数分、全力疾走で走った後、アホらしくなって足を止める。 何やってんだろ、あたしは。 肩が上下するようにスーハーと深呼吸をして踵を返す。 これからマユの家で話をするというのに、そこからいなくなってどうするんだか。 とぼとぼ、と言う効果音がよく似合う足取りで、マキはもと来た道を引き返す。 二つ目の角を曲がったところで、突然腹部に衝撃が走った。 第十四話 「あ……っ………ぐっ」 一体、この痛みは………誰が……… お腹を押さえてうずくまる。 そして、思わず最悪の展開を思い浮かべた。 すなわち――誘拐―― 気絶させて連れ去ろうというのか………だとしたら気絶してはいけない、意識をこのまま……… 「ご、ごめんなさいっ。あの、ボク前見て無くて………何度もいわれるんだけど、治らなくて………あの………だいじょうぶ?」 唐突に頭上から聞こえてきた可愛らしい声にマキは顔を上げた。 無垢な瞳で、少女がマキの顔をのぞき込む。 「だいじょうぶ?」 ほんの少し目を潤ませて少女はなおも聞いてきた。 その時、ようやく真希は悟った。 謝っている事から、自分のこのお腹の痛みは少女によるモノだ、と。 すこし痛みは残るが、抑えつつ真希は立ち上がる。 すると、なるほど、と思った。 自分が立ち上がると、さっきまで見下ろしていた少女の瞳が自分を見上げる。 そして、少女の頭は、ちょうどお腹の位置に来る。 走っていた少女と衝突したのだ。 しかも、頭の位置がお腹に来るから、見事なまでに突撃する。 痛いはずだ。 さすさすと、お腹に右手を置いて撫でる。 うん、もう大丈夫、そもそも激突したとはいえ、こんな小柄な少女なのだ、特にダメージはない。 大丈夫、と言うように真希が微笑むと、少女はぱっと満面の笑みを浮かべた。 そして「よかった〜」と言って、真希のお腹を右手で撫でると、立ち去った。 「ごめんねー、今度から気を付けるからー」 少女は走りながら真希に手を振り続け、曲がり角で顔をひょこりと出して、手を振った。 そして、真希も微笑みながら手を振った。 気配もなくなって、真希はただポツリと、呟いた。 「可愛かったなー………小学生かな?」 雪のように白い肌に、流れるようなツインテールの黒髪が良く映える。 あんな子、ここら辺に住んでたんだ、とだけ感想をもらして真希は踵を返す。 マユの家に行かなきゃいけない。 何をすべきかはわからないけど、対策くらいは話し合わないと、納得のできないまま死んでいく人達を見殺しにしてしまう。 そして、一歩歩いた時、後ろから元気な声が飛んできた。 「あれ?マキやないか、どしたん?マユの家ここら辺なのん?伊沢やヤヨイはどないしたんや?」 疑問符の妙に多い声に、マキは上半身だけを背後に向ける。 川崎 里花、その人だった。 日に焼けた黒髪を肩でスッパリと切り、動きやすいようにしている。 ショルダータイプのカバンを右肩に引っかけて、反対側の腰に当たるような形だ。 走ってきたのだろう、ほんの少し頬が上気し、肩で息をしている。 また、季節柄、多少動いても汗はかく事が無いにもかかわらず、里花の額に透明な雫が浮かぶ。 胸に手を当て、ふー、はーと深呼吸をして、里花は真希に尋ねた。 「どないしたん?マキ。うちマユの家知らんよ?案内してぇな」 と、里花は真希に軽い足取りで近づいて、右手を取る。 「あっちか?あっちか?マユんちは何処や?どこやー?」 十字の交差点で正面、右、左と指差して里花が叫ぶ。 「あっちか?あっちやな、ほな先にいくでー」 と、右の道に走り去ろうとする里花に、マキは正面の道を指差して言った。 「そっちはあたしの家、マユんちはこっち」 里花の足がぴたりと止まり、くるりと180度体を回転させると、にへらと笑いながら。 「マキも人が悪いわぁ、そこならそことゆーてくれたってええのに」 戻ってきて正面の道を里花は前を歩く。 「………道知らない人が先歩いてどうすんのよ………」 ため息混じりにマキはそう呟いた。 「マキは〜?」とマユが聞くと、みんなが口を揃えて「どこか行った」と答えた。 何故か、ニヤニヤとしているみんなに、少し怪訝そうにするも深く考える事はなく、マユは家の中に招き入れる。 「雨水君、その子はこの部屋に寝かせておいて、後でわたし達が体を拭いて着替えさせるから」 と、扉を開けながら雨水 健太に背負われている少女を見て言った。 