2005年ももうすぐおわりです。 今年は、ほんとうに大変な一年でした・・・ ここでこの一年にあったことを、ふりかえってみることにします。 読んだらびっくりするかもしれないよ。 |
自分が自分じゃないみたい。 |
2月20日。お産はとっても安産。しかし・・・ 2月20日にりゅうくんを出産したMACHIO。 お産は病院に駆け込んでから2時間と、とっても安産だったのですが その2週間後に試練が!! なんと、やぎおが貧血で緊急入院!!産後ひとつきもたっていなかったので ショックやら不安やら・・・かなり混乱しました。 結局、十二指腸潰瘍で、すでに治癒しかかっていたとのこと。短い入院で済みました。 色んなストレスや過労がたたってしまったようです。 MACHIOはやぎおがそんなふうになったこと、自分のせいじゃないかと思って、 何をするにもぼぉ~っとして手につかなくなってしまいました。 でも、ぼぉ~っとしてはいられないよね。子供がふたりになったんだから。 とにかくやらなきゃいけないことを、ただこなす毎日。 でもなんだか自由に体が動かない。 そして5月末に・・・ やぎおも退院して、普通の生活。ほっとしました。 れいちゃんも新しい幼稚園に通い始め、りゅうくんも日に日に巨大化(ほんとよ!)して 充実した毎日・・・のはずが、どうもおかしい。 朝起きたとき、「どうして今日も目がさめちゃったんだろう・・・」 「私は今なんでここにいるんだろう、なぜ生きているんだろう??」 そんな気分になるのです。 そして一日中泣いてばかり。子供たちにも優しく接する事ができません。 産後の疲れのせいかな、と思っていたけど、あまりに長く続くので不安になって 出産した病院の助産婦さん・医師に相談。 なんと、典型的な「産後鬱」の症状でした。 それは、産後のホルモンバランスの乱れからくるもので、けっして心の病気ではないから びっくりしないようにね、という指導でした。 ちなみに、「産後鬱」については以下のページで分かりやすく説明してあります。 |
いじわるな太陽。 晴れの日はとても辛い。 |
辛くて暑い夏 それからは、助産婦さん・医師のアドバイスと投薬治療をしながら、暑い暑い夏を過ごしました。 さらに8月末にはりゅうくんが気管支炎で6日間の入院。 とどめをさされたような一件でした。 母親として自責の念にとらわれ、食べ物も喉を通らなくなりました。 産後半年で、6~7キロ痩せました。(アッ誰?でぶだったからちょうどいい、とか言ってるのは!!) そして9月になり、朝晩がすこし過ごしやすくなってきたころ。 なんと、すうっとトンネルを抜けたように、回復したんです。 抜けてから振り返ると、そのトンネルは、死神が後ろから追いかけてくるみたいな、 暗くて怖いトンネルでした。 子供たちを抱いて必死に走って逃げて、打ち勝つことができたような気持ちです。 |
こどもって天使かもしれないね |
感謝の気持ち そして今、私を助けてくれたたくさんの人たちに感謝しています。 学生時代から20年以上おつきあいしてくれている友人たち。 MACHIOが10年間勤めていた会社の同期生。 やぎおの会社の先輩。 ベビー服のお下がりをたくさん送ってくださった方。 ・・・遠く離れたふるさと・東京横浜方面からの励まし、嬉しかったです。 ここからは、宇部にきてから出会った方々。 山口大学病院の医師、看護士、助産婦のみなさん。 「あんまりがんばらなくていいんだよ」と言ってくださった、薬剤師のトモエ先生。 れいちゃんの保育園への送迎をしてくださった、ファミリーサポートセンター、シルバー人材の方達。 ご主人が精神科医で、私の状態をよく理解してくれた、同じマンションのHMちゃん。 「転勤先での子育ては大変です、何でも相談して下さい」と言ってくださった、幼稚園の先生方。 長く教室をお休みにしてしまったのに、また習いにきてくれたピアノの生徒たち。 結婚式の奏楽・合唱をご一緒してくださる仲間のみなさん、牧師先生。 白髪がいっぱい生えちゃった(!)私の髪を染めてくれる美容師の関お兄さん。 そして最後に、大切な家族。 こんな私に文句も言わず支えつづけてくれた夫・やぎお。 書ききれなかったかもしれません。とにかく、みなさん、ありがとう。 それから、この経験を無駄にしないよう、色々な立場の人の気持ちがわかるように つとめたいと思います。 |