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 「パープルリボン作曲賞」「ひまわり賞」の受賞結果発表
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謝辞
本作曲賞が公募し、締め切りの2022.8月末までに「stop セクハラ・DV・性暴力」推進をテーマに集まった応募作品は、36作品(今回はピアノ曲の公募)に及びました。これは全く想定していなかった数の多さで、譜面審査を行うこととなりました。そして、10月に行った譜面審査の結果、14作品が本選会に進むことに決定しました。

第一回パープルリボン作曲賞本選会は、2022.11.25[国連・女性に対する暴力撤廃デー]に行われ、一名の辞退者を除く13曲が演奏されました。小規模ながら会場いっぱいの参加者となり、熱気にあふれ、演奏者の方も短期間の準備期間であるにもかかわらず、質の良い仕上がりでした。作曲賞創設者として、関係する方々に、ひとえに感謝申し上げます。


本選会の直後、審査員による最終選考会議が行われました。その結果を以下に公示いたします。

  

1)「パープルリボン作曲賞」の受賞発表
全ての曲について、審査員の野村誠・清水友美・草柳和之により、作曲家・現代音楽専門の演奏家・心理臨床家、それぞれの立場から多角的な評価がなされました。そして、今回の応募曲の中には「パープルリボン作曲賞」に該当する作品は存在しない、という結論になりました。
その上で、当初予定になかった「準グランプリ」を設けて選出することとし、受賞に値する作品を、最終的に以下の3作品と決定しました。
●天岡 寛晋「INTERMEZZO」
●池田 文麿「パープルリボンの為のエチュード」
●松岡 佳歩「⾔葉の棘」
以上を「パープルリボン作曲賞準グランプリ」
とし、各3作品に「2万円」の賞金が贈呈されました。

→→◆受賞作の紹介ページ

  

2)「ひまわり賞」の受賞発表
審査員・清水友美により、長年、DV被害体験をもとにした朗読劇「ひまわり~DVをのりこえて」の上演に関わり、女優・ダンサーとして出演してきた経験から、朗読劇にふさわしい音楽として、以下の曲が選出されました。
●持麾(もつざい) 勉「まなざしを上げて Keep Your Head Up!」
●山本 学「ピアノのためのパープルリボン・レジリエンス」
各作品に「1万円」の賞金が贈呈されました。

→→◆受賞作の紹介ページ


創設されたばかりのパープルリボン作曲賞も、サイトに審査員の講評を含めて受賞結果が公表されることによって、第一回の事業は、すべて完了しました。すでに、各受賞者に賞金授与の手続きが完了しております。
これも、皆様方による本作曲賞への賛同と、多数の作品の応募、本選会へ向けての演奏者との連携、審査員による好意と助力、という多段階にわたるご協力の賜物です。

従来、心理臨床家というものは、困難を抱えた方々への個別的な援助を十分行っていれば、それで役目を果たしているとされてきました。それをわざわざ面接室から外へ出て、メンタルヘルス上の問題解決のために社会に打って出る――その音楽領域での長年の活動を、草柳は
《パープルリボン作曲賞》にまで発展させました。
音楽を本職としない専門職・一個人が作曲コンクールを開催するという、無謀とも思える構想を立ち上げ、ノウハウを創りながらの運営でした。想定外の事態も起こり、また、不首尾もあって改善点も多数必要となりましたが、第2回の実施の際には、それらも修正されていることでしょう。まがりなりにも事業を完遂できたことに、心から感謝申し上げます。


〔本作曲賞事業への寄付のご報告〕
2022年11月末日までに、
4名の方より、合計「23,500円」の寄付をいただきました。
コンクールを開催するには多額の費用を要するため、この寄付は非常に助かるものでした。
この場をお借りして、本事業の理念に賛同し、ご協力いただいた方々に感謝申し上げます。

  

以上、今後とも本事業の発展のため、
「音楽で 非暴力の輪 広げよう! 」実現のため、広く各方面の方々からのご理解とご協力を、何卒よろしくお願いいたします。


審査員講評

野村 誠   (photo by Alexandra Mleczko)