うん、とだけ健太は言うと、マユが開けた部屋のベッドに少女を寝かせる。 そして、リビングに集まる………と思いきや、健太は一人だけ玄関に行った。 「雨水君?」 「雨水。何処に行くんだ?」 マユと、竜平にそう問われ、健太は苦笑しながら己の制服の袖の匂いを確かめる。 「移り香しちゃってるんだ。いったん家帰って、シャワー浴びてからまた来るから」 と、健太が言うと、なるほど、と言うようにみんなは納得した。 考えてみれば、臭うはずなのに、文句一つ言わず健太は少女を背負っていた。 まぁ………文句言ったからと言って匂いが消える訳でもなく、誰かが背負わなければいけないのだから。 自分が名乗り出れば、それだけ速く移動できる。 そう判断して、健太は誰に指図されるでもなく、少女を背負った。 ちょっと、臭いはしたけど。 少女を降ろしたは良いものの、臭いは消えない。 少女の方は真由や一年生がいるから何とかなると思うが、自分はそうはいかない。 そもそも真由の家に男はいないのだ、いったん家に帰らなければならないだろう。 まさか、居ないからと言って真由の親の服を借りる訳にも行かないし。 スニーカーに右足を、そして左足を入れて、つま先をとんとんと叩いて踵までしっかりと履く。 左腕の時計で時間を確認する。 【14:10】 家に戻って、シャワー浴びて、戻ってくるまで………か。 一時間あれば、何とかなるかな。 そう思いながら、健太は玄関のドアを開けて外に駆け出す。 カバンを、真由の家に置きっぱなしで。 「メールが………メールが………」 それだけをうわごとのように繰り返す二人の少女に、警察は困惑する。 そして、頭部と胴体を離ればなれにされた少女の姿にも……… 三日前、この学校の男子生徒が死んだ。 二日前、隣町で女性が死んだ。 昨日、駅のホームに降りて電車に轢かれた男。 そして今日、この場所で一人。 まさか、このような死に方をするなどと、決して思わないだろう。 想像に浮かぶ事すらないかもしれない。 決して鋭利とは言えない錆び付いたトタンに、首を切り落とされるなどと。 ただ、不可解なのが一つ。 体と生き別れになった少女の顔が屋上にしっかりと立っていた。 それはまだ良い。 ただ、飛んできたトタンに首を飛ばされる、その時は一瞬だっただろう。 なのに、少女は瞳を閉じていた。 その瞬間、少女は瞬きをしたのか? それとも、彼女の死後、瞳を閉じさせた人間が居たのか? このような凄惨な死に方をした少女に近づき、瞳を閉じさせたものが? もし居たとして、ソレは、この学校の生徒なのか? 高校生が?このような光景を見て、【瞳を閉じさせる】などという考えを働かせたとでも? バカバカしい、そんな事が出来るモノか。 仕事柄【遺体を見慣れている】我々ならともかく、ただの高校生にできるはずがない。 それよりも、今はこの事件をどういう風に伝えるべきかが重要だ。 何しろ、犠牲になったのは、自分の遥か上司の末娘なのだから。 ただいまー、と家の中に声を投げると、おかえりーと言う声と共にドタドタと玄関に足音が近づいてくる。 「お兄ちゃんきょうは早いねーどうしたの?」 と、首をかしげる妹の頭に手を置いてくしゃりと撫でる。 雨水 萌。 雨水 健太の妹であり、現在小学二年生。 少し年が離れている為、萌は健太にべったり甘えてくる。 ちなみに【めぐみ】である。 【もえ】ではない。 健太自身も、たった一人の妹である為、シスコンにならない程度に可愛がっている。 「メグこそ早いじゃないか。どうしたんだ?」 すると、「んー」と少し考える仕草をしながら首をかくんとかしげる。 「んとね、朝のうちで、学校終わったのー」 午前中、と言う単語は萌の頭の中に浮かばないらしい。 萌にとって四時間授業は朝のうち、と通る。 「そうか………ぼくの所も事情があってね、今日は早めに帰れたんだ」 と健太が言うと、萌は嬉しそうに、 「あっ、じゃぁっ、メグと遊んでくれるっ?」 と言った。 しかし、健太は残念そうにして「ダメ」と言った。 「えー、なんでー、きょうはあるばいともないでしょ〜?」 「ないけど………」 妹の口から【アルバイト】と言う単語が出てきた事に少し驚く。 「なら、どうしてー?どこか行くの?