て「知識」とは「理解」にほど遠いものであると改めて感じさせられた。
「なるほど皆違う」そんな当たり前の事がようやく分かったのである。

初めて会ったイスラム教徒は漫才師のような二人組であった。
いつも笑いが絶えない彼らは、ある日珍しく緊迫していた語学学校の授業中に、礼拝用の音楽らしきものを誤って(もしくは故意に)カセットプレイヤーから突然流してしまい、結果皆の爆笑を買い一躍有名人となってしまった。なんともおいしいトコ取りの人らである。

私は彼らをよく空いた教室で、ある方角に向かい祈りを捧げているのをよく見かけた。(語学学校などにはたまに"pray room"「祈りの部屋」が用意されているがその学校には無かった) その時ばかりは真剣な顔の二人。
何を思いながら壁を見つめていたのだろうか。

サリーを纏わない、私服のセラというマレーシアの女の子がいる。
「纏う人もいるよ。私は纏わないだけ。」シンプルな理由だ。

寮が一緒で、時々食事を共にした。
「アイスクリームそれ、何杯目やねん。」
「おかわり三杯目。うふふ。」

そんな彼女は断食中、目がうつろ。
「断食つらいけど、いいよ。ごはんがとてもおいしいね。」

なるほど。おかわりは大事やな。

つづく
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