パープルリボン作曲賞の審査をして」

パープルリボン作曲賞に応募いただいた全ての皆さん、思いの籠った譜面を提出いただき、ありがとうございます。そもそも、ぼく自身、音楽の価値は多様な視点(聴き方)があるので、単純に優劣をつけて比較することに違和感を持っております。だから、コンクールとか審査ということに、通常はあまり賛同しません。しかし、今回は草柳さんの情熱に押されて審査員をお引き受けしました。引き受けたからには、ぼくの視点はどうだったのかを正直にお伝えしたいです。ただし、ぼくの講評は、個人の意見です。参考にしていただくのは結構ですが、そんなものに惑わされずにご自身の信じる道をお進みいただけるのが一番です。また、皆さんの作曲の意図を誤解して勝手なことを申し上げますが、的外れだったら無視してください。

まずは、受賞された皆さん、おめでとうございます。1作品を受賞作品として選ぶ予定でしたが、1位としての該当作品なしで、2位として3作品を選ばせていただきました。3作品それぞれの魅力がありましたが、気になる点も大きく、このような形になりました。

松岡さんの作品は、曲のコンセプトがパープルリボン作曲賞の理念に合致し、譜面を見た最初の時点から非常に興味を持ちました。ただ、細部を詳しくチェックしていくと、果たして、それぞれの音は必然性があるのか、疑問が湧いてきました。前半の無調の部分の音の選び方、後半の調性の部分の音の選び方が、やや淡白な印象で、もっと推敲を続ければ、絶対この音はこの響きでなければならない、というところまで吟味できると思いました。松岡さん独自の色合いが滲み出るまで深められるはずです。作品の方向性は良いので、この作品を土台に、1音1音の響きを突き詰めた改訂版(または、同じコンセプトの続編)を書かれると良いのではと期待を抱きました。

天岡さんの作品は、ご自身の葬送曲としてのコンセプトと曲調に説得力がありました。ただ、ピアノ連弾の作品のスコアとして見た時に、まるで吹奏楽曲やオーケストラ曲のコンデンススコアを見ているかのような印象を受け、ピアノのために書かれた作品とは感じられませんでした。原曲が吹奏楽曲だったとしても、ピアノ連弾として編曲する際には、ピアノならではの表現になるように編曲ができたはずです。吹奏楽器で演奏するフレーズを、ピアノに置き換えるだけでなく、ピアノで効果のある表現に変容させる編曲であれば、10年前の作品を土台にしつつ、パープルリボンの思いも盛り込まれ、もう一歩深みに到達した作品にできたのでは、と感じました。

池田さんの作品は、形容し難い複雑な気持ちを含み得る音楽だと感じました。譜面を読み進める上で、どのように曲が終わるのか(終われないのか)にも興味を抱きましたが、主題が回帰した後の長3和音で帰結するというエンディングには、拍子抜けしました。終わりの見えないDVの泥沼に対して、敢えての表現とは思いますが、困難な言葉にできない気持ちを音楽的に体現できる深みに向き合い続けて欲しいと思いました。

 選外になった作品も、非常に魅力的でした。何らかの賞を進呈したいと思われる作品がいくつもありました。では、その魅力を、より深く掘り下げるには、どうしたらいいのでしょうか?作曲家の皆さんが、そこを諦めずに、あらゆる可能性を探って、こねくり回してみてほしいです。可能性を試行錯誤した上で選んだ1音と、なんとなく惰性で選んだ1音では、曲の説得力が違ってきます(こんなことを言うと自分自身にも跳ね返ってきますが、ぼく自身、そうした覚悟を持って、音を選んでいきます)。
色々な挑戦、冒険も大いに推奨したいです。失敗するのもいいことだと思います。様々な失敗があって、到達できる世界があります。壁にぶちあたれば、乗り越えればいい。

 DVの問題に取り組んでいるカウンセラーの草柳さんの委嘱で《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ(間奏曲)》を作曲した21年前。ぼくは、付け焼き刃での勉強で作曲しようとしながら、なかなか曲を書くことができませんでした。実際に被害者の方々のお話も聞きました。シェルターの活動をされている方のお話も聞きました。そんな中、音楽の無力さを感じて、自分の無能さを感じて絶望しましたが、絶望を感じたからこそ、作品をつくることができました。そう。微力ではあるけれども、無力ではないのです。

