<イタリアを思いながら>

その1       トスカーナの田舎でくつろぐ 〜 滞在型バカンスのすすめ
その2       シチリア島、タオルミーナにて 〜 言いたいことは言わなきゃ!
その3       美しくエレガントな街で 〜 マルケ州ウルビーノ
その4       イタリア語スピーチコンテストに出場して


<イタリア語スピーチコンテストに出場して>

  2000年12月2日、東京、築地の浜離宮朝日小ホールで『第10回イタリア語スピーチコンテスト』が開催されました。(財)日伊協会が、イタ リア大使館、NHK、朝日新聞社の後援を受けて毎年開催しているもので、スピーチ原稿の書類審査を経て、12名が本選に出場しました。

 実は、私もそのうちの一人。運良く本選に出場することができたわけですが・・、聞いたところでは応募者自体が40名強といことですので、まぁ、予選通過 の壁はそれほど高くなかったわけです。このところ、イタリアの人気は上がる一方ですが、ショッピングやグルメ、観光目的でイタリアに出かける人は急増して いても、イタリア語を学ぶ人は英語や仏語、独語に比べてまだまだ少ない、ということなのでしょう・・。

 ちなみに、本選の出場者は、大学生から会社員、主婦(これは私!)まで、10代から40代まで、年齢・職業ともに様々でした。ただ、当然、ある程度の語 学力は必要になりますから、やはり大半の方は期間に差はあるもののイタリア滞在経験を持っており(応募資格は在住通算3年以内)、今回の優勝者、高田紘子 さんはペルージャ外国人大学に2年留学されていたそうです。



 さて、当日はまず用意した原稿を舞台でスピーチし、その後、イタリア人の先生から質問を受ける、というスタイルで行われます。順番は抽選で決められ、私 は7番目の出場となりました。仕事柄、人前で喋ることには割と慣れていたのですが・・、聴衆の前でイタリア語でスピーチするなんてもちろん初めて! やは り緊張感は相当なものでした。

 スピーチの時間そのものは5分以内と決して長くはありませんし、本選出場の通知は1ヶ月前に頂いていましたので、それなりに準備をし、内容も暗記しては いたのですが、なかなか"ペラペラペラ〜〜〜"とは行きません。おまけに、イタリア語での質疑応答は、まさに「ぶっつけ本番」ですから、もう、しどろもど ろ! 自分の言いたいことをきちんと表現できず、情けない思いをしました。自分のボキャブラリーの貧しさと会話能力の乏しさをひしひしと実感した次 第・・。 

 まぁそれでも、こういう体験は普段なかなかできないものですし、よい経験になったことは確かです。また、他の方のスピーチもとても興味深く、今後の参考 になりました。イタリア語でのスピーチですから、もちろん語学力はなにより重要です。ただ、この点に関して正直なところを言わせて頂ければ、発音やイント ネーション、リズム、表現のニュアンスなどはやはり、より長くイタリア語圏にいた人のほうが有利といえば有利。知識として学習したイタリア語と耳から自然 な形で覚えたイタリア語に、ある程度の差が出てくるのは仕方ないことではないでしょうか。

 では、その差をどうやって埋めればよいのか・・、それはやはり、スピーチのテーマ選びや内容構成力、客観的な視点といった「日本語の文章 力、表現力」ではないかと思うのです。5分という短い時間に、何を、どんな流れで、どう話せば聴衆により印象深く伝わるのか、それが、言うなれば「スピー チのコツ」だと改めて感じました。