メグも行きたい、連れてってー」 ますます健太は難しそうな顔をした。 「メグは………ダメだよ」 すると、萌は必殺うるうる光線を放った。 「メグ、ひとりでおるす番………?」 しかしすぐ生き返った。 「ごめんなメグ、でも今度いっぱい遊んでやるから、な?」 「こんどって………いつ?」 「え………っと」 頭をぐるぐると回す、もちろん比喩である。 バイトがない日、で他にも予定がない日……… ………なんだ、意外とすぐにあるじゃないか。 「じゃぁ………次の日曜日、隣町の水族館に連れて行って上げるよ、バイト代も入ったし」 すると、萌は満面の笑みを浮かべて、こう言った。 「【約束】だからねっ、おにいちゃん!」 と、嬉しそうな足取りで家の奥に引っ込もうとして、ぱたりと足を止めた。 「そう言えばおにいちゃん、カバンは?あと、何か牛乳臭い…………」 思い出したかのように顔をしかめる可愛い妹に、健太はため息を一つだけもらして。 「バスタオル取ってきて、後ボイラー付けて………そう言えばカバンは池宮の家か、忘れてたな、通りで軽いと………」 自室から着替えを取り、萌からタオルを受け取ると、脱衣所へ向かった。 シャワーを浴びている最中、とんとんと磨りガラスの向こうからノックするものが居た。 と言っても、両親は仕事中、萌しか居ないのだが。 コルクをひねってシャワーを止め、何だ?とガラスの向こうの萌に聞いた。 「あのねー、テレビのニュースにおにいちゃんの高校が映ってるよー?」 ニュースに? 萌から聞かされた言葉に健太は一瞬だけ疑問符を浮かべる。 あぁ、今日のあの一件か…………やはり学校も、内部だけで処理できないだろう。 ニュースか……… 牛乳の臭いは基本的に移り香。 臭うのは制服だけで、健太の体が臭っている訳ではない。 さっと流す程度でシャワーを終えて、バスタオルで体を拭く。 髪の毛をワシャワシャとした時に恐ろしいほどにぼっさぼさになる。 しかし、さっと手櫛するだけでストレートになる。 まだ湿り気のある髪を撫でながら、健太は萌の待つリビングへ行く。 もちろん、既に着衣済みである。 ソファに座る萌の肩をつつくと、萌は嬉しそうにテレビを指さした。 「ほら、メグの言ったとおりでしょ?」 その指の先には、確かに、日暮高校が映っていた。 レポーターが何らかを言って、画面の下部にプロットが表示されている。 そして、強風に体育館のベランダにあるポールがカタカタと揺れていた。 体育祭等の時、校旗を掲げる為のポールだ。 『……本日13時45分頃、この高校の移動教室棟の屋上で忌まわしい事故が起こってしまいました……』 女性レポーターの声を聞いて、萌が首をかしげて、頭の上の健太に顔を向けて尋ねた。 「ねぇ、おにいちゃん、おにいちゃんの学校で、何かじけんあったの?」 萌に問われるが、話せるような事ではなく、ただ一言「ああ」とだけ言った。 「なにがあったの?」 無邪気な瞳でそう問われて、健太は当惑する。 話せる訳ないだろうに………あんな事。 話せない、と萌の頭を撫でながら言うと、少し残念そうにしながらも、萌はテレビに視線を戻す。 「おにいちゃん、あのぼう、折れたりしない?」 棒? テレビを差す萌の指先をたどる。 すると、レポーターの背景にある体育館のポールである事がわかった。 「あぁ、大丈夫だよ、あのポールはそう簡単に折れたり………」 次の瞬間、我が目を疑った。 右左にガタガタ揺れていたポールが、耐えきれなくなっただろうか。 ポールの途中からパッキリと折れて、吹き飛んだ。 テレビの向こうでその事に最初に気付いたのはおそらくカメラマンの人だろう。 テレビの向こうから 『折れた!』 とか 『吹っ飛ぶ!』 といった男の声が聞こえてきたからだ。 ポールは、何処に飛んでいくのだろうか。 テレビ画面は生中継のようで、レポーターと一緒にカメラも移動する様子が映された。 そして、飛んでいったポールが地面に突き刺さっているところが映された瞬間、画面は真っ白になった。 ―――そして――― 偶然テレビに映った校舎の時計は――― 午後2時35分を、はっきりと指し示していた。 |
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【連続と偶然、呪いを運んだ季節の風に】