2回目のETまで


凍結を戻す場合は2周期目の10日後に病院に来てください。

その言葉を聞いた日に生理が来た。
いつもは4〜5日で出血も収まるが子宮が疲れているのか、ホルモンバランスが崩れたのか出血がダラダラと続いていた。
しかし周りに顕微をした人はいない。
誰にも聞けないまま1日1日が過ぎていく。
でも心のどこかで病院に行った所で出血してる物は抑えられないだろうしな〜と気軽に捕らえてる私も居た。
結局、15日ほど出血は続いた。
体温もガタガタで自分の体が自分の物ではない感じがした。

そして2周期目が到来した。
でも私はあんなに張り切っていたのにもかかわらず、病院に行きたくなかった。
年が明けてから病院に行き始めて、不妊原因が判明。転院。数々の検査。初めての顕微。
まだ8月だというのに私の身辺は大きく変わった。
それが突然に2周期もお休みがあった。
前しか見ないで一目散に駆け抜けてきた道を、初めてゆっくりと振り返る事が出来たのだ。
しかも恐る恐るに・・・。

はっきり言えば心は疲れていた。
毎日何かやる事があれば気がまぎれていたかもしれない。
でも私は完全な無気力になっていた。
病院の毎日で遊ぶヒマなどなかったのだから、毎日でも友達と遊べばよかったのにそんな気力も湧いて来なかった。
何人かの友達は家に遊びに来てくれた。
一人でどこかに行く事もなく、家でゴロゴロとしていた。

でも時間は待ってはくれない。
いろんな事を思い返している私に10日目がやってきてしまった。
病院には前日に予約を入れようと思っていたのだったがそれも出来なかった。
そして夫には行きたくない気持ちだけど、行かなくてはいけない気持ちとの葛藤から当り散らしていた。

あんたさえ精管通してくれたらこんな気持ちにならないのに!
精子さえ出てきてくれたらもう病院に行かなくても良いのに!
根性で精子出してよ!
私が行かなかったら子供なんて一生どう足掻いたって出来ないんだから!
もっと感謝しなさいよ!
自分ばっかり落込んで、バカじゃない!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

自分の事ばっかりだったのは私のほうだ。
夫に対しては元々可哀想がったりはしていない。
無精子症が解った時から、それをネタに生きていけ!とまで言い放った私だ。
その言葉に含まれた本心は、自分の殻に閉じこもらないで欲しかったからだ。
夫自身も人に話したら実はうちも・・・とか、実はうちの息子夫婦も・・・などの話が聞けたらしく今ではかなりオープンな人になった。
でも心のどこかで夫に対して可哀想ぶっていたのかもしれない。
1回目のマイナス判定のあと、私はとってもショックだったんだと思う。
でも夫が落込んでいるのを見たら、私は落込む事が出来なかった。
一生懸命に励まし、元気付けてきた。
でも今回はもうだめだった。

決心も決まらないまま当日になってしまった。
朝、病院に行く気もないのに用意をしていく。
行く気もないのに基礎体温表に書き写したりと準備がどんどんと進んでいく。
行く気もないまま車に乗り、ハンドルを握る。
そんな気持ちのまま病院についてしまった。

そして見慣れた先生の顔。
そして前置きもなく採血。超音波。

第2弾が始まった。始まってしまった。