 以下、気付いたことを具体的にまとめてみると・・・、 


 *テーマは、5分で『起承転結』が可能なように焦点をしぼって、わかりやすく
  「人生論」的な壮大な話になってしまうと、なかなか5分では言い尽くせない

 *自分の体験などに基づいた話題のほうが話しやすく、説得力もある
   かといって、単なる思い出話で終わってしまうと、物足りない感じが残る

 *聴衆が興味を持ってきいてくれそうな、自分なりの新鮮な視点でまとめる
   自分の体験に、社会背景や文化比較を重ね合わせると、話がより拡がる

 *同じような意味の動詞、形容詞でも、ニュアンスの違いに気をつける
   自分の気持ちに最も近い単語をあきらめずに探してみること

 *イタリア人に発音やイントネーション、リズムなどをチェックしてもらう

 *舞台に上がったら、あとは開き直るだけ! 自信をもって、堂々とスピーチする


 「来年は応募を!」という方は、どうぞご参考に。私も、もう少しテーマを絞り込んで話の展開を整理し、再挑戦してみようかな、などと考えています。

スピーチコンテスト 応募原稿(イタリア語原稿)

スピーチコンテスト 応募原稿(日本語意訳)




トスカーナの田舎でくつろぐ 〜 滞在型バカンスのすすめ


  *モンテプルチアーノで夏休み

 この夏、2年ぶりに、かつて息子と共に半年間滞在したモンテプルチアーノを再訪しました。モンテプルチアーノは以前よりずいぶん観光客が増え、新 しい土産物店もオープンしていて少し驚きましたが、それでも、ローマやフィレンツエのような「喧噪」とは無縁。のどかな雰囲気と、まるで絵はがきのような 美しい景色に包まれて、心身ともにリラックスできる素敵なバカンスを過ごすことができました。

 モンテプルチアーノの大きな魅力は、豊かな自然環境もさることながら、中世からの長い歴史によって培われた文化性の高さと地元の人々の素朴さ、大らかさ にあります。ローマやフィレンツエのように、有名な教会や美術館が数多くあるわけではありませんし、世界的に有名な絵画や彫刻がきらびやかに並んでいるわ けでもないけれど、石造りの街並みは中世の頃そのままで、落ち着いた雰囲気を醸し出していますし、街には立派な市庁舎やドゥオーモ、劇場、二百年の歴史を 持つカフェもあります。また、7月から8月にかけては国際音楽祭も開かれ、街のあちこちの教会や広場でコンサートや演劇が行われますから、ずっとこの街に 滞在していても飽きることがありません。

 一方、街の人たちは、ローマやフィレンツエのように「観光客ずれ」しているわけではないから、外国人に対して態度が変わるようなこともなく、ごく普通に 接してくれます。残念ながら、観光地では日本人=お金持ちというイメージが強いため、おみやげ物を必死で売りつけようとしたり、反対に店に入るだけで嫌な 顔をされたりして(ブランドものを買い漁る日本人に対していいイメージを持てない気持ちはよくわかるのですが・・)、不愉快な思いをすることが少なからず ありますが、モンテプルチアーノの場合は、日本人そのものをあまり良く知らない、というか、中国も韓国も日本も同じように考えている人たちが少なくないの で、とりあえず外国人には親切にしておこう・・、という感じ。治安も良いので、バッグを抱えこみ、緊張感を持って街を歩く必要もありません。街全体がおっ とりした雰囲気に包まれ、時間の流れまでゆったりしているのです。



  *かつての日本の雰囲気が漂う街

 モンテプルチアーノに滞在している間、私は何度となく自分が子供だった頃=昭和30年代から40年代の「空気」を思い出しました。松山という田舎 の街で生まれ育ったせいもあるでしょうが、地域社会がしっかり残っていてご近所の人たちとのつながりも深く、日々の生活も今よりもずっとのんびりしていま した。夏の夜、家の前に長椅子を出してご近所の人たちと共に夕涼みを楽しむ姿も決して珍しいものではありませんでしたし、町内で餅つきをしたり、一緒に遊 びに出かけたりすることもよくありました。また、お赤飯やお寿司をつくったらお裾分けする、というような習慣も残っていて、そんな時はお礼代わりに器に半 紙を添えて返す、と教えられたものです。

 人間関係が濃いというのには、もちろん煩わしさや閉塞感もあります。誰が何をしているかが筒抜けで、それが鬱陶しくもあり、また重荷にもなるでしょう。 しかしその反面、周囲に恥ずかしくないように・・、という歯止めになることも事実ですし、困った時は誰かが助けてくれるという安心感にもつながるのではな いか、と思うのです。そんな空気を懐かしく、また羨ましく思ってしまうのは、私が今、大都会東京で暮らしているから? それとも、単に年を取ったせいで しょうか・・?!


