機 材 歴

4cm屈折経緯台

自作8cm屈折経緯台

6cm屈折赤道儀と300mm望遠レンズ

21cm反射赤道儀

ポケットコンピュータ

8cm屈折経緯台

その後の機材

4 cm 屈 折 経 緯 台

 私が手にした初めての天体望遠鏡は、ミザール(日野金属)の4cm屈折経緯台・コロナ型である。これは1965年、私が中学1年生のときに買ってもらった。3,800円だった。

 接眼レンズはH10mm80倍1つしか付いていなかったし、ファインダーも天頂プリズムも無かった。ドローチューブは引き出すだけで、ラック&ピニオン式ではない。架台も微動装置など何もない。器械としては極めて単純な作りだった。今、考えるととても扱いにくかったはずである。良くもこんなお粗末な望遠鏡で数々の天体を手動導入したものだと思う。慣れとは恐ろしいものだ。

 機構的にはお粗末だったが、光学系はかなり優秀だったのではないかと思う。昔は、安価な望遠鏡でも丁寧に作られていたのだろう。針でつついたようなシャープな恒星像や、くっきりとしてぼやけない惑星の輪郭を、今でも覚えている。

 光学系が良かったのは、口径が4cmでありながら、焦点距離が80cmもあった、つまりF20であったことが理由の1つだと言える。当時としては、屈折はF15程度が標準だったから、F20もの値を取れたのは、口径が4cmと小さかったからである。そのお陰でシャープな星像が見えたのだ。

 ずいぶん後になってH20mm40倍のアイピースと、天頂プリズムを買い足したが、それまではずっと80倍しか使用できなかった。月や惑星や明るい恒星を導入するのは直ぐに慣れたが、苦労したのは肉眼で見えない天体を見ようとしたときである。

 今でも覚えているのが、りょうけん座の球状星団M3を探したときのことである。この星団は近くに目印となる明るい恒星が無い。そこで、ずいぶん離れたアークトゥルスを基点としてそれらしき空域にレンズを向け、その付近の空をくまなく探していった。文字通りの掃天である。

 繰り返すが、この望遠鏡にはファインダーが無い。それに倍率は80倍もある。そんな環境で、どこにあるか良く分からない淡い球状星団を見ようとしたのだ。今だったら、とてもやる気にならない。今はファインダーに目的の天体を入れるのにすら苦労している。当時の私がやろうとしたことが、いかに無謀な試みであったか、歳をとった今ではそのことが良く分かる。

 さて、当然のことながら、その時はずいぶん長い時間がかかった。しかし、遂にM3は視野に入ってきた。淡く白い光の塊。生まれて初めて望遠鏡で見る球状星団だった。球状星団の写真は既に見ていたが、写真とは随分違うこの姿に、しかし私は失望しなかった。その神秘的な姿に、ずっと見とれていたような気がする。同時に天体を見るには、疲れることもあるのだと、初めて知った。探すまでに無理な姿勢をとっていたからだ。

 M3を導入してから数ヶ月後、今度はヘルクレス座のM13を見た。M3に比べれば分かりやすい位置にあるので、その時はさほど苦労しなかった。しかし今、ファインダーを使わずに、80倍のままM13を視野に入れろと言われたら、私は逃げ出すだろう。

 私の家は貧しかったから、この小さな望遠鏡を何年も愛用した。後に庭にガラクタのような簡易赤道儀を作って、それに載せてみたりもした。このあたりの努力、いま考えると、実に涙ぐましい。当時の自分が可哀相になってしまう。ま、充分もとを取ってお釣りがくるほど使いこなしたこの望遠鏡は、既に私の家には無い。いつの間にやらどこかへ行ってしまった。

 

自作8cm屈折経緯台

 さて、私の家が貧しかったことは上に書いた。したがってより大きな望遠鏡を手にするには、自作するより他に手は無い。あまり上質なものではないが、いちおうアクロマートの8cm対物レンズを買って、あとは全て自作することにした。記憶が定かではないが、たぶん高校1年か2年のときであったと思う。