音楽で勇気づける、と言うのは容易いです。暴力を廃絶するなどというシンプルなステートメントが何年経っても現実にならない。自分も含めた人間の愚かさを思い知るばかりで、虚しくなります。でも、微力な音楽の力に絶望しながら全力で取り組む、そういうことを、ぼくは期待します。

 楽譜を書くということは、楽譜を通して、聴衆とコミュニケーションを取ると同時に、演奏者とコミュニケーションすることでもあります。今回、譜面の書き方に不備があったとしても、そのこと自体で減点することはしませんでした。譜面はコミュニケーションのツールだと考えれば、不備があろうとコミュニケーションができればいいので、様々なコミュニケーションの仕方があっていいはずです。でも、作曲家それぞれの個性でいいので、譜面の書き方に関しては、研究をしていってください。正解はありません。でも、演奏者に作曲家の意図を伝えるのに何を書けばいいのか?音楽の本質を伝えるのに、何を書けばいいのか?その書き方はどのように書くのか?

譜面審査で本選会に残らなかった作品の中にも、個性的な作品、完成度の高い作品、美しい作品など、魅力的な作品がありました。皆さんが、今後も作曲活動を続けていかれることを、期待します。そして、同じ音楽家として、何かの機会にご一緒できることを願っております。


清水 友美  

パープルリボン作曲賞に関わって下さった皆様へ」

女性に対する暴力根絶のシンボルである「パープルリボン」を冠した作曲コンクールについて、草柳さんから構想を始めて伺った時、賛同すると同時に、応募作品が集まるのか不安もありました。「パープルリボン」の認知度はまだまだ低く、自分事として考えられる人も少ないのではないかと感じていたからです。

私自身は、DV(ドメスティックバイオレンス)被害者である女性達の手記をもとにした朗読舞台「ひまわり~DVをのりこえて」に長年取り組み、役者やダンサーとして出演する中で、DVが誰にでも起こりうること、身近な問題であることに気付くキッカケになってほしいと願ってきました。なぜなら私自身も、この朗読舞台を始めて数年経ってから、やっと自分が過去にデートDVや性被害に遭っていたことを思い出したからです。人間とは自分を守るために、辛い記憶は封じ込めてしまうのだと気づきました。子どもの頃に受けた性被害については、何十年も経ってから、つい最近になって初めて家族に打ち明けることができたのです。

 「ひまわり~」の朗読公演では多くの感想を頂きますが、実際にDVに遭われた方の場合、客席で涙を流されたり、終演後にもご自身の体験を打ち明けて下さるなど、直接的に内容が響くようです。しかし「朗読に感動した」と仰って下さっても「でも自分にはDVは関係ない」と思われてしまう方も多く、特に年配の方は「そんなこともDVになるのか?」「私たちの世代では当たり前だった」と疑問を呈する方もいらっしゃいます。
そして男性からは「なぜ女性の被害者ばかり取り上げるのだ」という意見も頂きます。劇団として、また私個人としても、女性に対する暴力撤廃の国際デーである11/25や、女性の権利を守りジェンダー平等の実現を目指す国際女性デー3/8の時期に、朗読公演やコンサートの活動するよう意識していますが、女性だけをテーマにする事には私自身もジレンマを感じます。

 もちろんDV被害者数は女性が圧倒的に多いのですが、男性である友人が妻からDVを受けた実態も聞いていますし、DVだけでなくあらゆる暴力やいじめも、そもそも差別意識から生まれるのではないかと思っています。性別、年齢、障がい、学歴や職業など、様々なことで人間同士を比較し、横並びを強要する。弱者や異物とみなすと攻撃するというパターンです。

私は家族や友人に障がい者がおり、差別されるような困難な状況もよく目にします。また音楽やダンス界で活動してきてLGBTQの方、障がいのある方とも共演やコラボの機会が多く、私にとってはごく自然で身近な関係なので、多様性を受け入れた方がよっぽど自由になれて楽しく、表現の幅も広がると感じていますが、そういう話をすると「それは清水さんだから」と言われてしまう。そう片づけられてしまうのも悲しいので、差別意識を無くすには子どもの頃からの経験や教育が重要だと思い、12年前からボランティア活動として、年齢・性別・障がいの有無も越えて楽しく参加できるというコンセプトで、音楽やダンス・演劇等のワークショップを開催しています。