  *滞在型バカンスのすすめ

このところのイタリアブームでイタリアを訪れる日本人は増える一方。でも、その多くがローマ、ミラノ、フィレンツエ、ベネチアといった都市部に集中していて、みんな忙しく観光スポットを駆け抜けていくのは、とても残念な気がします。

 もちろん、長い休みを取り難くそうそうのんびりしてはいられない、はるばるイタリアまで行くのだからなるべく多くのところをみたい、という気持ちはとて もよくわかります。でも、もし再度イタリアを訪れることがあったら、今度はぜひ滞在型の旅を楽しんでみてい下さい。特に、まだあまり観光化されていない静 かな街に滞在して、そこから日帰りや1泊旅行で観光に出かける、というプランをおすすめします。

 例えば、私が滞在したモンテプルチアーノからは、列車やバスを利用してローマ、フィレンツエ、アレッツォ、ピサ、ルッカ、シエナ、オルビエート、ペルー ジア、アッシジなどに日帰りで出かけられます。さらに、レンタカーを使えばもっと行動範囲は広がります。それでいて、宿泊費はホテル滞在よりぐっとお手軽 ですから、そう悪い話ではないと思うのですが・・・?! ちなみに、イタリア語が出来るに越したことはありませんが、日本語オンリーでもそれなりにどうにかなるから、恐れることはありません。


  *滞在にかかった費用は

 モンテプルチアーノでは、語学学校「イル・サッソ」の紹介で、チェントロ(旧市街)にアパートを借りていました。部屋はいわゆる1LDK。といっ ても、日本のアパートに比べるとかなり広く、60u位はあったと思います。クローゼットやベッド、テーブルなどの家具、シーツ、タオルなどのリネン類、冷 蔵庫、調理用具、食器はすべて揃っているので、現地で購入するのは食料品とトイレットペーパー、石鹸、シャンプーといった日用雑貨類のみでOK。いわゆる 「貸別荘」に住むような感じです。ただ、私が借りた部屋にはバスタブはなく、シャワーのみでした(イタリアでは、バスタブがないアパートは決して珍しくあ りません)。でも、インテリアはとてもエレガントで、見事にトータルコーディネイトされていましたし、窓の向こうには美しいトスカーナの景色が広がってい て、雰囲気は最高でした。

 標高約600mのモンテプルチアーノは、夏場のバカンス地として人気が高いため「アパート代」と考えると安くはないと思われるかもしれませんが、バカン スでホテルに滞在することを思えば、かなりお得。また、自炊は面倒だと思われるかもしれませんが、長期滞在の場合、外食ばかりだと経済的に、胃にも負担が 大きいので、自炊が出来るアパートの方がかえってラクです。また、日本に比べると、食料品は割安感があるので(特に、トスカーナの野菜と果物は新鮮で美味 しく、とっても安い!)、自炊費用もそれほどかかりません。

 2人部屋の場合は、2LDK(70〜100u前後)のアパートを、家族や友人グループで滞在する場合は、郊外の一軒家を借りることも出来ます。一軒の家 が三つくらいのアパートに分かれているもの(タウンハウスのような感じ)や、一軒まるごと借りるものなど、いろいろバリエーションがあり、4〜12人位ま でOK。なかには、テラス付き、プール付きの家もあります。ただし、こちらは基本的に1週間単位が原則です。

 
  *東京に戻って

 さて、5週間に及ぶ滞在を終えて帰国した私は、東京での日常生活が始まるや否や、あることに夢中になりました・・。狭い東京のマンションにあふれ ている洋服や雑貨の大整理です。モンテプルチアーノでは、引き出し一つ分の洋服とほんのわずかの雑貨、本や資料だけで暮らしていましたが、それで特に不自 由は感じませんでした。反対に、必要最低限、自分の気に入ったものだけに囲まれている暮らしに、快感さえ覚えたのです。もちろん、バカンスと日常生活は違 いますから、東京で「必要最低限」のモノの量はずいぶん増えてしまいます。それでも、もう一度家の中を見直してみると、ここ数年袖を通してない洋服、ほと んど使っていないモノがどれだけあることか! 