 8cmでF15だったから、焦点距離は120cmもあった。塩化ビニールのパイプを鏡筒にして作ったが、けっこうな大きさになった。対物レンズは粗悪品だし、初めての自作だから光軸の調整ももいい加減なものである。この望遠鏡は期待したほどには良く見えなかった。しかしこいつに初めての愛機の4cm屈折を同架し、さらに友人からもらった4cm短焦点レンズで作ったファインダーも取り付け、木で作った丈夫な経緯台に載せると、なかなか立派な外観となった。写真に撮ると、ちょっとした天文台の望遠鏡であるかのように写った。

 この望遠鏡は、天体をより良く観るというよりは、大きな望遠鏡を持つ、という所有欲を満たしてくれはした。しかし、光学性能の悪い望遠鏡に、そんなに大きな価値があるはずも無い。H50mmという変なアイピースを買って24倍の低倍率を得て、それで彗星捜索などをしたことなどは覚えているが、今まで見えなかったものが見えた、という喜びは与えてくれなかった。

 その後まもなく大学受験のための勉強生活に入ったから、この望遠鏡が最後はどのようにして処分されたのか、それすらも、もはや忘却の彼方である。

 

6cm屈折赤道儀と300mm望遠レンズ

 大学時代は私の天体観測の空白期間である。天文への興味を失ったわけでは無いが、専門の物理学の勉強にいそしんでいたから、それで知的好奇心は充分に満たされていた。大学を卒業して就職し、再び趣味として天体観測をやろうとしたときに、友人からカートン光学の6cm屈折赤道儀、商品名「コメットシーカー」を譲り受けた。これが私にとって初めての赤道儀である。天文を始めてから、赤道儀を手に入れるまで、実に10年の歳月を要したことになる。細かいことだが、ラック&ピニオン式のドローチューブも初めてだった。

 この望遠鏡は当時としては珍しく、6cmの口径でありながら、焦点距離は710mmと短かった。したがって、光学性能は特筆するほどではなく、まあ普通に見えた、といったところである。初めて手に入れた赤道儀ということもあって、これは眼視観測よりも、天体写真のガイド鏡として使われたという記憶が強い。

 そうは言っても、私の天体写真の技術と情熱は大したことが無いから、写真をたくさん撮ったということは無い。たまに珍しい天体が現れると、ちょっと撮ってみたという程度である。

 天体写真にはもっぱらPENTAXのSMCタクマー300mmの望遠レンズを使用した。これは肉眼では見えない、暗い彗星を撮影することを目的として買った。5万円だったと思う。300mmでF4だから、レンズの口径は75mmもある、それは見事なレンズだった。理論上は12等級の彗星まで姿を捕らえることができるはずだった。

 この望遠レンズと6cmの屈赤の組み合わせは、回数は少ないが、いくつかの大きな成果をもたらした。小林−バーガー−ミロン彗星、はくちょう座新星、ウェスト彗星など全てこの機材の組み合わせで撮影した。これらについては別項「過去の会報から」に記したとおりである。

 特にウェスト彗星は大きく見えたときだけではなく、地球から離れつつあり、かなり暗くなったときに、この望遠レンズに姿を現した。この撮影に成功したときは、本当に嬉しかった。300mm望遠ならではの、貴重な成果だったと思っている。

 なお、望遠レンズを付けたカメラを同架すると、当然重量が重くなるから、始めから付属していたバランスウェイト1つではバランスが取れない。そこでバランスウェイトをもう1つ購入し、それでバランスを取った。今、考えると過積載だったのではないかと思うが、当時は手動ガイドが当たり前だったから、じゅうぶん実用になった。

 最近になって、星への興味を取り戻して、また望遠鏡を買おうと思ったとき、真っ先に考えたのは、この6cm屈赤のように、小さいがしっかりした赤道儀が欲しいということだった。しかし、時代は変わって今はこのような商品は売られていない。まことに残念である。

 300mm望遠レンズは今でも家にあるが、カビだらけになっている。カメラボディもシャッターが壊れて使えなくなっている。カメラは35年以上、望遠レンズは30年以上も昔のものだから、使えなくなるのも仕方ないが、今これらの機材が使えれば、それなりに役に立つと思うと残念でもある。

 この赤道儀は私の次の機材の購入のときに、友人に2万円で売ってしまった。いま手元にあったら、まだ使えただろうか。

21cm反射赤道儀

 就職して1年間働いた私は、かつて持ったことの無い金額の貯金額を得た。そのまま貯金しておけば良かったと、今になっては思うのだが、若くて青臭い情熱のあった私は、当時唯一の生きがいであった天文に、多額の財産を投入してしまったのである。