誰もが得意なことを生かして、自分の役割や居場所を見つけてほしい。自分のピアノ教室でも20年以上、不登校や発達障がいの生徒と接してきて、音楽に救われる場面を何度も見てきましたから、子ども達にとって学校や家庭とは違う居場所を作ること、異なる世代の人や障がいのある人とも自然な形で交流できる機会を増やすことを心掛けて活動しています。

なので私自身は、差別意識を無くし、あらゆる暴力を無くすにも音楽が有用だと信じておりまして、草柳さんから「パープルリボン作曲賞」の審査をご依頼頂いた時は光栄に思ったのですが、主旨に賛同して作曲して下さる方がどの位いらっしゃるのかは想像もつきませんでした。私も体験しているからこそ思いますが、暴力をする側も受ける側も「まさか自分が」と考えてしまいがちで、暴力と認識するには「痛み」を伴いますから、「パープルリボン」をテーマに音楽を創作することも相当な覚悟が必要ですし、ハードルが高いかもしれないと危惧していました。

ところが蓋を開けてみると36作品もの応募を頂き、寄せられた楽曲や文章からは熱意が感じられ感動しました。応募くださったキッカケや、音楽ジャンルは様々で、応募者の年齢、性自認、経歴、ルーツ、国籍や居住地なども幅広く、「音楽で非暴力の輪を広げる」という新しいテーマの作曲コンクールだからこそ、こういった多様性が実現したのではないかと意義を感じています。作曲賞に関心を持って下さった皆様、本選会に立ち会って下さった皆様にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

審査員である野村さん、草柳さんのそれぞれのお立場からのご意見も興味深く、審査はスリリングな体験でした。私自身は現代音楽ピアニストとして、またポピュラー音楽の作曲家としての視点で討論しました。また応募動機や問題意識についても重視致しました。
「ひまわり賞」に関しては、朗読舞台で共演している劇団メンバーの意見も取り入れて決めました。入賞しなかった作品でも、劇中音楽として(断片的にはなりますが)使わせて頂きたい楽曲が沢山ありましたので、個人的にご相談させて頂くかもしれません。その場合はご検討頂けましたら幸いです。

第1回目のパープルリボン作曲賞はテーマが「ピアノ曲」でしたから、応募頂いた作品については、譜面審査の時点から一通りピアノで弾かせて頂き、一演奏者としても楽しいコンクールでした。私も微力ながら、今後も大好きな音楽を通して、誰もが生きやすい、多様性を認め合える社会の実現を目指して活動していきますので、応募作品についても再演の機会を作ったり、皆様と何らかの形で引き続きコラボレーションできましたら嬉しく思います。何かアイディアがございましたら、お気軽にお声掛け下さい。皆様の益々のご活躍をお祈りしております!


草柳 和之  

「本作曲賞創立者としての心理臨床家からのメッセージ」

第一回パープルリボン作曲賞に応募された方、2022.11.25本選会を聴きに来られた方、そして本作曲賞に関心を寄せられた方、全ての方に、第一回の事業を完了するにあたり、まずは感謝申し上げます。

作曲賞創立者としての一番の懸念は、「はたして、どの程度の作品数が集まるであろうか?」ということでした。締め切り2022年8月末までに送られてきたのは36作品、これには心底驚かされました。送られてくる譜面を見るたびに、その表現意欲と、音に賭ける思いが伝わってきました。「この中からあえて優劣を判断し、受賞作を選ぶ、というのは、実に容易でない」と思えました。

単に「暴力をなくそう」ではなく、セクハラ・DV・性暴力という、我々の価値観を揺るがす、重いテーマへの関心を寄せる作曲家が、これほど日本に存在することが証明された――このことだけでも本作曲賞の意義があると思われます。そして、「この事実は世界の音楽事情に対しても誇ってよいのではないか」、これが作曲賞主催者にとって、第一の感想でした。