 まぁ、あまりムキになっても仕方がないので、とりあえずはフリーマーケットにでも出してみようか、と整理をしているところですが・・、そ んなことをしていると、買い物をするときは長く使えるものをようないい物を、そして、多少壊れたり汚れたりしても直して使えないかと考えるようになるか ら、不思議なもの。私にとって、モンテプルチアーノは、くつろぎと共に大きな刺激を与えてくれる、とても大切な場所のひとつなのです。


 <シチリア島、タオルミーナにて 〜 言いたいことは言わなきゃ!


  *高級リゾート、タオルミーナへ

 先日、たまたま見たTV番組で、懐かしい景色と再会しました。その番組は、ある有名女優と脚本家がイタリア各地を旅し、美味しい料理に舌鼓を打 つ、というよくあるパターン。そして、画面一杯に映し出されていた景色は、まさにこの夏私たち家族が訪れ、ほろ苦い思いをしたその場所でした。

 シチリア島のタオルミーナと言えば、イタリアでも名だたる海辺の高級リゾート。イタリアでは新婚旅行先としても人気が高く、特に夏の間はヨーロッパ各地 からバカンス客が訪れて、街は大いに賑わいます。旧市街は海を見下ろす小高い岩山の上にありますが、海岸線にも数多くのホテルが立ち並び、それはさながら 「熱海」のよう・・。なんて言うと、それはあんまりだぁ〜! とガッカリされるかもしれませんが、あくまで地理的なイメージで説明すれば、まさに「熱海」 のように、高級ホテルから民宿までがギッシリ立ち並んでいます。

 目の前に広がる地中海は真っ青で、強烈な日差しを浴びてキラキラ輝いています。また、湾の向こうには活火山であるエトナが、ときおり白い煙を吐き出しな がら、街を見守るようにどっかりと腰を下ろしています。いかにも夏のリゾートっぽい、絵になる風景。ローマから夜行列車でこの地に降り立った私たち家族 は、これから数日間の優雅なバカンスに心ときめかせながら、予約していたホテルに向かったのでした。

 *映画「グランブルー」の舞台で・・


 今回、滞在するのは「カポタオルミーナ」というホテル。映画ファンの方ならよくご存じでしょうが、大ヒット作「グランブルー」の撮影が行われたことで世 界的に有名になったホテルです。実は、今回の旅行はローマ在住の友人家族と一緒で、彼らは1週間の予定で既にこのホテルに滞在しており、そこに私たちが途 中合流する形になっていたのでした。ホテルの手配はすっかり彼らにまかせきりだったため、正直なところ、私達はこのホテルのランクや人気のほどについて、 あまりよく理解していませんでした。ただミーハーに、せっかくだから映画のロケが行われたレストラン(ジャン・レノが生ウニのスパゲティを食べていた、海 を見下ろすレストラン)でも覗いてみようか・・、なんて考えていたのです。

 「カポタオルミーナ」は、国際会議が開けるようなカンファレンスルームも持つかなり大きなホテルで、客室数も三百は超えていたように思い ます。4星ホテルだけあって設備も立派で、どの客室にも海を望むバルコニーが付き、寝室もバスルームもクローゼットコーナーもかなりゆったりした設計に なっています。また、エントランスには大きな鳥かごが置かれ、一日中小鳥たちの可愛いさえずりが響いて、上品でエレガントな雰囲気を演出していました。