 就職して2年目のある日、私は46万円を持って郵便局に行き、愛知県にあった旭精光にその金を送ってしまった。21cmの反射赤道儀「アスコ・スカイルック210」の注文である。

 受注生産であったため、かなり長い間待たされたが、やがて巨大な木箱が送られてきた。当時の、小さくて狭くて、ボロだった家の中にこの木箱が置かれた。

 近所の大工に頼んで、庭にスライディングルーフの観測室を作ってもらった。工賃は20万くらいだったと思うから、まあこれは良心的な価格だと言えよう。

 こうして家はボロなのに、立派な観測室と大きな21cm望遠鏡が庭に鎮座ましますことになった。天文趣味の頂点を極めた時期だったかも知れない。

 今流行ののカタディオプトリックとは違って、ニュートン式反射であり、Fは8もあったから、焦点距離は1600mmもある。反射とはいえ長い筒だった。取り回しもはじめは苦労したが、これには直ぐに慣れた。

 私はたぶんこれで様々な天体を観ているはずである。しかし、木星や土星がどのように見えたのか、まるで記憶にないのは何故だろう。火星も良く見えたという記憶が無い。今、思い出せるのは、まだ地球に近づく前のハレー彗星やダニエル彗星といった暗い彗星を検出したこと、月面を見て月も確かに岩石からできているという質感を得たこと、球状星団M13がかなりの迫力で見えたこと、それくらいである。あとは、まるで記憶に無い。

 私は多分、天文趣味の限界に突き当たったのだと思う。これほど大きな望遠鏡をもってしても、天体というのはそんなに良くは見えないものだ、ということを知ることによって、観測者としての自分に限界を感じたのではないか。私は、その後観測をやめて天文計算の分野に入っていった。そのことを思うと、そう断ずるしかない。

 また望遠鏡を買ってから5年くらい後に、私はボロな実家を出て、近所のアパートで一人暮らしを始めた。この事によって、ますます望遠鏡を覗く機会が無くなった。釣りやバイクに興味を持ち出したのもこの頃からである。天文からはどんどん遠ざかり、観測室は物置になった。

 この望遠鏡と観測室は家の建て替えのときには、邪魔以外の何物でも無い存在になっていた。自分が天文をやることは二度とあるまいと思っていたから、どうなっても良かったが、とりあえず主鏡と架台と、ピラー脚とバランスウェイトだけは某場所に運んだ。しかし巨大な鏡筒はどうにもならず、産業廃棄物の業者に処分してもらった。

 今になって思うと勿体無いことをしたという気持ちはかすかに残っている。しかし、今この家にあの巨大な望遠鏡があってもやはり邪魔である。家が大きくなった分、庭は狭くなり観測室など建てられない。また、自分の家も二階建てになり、隣の家も建て替えたから、空は狭いすき間から見るしかない。仮にこんな所に望遠鏡を置いても、空がろくに見えないから意味が無いものとなる。

 現代の都会では、スカイルック210のような望遠鏡は、もはや使えない存在になっている。だからクルマに載せて運べるような、短いカタディオプトリック式望遠鏡が流行っているのだろう。

 私のもとに来たスカイルック210は不幸な一生を過ごした。まだ主鏡は残っているから、メッキし直してドブソニアンにでも変身させてやることができれば、と思っている。

 

ポケットコンピュータ

 望遠鏡ではないが、私の天文機材歴で忘れることのできないのが、シャープから出ていたポケットコンピュータPC1211である。プログラム電卓のもっと複雑なものだと思ってもらえば良いだろう。

 1980年代の、パソコンがまだマイコンと呼ばれていた頃に流行っていたBASICの基本的なコマンドを駆使して、かなり複雑なプログラムが組めた。

 これを買う以前にも、関数電卓を使って簡単な天文計算はやっていた。しかし、このPC1211は驚異的な性能を持つもので、これを使えば様々な天文計算ができるであろうということを知った私は、その存在を知るや否やすぐにユニーで買った。39800円だった。