今回の公募の形式的な側面で気づかされたのは、LGBTすなわちセクシュアルマイノリティの方の応募が多かったことです。これは、本作曲賞の趣旨と確実に関係しているでしょう。おそらく、LGBTの人々が、日常、周囲の大多数の人々から気づかれ難い生きにくさに直面しているゆえに、DV・性暴力に関する問題意識をもつ率が高くなるためであると思われます。


草柳は、長年、心理臨床家として、DV・虐待・性暴力被害のトラウマケアの領域に携わってきましたが、実は当初から懸念していた点がありました。本作曲賞のキャッチコピーは「音楽で 非暴力の輪 広げよう」であり、その暴力も、女性に対する暴力―「セクハラ・DV・性暴力」に特化しています。当然、何らかの側面で、それらをなくそうとするテーマが含まれていることが期待されました。

しかし、応募用紙の「応募に際しての問題意識」「曲目解説」を読むと、必ずしもそうではありませんでした。一般的な暴力への反対、平和を願う、といった動機で作曲された曲が、半数近く存在しました。すなわち、世の多くの方にありがちなイメージでの、「苦しみがなくなる」「被害者の立場に寄り添う」といった抽象的なテーマにとどまっているのです。中には、「暴力をなくそう」というテーマとは無関係の論点で書かれた方もおられ、これには正直驚かされました。

実は、被害当事者が経験することは、「暴力による心の痛手から立ち直る」「精神的に癒される」「絶望から希望を見出す」といった単純なものではありません。被害の現実は多種多様で、重層的です。そしてこれは信じがたいかもしれません――「セクハラ・DV・性暴力」問題に関して、我々すべての人間が、もちろん作曲する側であっても、無自覚のうちに思い込みや偏見を有していて、被害者の生きる力を弱め、加害者に加担している可能性すら、存在します。

当方から提案したいのは、曲作りに取りかかる前に、被害当事者がいかなる経験をしているか、さらに関心を持つ問題について統計調査を含めた全体像について、十分な情報収集をしていただきたい、ということです。

応募動機に、作曲者自身が何らかの被害者であることを表明し、その経験がもとになっている旨を書かれた方がおられました。被害者に直に接した経験から触発され、曲が生まれたことを記した方もおられました。これはもちろんあってよいことであり、その実感が音に表われる意義はあります。しかし物事には、個別性と普遍性の両極が同時に存在します。特定の経験だけをもとにせず、当該の問題の全体像を理解し、個人的経験がそのどこに位置づけられるかを把握することは、筆を進めるうえで必ずや役立つことでしょう。


例えば、一口にDV(ドメスティック・バイオレンス)と言いましても、その実態は多様です。殴る・蹴る・肩をつかんで壁に打ちつける等の身体的暴力がある場合もない場合もあります。精神的暴力も「お前は何もできやしない」「オレにたてつくなら、仕事して給料をもらってこい」など、差別的言動やの人格攻撃だけではありません。

暴力の本質は、何らかの力の行使により、相手を服従させ、支配することです。例えば、妻の作った料理を一つ一つ論評して文句を言い、注文を付ける、さらに、その時の気まぐれでケチをつけ、自分の言動が矛盾しても、一向に気に留めない、などをすることにより、日常些細なことから相手を気遣いさせ、思い通りにさせます。時にうまく物事が運ばないと、怒鳴る、物を投げるなどの大事を起こして言うことをきかせる、といった具合に、極めて総合的に相手を服従させるための段取りやテクニックを駆使しているものなのです。

二次被害についても紹介しましょう。ある時、夫の暴力や心ない言葉に苦しんできた女性が、思い切って知人にその窮状を語りました。そのような場面で、ありがちな知人の反応典型例に「一緒に暮らす前に、彼がそのような人とは分からなかったの?」という質問があります。さて、知人に悪気もなく、当然の疑問として発した言葉でしょうが、被害者にとってどのよう響く言葉でしょうか。

よ~く考えてみると、分かります。知人自身は気づかないうちに、「本人が事前に気づけば、このような事態は防げたはず」、すなわち「被害者の落ち度」に注目しているのです。微弱ではありますが、「あなたが悪い」とのメッセージなのです。

