三回目の顕微

前回の凍結が終わった後は、次回はどうしようかと考えていた。
でも時間が段々と過ぎていくと、心の中に変化が出てきた。
「もうしないかも」「もうしたくないかも」「夫婦2人の生活でもいいかも」

そう思いながら延ばし延ばしにし、結局病院に行ったのは夏の暑い盛りだった。

この頃にはだいぶ心も落ち着きを取り戻し、パーロデルを貰ってすぐに始めましょう!と意気込んでいた。
しかしすぐには始まらなかった。
私の行ってる病院ではメルビンが大流行。
今までとは違い、ゴロゴロと成功者の嵐なのである。
元は血糖値のコントロール薬なのだが、これがタマゴが若返り質が良くなり、また子宮環境も整えると言う薬だった。
そして私もこの薬にどっぷり浸かる事になった。

最初は血糖値の負荷検査を行う。
他の友達もこのメルビンを飲んでいたので、大体の事は承知している。
何ヶ月かメルビンを飲んだ後に、顕微に取り掛かる。
そして1ヶ月に1回、この負荷検査ももれなく付いてくるのだ。
前の夜9時から絶食絶飲で病院に行き、朝1番にまず検尿と採血が6本。
それが終わったらブドウ糖液を飲む。
これはとても甘いスプライトといった感じのものだ。
そのあと30分おきに検尿と採血2本を4回。
検査の間は食べるのも飲むのも禁止。

しかしこの検査で意外なことが解った。
私の不妊原因が判明したのだ。
PCO。
これはとても朗報だと私は思った。
今までの状態ならば、ただ闇雲にやり続けるしかない。
しかし私にも原因があるならば、どうにかなるかもしれないと一筋の光を感じた。
そこから3ヶ月飲み続け、妊娠をした場合には出産まで飲み続けなくてはいけない。
それでも妊娠する事に対して、不信感が少しだけ消えた。

しかしいざ飲み始めると、ガンガン落ちていくはずの体重が全く落ちない。
2錠から始まり、3錠になり、4錠になった頃やっと体重が落ち始めた。
でも日頃の生活のままじゃ落ちてはいかなかった。
糖尿病の本を2冊買い、そこに掲載されているレシピでご飯を作り、また家でエアロやヨガに勤しんだ。
不思議なものでその生活に慣れてくると、顕微をするという最終目標がもっと目の前の体重やメルビンを飲んでいるというそれ自体の事に重点を置いてしまうようになった。

3ヶ月目にそろそろじゃあ・・・なんて先生に言われた時には、尻込みしてしまう自分がいた。
しかし拒否など出来るわけもなく、そのまま顕微に突入となった。
今回はスプレキュアとヒュメゴンのみの投薬になった。
1番の恐怖だったパーロデルは、メルビンを飲んでいるから飲まないそうだ。
気持ちが1つ回避された。

スプレが始まっても、いまいち気持ちは乗ってこない。
しかし時間は勢いよく流れていき、あっという間に注射の日々が始まった。
さすがに注射をしはじめると、いよいよやるんだなぁ〜という気持ちになってくる。
でも不安は全く消えていかないのだ。
無麻酔状態での手術の導入。
腰椎と静脈のダブル麻酔。
そしてメルビンの聞き具合。
考えればたくさんあるのだ。

タマゴを作ることだけに気持ちをおき、他の事はあまり考えないようにする。
今の私に出来る事はそれだけだ。

そして卵胞は両方で25個ほどとなっていた。
いつもと違う事は8本目で入院をしていたのだが、今回は9本目となった。
お腹はパンパンで、歩くとお腹の中が揺れて痛いほどだった。

そして入院。
何とか静脈オンリーで手術をしてもらえるように頼み込む。
しかし返事は当日手術前にエコーをかけてから決めるとのこと。
でも幾分心が軽くなった。
そして今回は個室。しかも特別病棟。
気分はホテルに泊まっているようだった。
思う存分楽しまなければ!
病室に電話も置いてあるのでとても便利。
夫ともわざわざ公衆電話の順番を待たなくても良いし、携帯でコソコソと話をしなくても良いということだ。
しかも向こうから電話をかけてきても、内線番号で直通なので、誰かを気にする必要もない。
あぁ、幸せだ。

快適な入院生活も3日目には恐ろしい採卵の日。
エコーの結果、静脈だけでいけると言うことになった。
これが1番の安心材料になる。
タマゴの事は二の次三の次だったりする。

そして肝心な夫のフリーズ精子。
実は散々な結果だったのだ。
1回目のフリーズ組織はほとんどが死滅。
2回目のフリーズ組織は、これまた死滅。
しかしかすかにもしかして動いてる?という、精子がいるかなぁ?と微妙なライン。
だけども顕微するには、全く持って少なく使えないという事で、即手術決定。
夫も3回目と相成りました。

そして静脈麻酔が投入され、次第に薄れていく意識。
しかしいつもとはやはり違うのか、のん気に夢までみていた。
夢の中では様々な形のバランスボールがポンポンと跳ねていた。
そのバランスボールに担当の先生が乗っていて、私めがけて突っ込んでくるのだ。
またそれが痛いのだ。
私は一生懸命に部屋の中を移動して逃げ回るのだが、先生ったら壁をうまく利用して、的確に私にめがけて飛んでくるの。
そんな中上を見上げたら天井がグルグルグルグルとものすごい勢いで廻っている。
そこに人が見えた。
助手の先生なのだが、私は夢とも現実ともわからないで、思わずその先生の名前を連呼してしまった。
先生も「は〜い、大丈夫ですよ〜」などと声をかけてくれた。
そこで気がついた。
「あれ?ボールは夢だけど、先生は本物?」
気がついたときには、もう後の祭り。
はずかしーと思いながらも、また深い眠りへと連れて行かれてしまうのだった。

手術は今までに無いほど良い結果だった。
卵胞は25個ほどで、タマゴは21個。その中から15個が顕微にかけられて11個の受精卵の出来上がり。

朦朧とする中で病室に戻り、寝てしまった。
しかし静脈オンリーのすごい所は、夕方にはもう完全に麻酔から覚めて元気なのだ。
しかも夕食がいつもは流動食なのだが、しっかりとした夕食だった。

その夜はママが来てくれた。
面会時間も過ぎようとしていた頃に、看護学生さん達がキャンドルを持ち、聖歌を歌い、行進してくれるのだ。
また手作りのクリスマスカードを各部屋に行き、配ってくれる。
手術明けで疲れた心が、癒される感じがした。
ママと一緒だったんだけど、ママもすごく感激していた。

ママが帰った後、夫の病室に行って見た。
今回はものすごく遠い病室で、途中休憩しながらやっとこさ着いた。
貧血も今回は起こらないように、看護婦さんからトイレ以外はフラフラ禁止令が出てたらしい。
でも今回も運動率も良くて、元気な精子だったらしいから、本当に良かった。

お腹の調子はというと、まだ痛みが少しある。
しかし今までと違い、実入りの卵胞が多かった事が1番嬉しい。
グレードも良いといいのだが・・・。

そしてETの日。
最終的に出来た11個の卵のうち、グレード1を3つとグレード1.5を1つ、計4つを戻す事になった。
先生はかなり自信ありげで、「双子いや3つ子かも?!」と意気揚揚としていた。
さてさてどうなるのか?!?!