 とりあえずは以前からやっていた赤道座標から地平座標への変換(あるいはその逆)のプログラムを作ってみた。これは簡単にできた。そして、いよいよ当時の天文計算の花形だった、彗星の位置推算のプログラムを作った。少し苦労したが、完成したプログラムは確かなものだった。その頃の彗星の位置予報は、スミソニアン天文台のDr.マースデンが国際的に発表していたが、私がPC1211で計算した値は、マースデンの発表した値と、小数点以下最後の桁までピタリ一致していた。

 その後、長谷川一郎氏の「天文計算入門」や恒星社の「天体の軌道計算」を参考にして、何種類もの天文計算のプログラムを作った。最終的には摂動計算までできるようになった。あの頃、このポケットコンピュータを使って摂動計算までしたアマチュアは、日本広しと言えど、そう何人もいなかったのではないか、と自負しているのだが、真実は分からない。

 その後、私はポケットコンピュータを卒業して本格的なマイコンを買うか、あるいはバイクを買うかで迷ったが、選んだのはバイクのほうだった。ここにもまた、天文から遠ざかる原因があった。パソコンを買ったのは、これより十数年後のことである(天文のために買ったのではないが)。

 なおPC1211は今でも持っているが、とうの昔にバッテリーが切れた。使われていたMR44という水銀電池が環境問題のためか、製造中止となったため蘇らせることができなくなった。今でもこいつが使えれば何かと便利なのに、と残念でならない。

 

8cm屈折経緯台

 私の天文の空白期間は、実質どれくらいの年月だったのだろう。いずれにしても、四捨五入すれば20年にはなるはずである。この年月の間は釣りをし、またバイクに乗っていた。それはそれで楽しかったが、人間、最後には本当に好きなものに回帰するということだろう。ある事をきっかけにして、衝動的にまた星を見たくなり、天体望遠鏡が欲しくなった。

 まあ、仕事があって疲れるし、光害やらスモッグで昔ほど星が見える訳でもない。本格的な観測をやれる環境にないので、手軽にちょっと星が見られれば良い、そう考えた。

 はじめは前に書いたように、昔よくあった6cm程度の、小さいがしっかりした赤道儀が欲しかった。しかしネットで現代の望遠鏡市場を調べてみると、そのような製品は作られていないことが分かった。まともな赤道儀というと、最低10万円近い価格になってしまう。ちょっとやるだけの天文に10万円は出せない。

 それに良く良く考えてみると、いま私の家の庭やベランダからは、北極星が見えない。ビルの谷間ならぬ住宅の谷間であるから、天の北極は他所の家の向こうである。それならば赤道儀は無駄だ。それに気軽にかついで階段を昇り降りするのには、赤道儀は重いだろう。以上2つの理由から、私は屈折経緯台を買うことにした。反射ではなく屈折にしたのは、メンテナンスの気軽さを考えてのことと、私は昔から屈折のほうが望遠鏡らしくて美しいと思っていたからだ。

 最終的に選んだのは、性能と価格のバランスを考えて8cmの屈折経緯台だった。ビクセンのニューイカルスD−80Mという商品である。ビクセンというと、昔は二流のメーカーというイメージしかなかったが、永い年月の市場競争に勝ち抜いてきただけあって、今はなかなかのブランドにのし上がっているようだ。

 口径が8cmなのはいいとして、焦点距離が91cmと、ちょっと短めなのが気になった。口径8cmなら120cmの焦点距離が、昔の標準である。これでちゃんとした像が得られるのだろうか、いいや最近はレンズの研磨技術が進歩して、これで充分なのに違いない、など様々な思いが交錯したが、ネットのショップで注文した。4万円ちょっとの価格だった。後で知ったことだが、ヨドバシカメラでは、もっと安く買える。orz

 私が子供の頃には、8cm屈折で4万円の望遠鏡なんて、夢のまた夢だった。そんな価格の望遠鏡が、簡単に買える自分になったのだということを、あらためて実感した。だてに永い間苦労して働いてきたわけではないのだ、ということがこんな事から分かったのである。

 子供の頃の自分が、こんな望遠鏡を持っていたら、どんなにか役に立ったことだろう!いまタイムマシンがあれば、過去に帰り子供の自分に、どんな望遠鏡でも買ってあげたいと思う。それ程、あの頃は望遠鏡が欲しくて欲しくてたまらなかった。いつも望遠鏡の前に立つと、天文少年だった頃の自分と同じ気持ちになるのは、その所為だろう。望遠鏡を見ながら「昔これがあったらなあ」と思うことしばしばである。