 さらにオシャレなのは、プライベートビーチです。このホテルは、岩場が海に突き出して岬のようになっているところに建てられていて、しかも岩場全体が敷 地になっているため、他のホテルからは完璧に隔離されているのです。また、フロントや客室のある建物は岩場の上にあるため、ビーチとそのすぐ側にあるプー ルに行くためには、エスカレーターで地下に降り、さらに岩場をくりぬいた洞窟のような長いトンネルを抜けていくようになっていました。例のレストランもこ の洞窟を抜けた先にあり、すぐ真下には地中海が広がる・・、という何とも言えないロケーション。さらに、プールサイドやビーチに並べられているパラソル& ベッド、カヌー、足こぎボートなどは一日中自由に使うことができ、もちろん料金を払う必要はありません。 

*問題はレストラン!


 設備も環境も言うことなしのこのホテル・・、しかし、思わぬ落とし穴がありました。レストランです。私たちの「ほろ苦い思い出」というのは、全てこれに 集約されています。 まず、例の岩場のレストランですが、ここのランチはメニューが決まっていて、ほとんど選択の余地がないのです。映画のように、生ウニ のスパゲッティを食べるなんて、はじめから無理な話! バイキングコースにするか、肉料理か魚料理かを選ぶランチコースにするかしかありません。また、バ イキングのメニューは、ある程度品数はあるものの、毎日全く同じ内容で、代わり映えがしませんでした。ホテル内でランチタイムに営業しているレストランは ここだけですし、外のレストランに出かけようと思っても、このホテルは旧市街からも、海岸線に立ち並ぶ他のホテルやレストランからもかなり離れているた め、結局ここで食べる以外にほかない、というわけです。

 味そのものは悪くはなかったけれど、昼食だから軽く済ませたいと思っても(私たちは2食付きで予約していたため、夜は毎回コース料理で、さすがに胃が疲 れていました・・)、始めから残すつもりでコース料理を頼むか、ほとんど食べないつもりでバイキングを選ぶしかなく、それでお値段は一人4〜6万リラ(飲 み物別)という「4星料金」なのですから・・、なんとな〜く納得いかない、というのが正直な気持ちでした。
 このホテルは、日本のTV局のロケが多いことでも有名で、私も何度か番組を見たことがありますが、撮影の時にはそんな店の様子を紹介するでもなく、ただ ごく普通のレストランのように料理を出しています(普通、撮影は営業時間外に行われますから、きっと特別に作ったのでしょう・・)。ハッキリ言って、 ちょっと待ってよっ! という感じ・・。
 ちなみに、夕食はホテル内のもうひとつのレストランか、この岩場のレストランかで食べることができますが、やはり、2食付きの場合はコース料理からの選 択のみとなっていました。欧米人のバカンス客はたいてい1週間位滞在していますが、みんなホントに毎日昼も夜もあのコースを食べているのだろうか、と不思 議に思った位です。


  *日本人客は嫌いなの?! 

 でも・・、ここまではまだ笑い話です。実は、もっと悲しい思いになったのが、レストランのサービスについてでした。私たち家族だけでなくほとんどの日本人客に対して、レストラン側のサービスはお世辞にも良質とは言えないレベルだったからです。

 オーダーをしようと声をかけても無視される。テーブル用のキャンドルライトを用意してくれない。ワインを頼んだら、確認もせずミニボトルを持ってくる。 やっとオーダーしたと思ったら今度はなかなか料理が運ばれてこず、結局一皿目を食べるまでに1時間以上かかった。デザートが付いているのに要求するまで サービスしようとしない・・。一番ひどかったのは、客である私たちの目の前で、案内係の女性が思いっきり嫌な顔をし、ため息をついた時で、さすがにこの時 は頭にきて、私は思わずボーイ長を呼び、つたないイタリア語で必死に抗議をしたほどでした。