被害者は、このような側面に鋭敏です。このような言動から、「この人は、私の側に立ってくれない」と察知し、口をつぐんでしまいます。このように、DV本体ではないが、被害者を苦しめて落胆させ、気力を奪うような周囲の人々の態度や言動を二次被害と呼びます。いわば「自分は誰からも理解されない存在だ」という経験に次から次へと晒されるのが、被害というものです。

DVに限らず、セクハラ・性暴力・いじめなど、全ての暴力において、直接の暴力だけでなく、被害者は必ず二次被害に遭遇し無力化されていく、という構造があります。その最大の弊害は、加害者の責任を本来問うべきであるのに、そこから目をそらしてしまうこと、そして加害者がラクをすることです。

このような言動は多種多様に頻発しやすいため、当方のような専門職をはじめ、全ての人々、すなわち応募する作曲者も逃れられないのです。そうなりますと、暴力をなくしたいと思っていても、間接的に暴力的な人々を応援してしまう、このような側面を作曲のテーマに盛り込むこともできるわけです。

このような多重的暴力に満ちた日常で、過剰適応をずっと強いられるのがDV被害者であるとすれば、その後遺症から回復するとは、いかなることでしょうか?

以下はその一例です。ある女性は、やっとの思いで身勝手極まる暴力夫と離婚し、一人の生活を始めました。ある日、食事をしていて、ふと気づきました。「そういえば前の生活では、夫や子どもの前にメインのおかず一品があった。でも自分の前にはなく、それぞれのおかずの皿から分けてもらって自分は食べていた。そこに何の疑いもなかった。今、目の前におかず一品がちゃんとある。思い返せば、やっぱりあの食卓の光景からして、何かおかしかったんだ。」――彼女は、目の前の皿を見ているうちに、「自分自身を取り戻すとは、こういうことだ」思うと、涙が出てきたと言います。

いかがでしょうか。被害者が、その現実の中で何をどのように苦しみ、暴力的環境から何をどのように取り戻すか、その広範な経験について、これはほんの一端を示しているにすぎません。作曲者が、DVのこのような実態について事前リサーチ行ったとすれば、リサーチなしの場合と比べ、曲のプランは確実に異なってくるでしょうし、音遣いの質も一段と深みを増すのではないかと思えるのです。


役柄上、僭越を承知で、受賞作についてのコメントを、以下に記したいと思います。これがどの程度妥当なものであるか、時を経ながら評価されていくでありましょう。
天岡寛晋「INTERMEZZO」~ピアノ連弾版
実際にこの曲の演奏に接して、まずは受賞候補作として躊躇なく選びました。ヴォーン=ウィリアムズ「交響曲第5番」第3楽章を思い起こさせる、静謐で高貴な楽想に心惹かれたためです。この曲は、作曲者50歳を期して、自身の葬送のための曲として書かれたそうで、このような楽想で一貫して音楽が展開すると、演奏時間約5分半の後半では、その音楽的緊張がとかく持続できなくなりがちに思えます。しかしそれを感じさせず、聴きごたえある終結を迎えているところに、作曲者の並々ならぬ技量を感じました。
ただ、他の審査員の指摘にあるような難点があったために、本来の作曲賞に至らなかったことが惜しまれました。ぜひ原曲の吹奏楽版を一度聴いてみたいものです。

松岡 佳歩「⾔葉の棘」
送付された応募動機と作品解説を読んだところ、当方は、「これは、一般的でありがちな表現で書かれているが、被害者の経験を感覚的に分かっている」と思い、音楽表現として、それがどれほど実現しているか、期待させられました。

曲目解説によれば、「言葉による暴力を鋭い棘にたとえ、その棘による痛みが癒えていくまでを描いている」とされ、これは無調風な部分から調性的音楽へと転換する曲の構成に、対応しています。後半の調的部分で、単に心が解放されて落ち着く、といった予定調和に陥らずに、苦み、あるいは滲みのような、スッキリしない響きを残していることに好感が持てました。一方で、特に後半で作曲者が目指したものを、どこか十分とらえきっていない迷いのような印象もあったのが惜しまれました。