 さて、注文してから程なくして、宅配便で送られてきた。早速その場で組み立てた。勝手知ったる天体望遠鏡、組立解説書など読む必要は無い。さっさと組立は完了した。

 それから2〜3日は曇っていて星が見えなかったが、11月のある日、初めてこの望遠鏡で木星と土星を同時に見る機会があった。木星は見慣れた風景で、まあこんなもんだろ、という感じ。しかし土星を見てびっくりした。カッシーニの間隙と本体の縞模様が見える!これだけ見えれば充分である。最近、こと座のダブルダブルスターを観たが、ちゃんと分離して見えた。

 そんな訳で、いま私がやっている程度の天体観望には十分な性能だと思う。不満は低倍率用アイピースがケルナーなのは良いとして、高倍率用がHMとちゃっちいこと。視界が狭くて仕方ない。せめてオルソに変えたいと思っている。

 もう1つの不満は、別項「太陽」で書いたように、鏡筒がプラスチックなので、太陽に向けるなと説明書に書いてあることである。しかし、どう考えても鏡筒より対物レンズのほうが大事なので、カビ防止のためにときどき太陽に向けている。

 あと数年はこの望遠鏡で、お手軽観望を楽しむつもりだ。退職したら、自分へのご褒美として、20〜30万円の、もっとちゃんとした望遠鏡を買おうと思っている。楽しみだ。星を観ていると、日常のくだらない仕事でささくれ立った心が、どんどんと透き通っていく感じがする。やはり星はいいもんだ。星を思い出して良かった。

その後の機材

 久しぶりの更新にあたり、その後そろえた機材をまとめる。上の記事を書いた頃の想像とは裏腹にだいぶ散財してしまった。

○タカハシFS-60CB 簡単な眼視にも使えるがレデューサーをつけて彗星や星野写真に使うことが多い。またエクステンダーをつけて日食や月食も撮影した。

○タカハシFC-100DC 月面や惑星の眼視観測に使用。写真にはほとんど使わない。軽くて使い勝手が良い。

○タカハシミューロン180C 火星大接近に備えて買った。まだ買ったばかりでろくに見ていない。上のFC-100DCを買ったときには発売されていなかったがこれが売られていたらこっちを買ったろう。
ミューロン210は売っていたが210がデカ過ぎるのはスカイルックで懲りていたので買わなかった。

○タカハシPM-1赤道儀 これ以上重いのは嫌なのでこれを買った。地方恒星時を計算するプログラムをVISUAL BASIC(古い!)で作りこれで極軸を合わせている。正確に合わせればオートガイドしないで実用になる。FC-100DCまでは楽々載る。ミューロンを載せたことはない。

○自作6cm屈折 F15のいわゆる長焦点アクロマートという奴である。なぜこんなものを自作したかと言うと「細長い望遠鏡が欲しかった」からである。子供の頃に憧れていたのはこれくらいのサイズだが、一体どの程度見えたものなのか気になったのもある。それで3000円くらいのレンズと350円くらいの水道管を買って作ってみた。内部はつや消し黒のスプレーを吹いてボール紙の遮光環を2枚入れた。これは良く見える。冬場はシーイングが悪いのでこれで月を見るのが一番落ち着く。

 さてそうなると以前のニューイカルスの出番が無くなったかと言うと全くそんなことはない今でも出番はかなり多い。たとえば雲が行き来していてゆっくり見られるかどうか分からないときはこれを出す。

○SkyWatcher BKP130 上まで書いて数ヵ月後、また新しい機材としてこれを買ってしまった。家の前に家が新築されてただでさえ狭い空がもっと狭くなった。こうなると今まで補助的に使っていたベランダも観望場所として活用せざるを得ないので、狭いベランダに機材と観測者が配置できる短焦点ニュートン反射が必要となったのである。15cmあれば申し分ないのだが狭い空間に収まらないと元も子もないので13cmで我慢した。これは値段の割には良く見えるのではないかと思う。これを買ったおかげでベランダで落ち着いて観測できるようになった。

 

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