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9月27日(金)

気が付けばもう期末試験の時間割が出ました。地獄まであと一ヶ月!!!
それでは久しぶりに ネタ提供。

バス亭で 10分遅れて当然 のバスを待っていると向うから中年男が険しい顔をして近づいて来た。
「娘が大変なんだ!早く家に帰らないとだめなんだ!でも小銭がなくて電車に乗れないんだよ!助けてくれないか!」
と何やら激しく悲嘆にくれた表情でそう言ってきたので私も

「そりゃ大変や!いくら要るん!?これで足りるか!?何か知らんけどガンバレよ!」というような事を言いながらせっせと小銭をあげた。

「ああ!!有難うこれだけあれば充分だよ!」

いや~ ええ事したなあといい気分に浸ったのも束の間、そのオッチャンはのろのろと駅の反対方向へ歩いて行くではないか。

「あれ、急いでんのとちゃうの?娘はどうした!そっちに駅はないでオッチャン!!」

日本でいう「100円貸してくんないオバチャン」的ないわゆる"せびり屋"に私はここでよく遭遇してしまいます。その人数の多さもまたしかり、特にバラエテイー溢れる戦法にはよく翻弄されます。

普通は いかにも「僕、悪い子です」と自ら主張しているような若造が何とも簡単に
「ようよう、バス代ちょうだいよ、ちょっとだけじゃん、いいじゃんよ。」
とせがむんですが、
たまに せびる金額も理由付けもとんでもない「上級者」が現れます。

細面の美少年がよろめきながら「兄が仕事で失敗してお金がいるんです、、もう僕どうしたらいいか、、、200$(約15000円)でいいんです、たった200$、、必ずかえしますから、、、ああ可哀想な兄さん、、」友達と家に帰る途中、人でにぎわったCITYの公園とはいえ夜中の1時過ぎそんなことを言われても説得力が無い(そしてその上なんだか演技くさい)。余程私達が金持ちでお人好しでない限りそんな大金ヒョロっとだせるわけがないと普通思うでしょう。「こいつヤバイわ。はよ逃げよ。」と思ったその時「それは可哀想に、私はいくら出してあげればいいのかしら?」我が友はクリスチャンであった、、、。

上級のせびり屋は時と場所をも選ばず現れる。マクドナルドで私がうきうきとセットを注文していると横からにゅっとヘビメタみたいな兄チャンが出てきて、私がカウンタ-に出したコインを指差した。「もしその50¢あれば俺はフライドポテトが買えるんだけどなあ。」なんかクラ~イ感じだ。しかし食べる楽しみは痛いほど良くわかる。しかもオーストラリア人は無類の芋好きだと私は知っている。惜しいと思いながらも私はヘビメタに親切心を出した。それがいけなかった。揚げた芋は喉が渇くんである。ヘビメタはコーラも買ってくれとせがんできた。

また同じバス亭で10分たっても来ないバスを待っているとフラフラと汚いおじさんがやって来た。
「お金くんないですか?へへへ、すいませんねえ。」
ベンチで座っている会社、学校帰りらしき人達はその人の気分か財布の都合でそのおじさんにお金をあげたり、あげなかったりした。
おじさんはお金をくれた人に握手を求め時には抱擁を交わしたりもしていた。
散々お礼を言うとまた、次のバス亭求めてフラフラと消えていった。
何ともシンプルだが彼はお金が手に入り、あげた人は彼の感謝の意によって良心が満足されるという"小さな幸せ相互関係"がそこに成立した。
これは以外と簡単には成立しないと思われる。

彼は「愛される超上級せびり屋」として私が出会った数多いせびり屋の歴史のトップを飾っております。

それでは また。

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