池田 文麿「パープルリボンの為のエチュード」
この曲は、当方が最も評価に苦しんだ曲でした。実は、DV・虐待・性暴力の領域で被害者支援、および加害者の更生支援に長年携わってきた心理臨床家から見ると、応募曲の内容のコメント(ここで具体的文面を挙げるのは避けます)に明らかな錯誤がある、すなわち現実にそぐわない思い込みが存在するのですが、これをどの程度の重大性として扱うか、考えあぐねました。

しかし、音楽の独立性・抽象性という性質を考え合わせると、これで決定的な評価とするわけにいきません。壮大な思い込み、作曲者しか理解できない価値観をもとに構築され、なおかつ優れた作品は、音楽史上、数多く存在します。19世紀末に欧米で流行した神智学に影響されて、独自な神秘思想を発展させた、スクリャービンの交響詩「プロメテウス」は、極めて誇大妄想的音楽ですが、紛れもない傑作であり、その好例と言えましょう。

この曲の楽想は、何とも無頼というか突き放すような趣があり、しかもある種の風格も感じさせました。しかし、同曲の演奏困難な面も関係しているのでしょう、音楽の運びが独特すぎて聴き手がついていきがたいような「剛腕さ」が感じられ、しかし、それこそ作曲者が意図した「暴力性」の現れかもしれず、しかしそこに音楽的説得力があるか紙一重なわけで、コンクールという限定された期間内で判別が困難で、戸惑いを覚えました。

一方で、「入賞するために、一聴して耳になじみやすいような曲で応募しよう」とする応募者が出現するとしたら――そのような現象がどの程度起こっているか否か、当方は知りませんが――コンクールを行うことのデメリットとなる、だから作曲者の姿勢はあくまでこれでよいのだ、とも思えました。以上のような極めて矛盾する側面を考えさせられる曲で、総合してどう評価するか、落ち着きどころが見つかりにくい、それが率直なところでした。


人間が生きるに伴う多くの困難を、過去の時代から乗り越え、現在に至ることを、我々は想い起こすべきでしょう。江戸時代には、妻から離婚を言い渡すことはできませんでした。それほど女性を差別的に扱ってきたのです。一方で、鎌倉の長慶寺のような駆け込み寺が全国で2箇所あり、女性が2年間そこで修行を完了すれば、寺の権限で離縁状を出すことができましたが、そこには、酒乱で夫の暴力のケース(すなわちDV)が数多く記録されているそうです。

20世紀の日本でも、第二次大戦後、女性が参政権をもった最初の選挙では、「女性に政治などできるのか」という声が数多く上がったそうですが、今では、女性の議員も政党党首も当たり前になっています。東京オリンピックをリードするトップの「会議で女性がたくさんいると、時間がかかる」との発言が、明確に「No」とされ、辞任に追い込まれたことは記憶に新しいでしょう。それほど我々の見識レベルが上昇しているのです。もし同様のことが1964年東京オリンピックの際に起こっても、何ら問題にされなかったでしょう。

私たちは、僅かずつ不当な苦しみを人間に与えることを排し、社会を住みよくしてきました。そのような積み重ねの延長に、我々の安心できる生活があります。しかし、それも決して十分ではなく、暴力という、人々に抑圧的で冷酷な側面は数多く残っています。

金子みすゞの言葉「みんな違って、みんないい」は、広く共感を呼び、多様性の尊重も語られています。しかし、「現代は、暴力・セクハラ等に過敏になっている」「場合によっては暴力や体罰も必要、時に厳しさもあっていいのでは」といった、暴力容認の価値観の多様性も、受け入れるべきでしょうか?

人間同士が尊重しあうことや、人間の調和的な関係を実現することと、暴力はあい入れないのです。それを少しでもなくして次世代にバトンタッチする、そのために音楽が一役働いても悪くはない、と思うのです。我々皆が、少しずつそれぞれの流儀で、その重荷をお神輿のように担いでいこうではありませんか。DV・セクハラ・性暴力という、目をそむけたくなる問題に、音楽により美や豊かさの要素を生み出そうとすることを、当方は切に願っているのです。

《パープルリボン作曲賞》は、そのような来るべき世代のための作曲コンクールです。本作曲賞第2回以降の事業を通じて、「非暴力の文化の輪」が広がり、多くの方の賛同とご協力があることを期待しております。



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