 もちろん、レストランで働いている給仕人みんながみんなこうではなく、中には親切に応対してくれる人もいました。また、8月中旬というトップシーズンで レストランは連日満席状態となり、みんなとても忙しそうだったことも確かです。でも、ホテル内のレストランにも岩場のレストランにも、どことなく「日本人 蔑視」を思わせる気配が漂っていて、それが本当に不愉快でした。これが2星クラスの安宿なら、私だって仕方ないと割り切ります。でも、世界的に知られ、それ相当の料金を取る4星ホテルでこんな思いをするとは・・。期待していただけにショックが大きく、悲しい気持ちになったのでした。


 *我が身をかえりみると・・

 ただ・・、ずいぶん腹は立てたものの、後で冷静になって考えてみると、彼らが「日本人はイヤだ!」と思うようになっても仕方ないな、と感じる部分もあることはあるのです。

 「グランブル−」の影響なのか、シチリア島のタオルミーナという辺鄙な場所にも関わらず、日本人客は少なくないのですが、たいていの客は1泊のみで、み んな慌ただしくやって来て慌ただしく帰っていきます。私たちは友人家族と一緒だったこともあって3泊4日の滞在でしたが、その間、見事なほど毎日、日本人 客の顔ぶれが変わって行くのです。それに対して欧米人のバカンス客はほとんどが1週間の滞在。というのも、彼らにとってバカンスは最低でも1週間、という のがごく普通の感覚あり、ホテルのパックもほとんどが1週間単位となっているからなのです。客の中には、毎年ここに来るので従業員とも顔見知り、というよ うな優雅な方々もいらっしゃるようで・・、そんな人たちと日本人の行動の差を毎日のように見ていれば「日本人の気持ちはよくわからない、日本人はヘンだ!  歓迎したい客ではない・・」と思っても仕方ないのかもしれない、とふと思ったのでした。

 さらに、こんなこともありました。日本人客の中には若い女性のグループも結構多いのですが、彼女たちの振る舞いには、残念ながらやはり問 題があるのです。キャンドルライトだけで落ち着いた雰囲気を演出しているレストランなのに、いきなりフラッシュをたいて写真を撮る、宿泊客限定のレストラ ンに入ってくる、オーダーがなかなか決まらない、英語もイタリア語も出来ず意志をはっきり表さない、そして、ぞんざいに扱われても抗議せずにおとなしく 座っている・・・。もちろんこれは、若い女性たちのグループだから目についてだけで、実は多かれ少なかれ、多くの日本人に当てはまる問題ではないでしょう か。告白すると、私たちだって、母国語以外の言葉でクレームを付けるのが面倒で、ぶつぶつ言いつつ我慢したりしていたのですから。


  *四星ホテルは分不相応?!

 日本では、帝国ホテルやホテル・オークラなどの一流ホテルは「お客様第一」というサービス意識が徹底していて、たとえ相手が子供であっても、また どんな服装をしていても、同じサービスを提供しているように思います。それに対してイタリアでは、格式あるホテルはそれ相当の客のもの、という意識が強い ような気がします。その暗黙のルールを日本人がいとも簡単に破ってしまうから、結果的に、視線が冷たく居心地の悪い思いをする、ということになるのではな いでしょうか?

 その善し悪しはともかく・・、自分が気持ちよく滞在したいなら、ホテルに何を求めるかをハッキリさせて、分相応のところを選ぶのが大切、と改めて実感し た次第です。2星、3星クラスのホテルでも快適なところはたくさんありますし、かえって家庭的な雰囲気で居心地が良かったりもします。まぁ、日本で探すと なると、情報が少ないだけになかなか思うようなところが見つからず「賭けるしかない!」というのが悲しいところですけれど・・。
というわけで、今回のタオルミーナ旅行では、分不相応のホテルは遠慮することと、言いたいことがあったら我慢しないでハッキリ抗議する、という2つの教訓が残りました。そうでなければ、せっかくのバカンスに、ほろ苦い思い出がつきまとってしまうから・・。

 ちなみに、実はカポタオルミーナには、ホテルの感想を書く備え付けの用紙にチェックをし、さらに長々と便箋5枚に、私たちの実体験と意見を書いて送りつ けたのですが、その後全く反応はありません! まぁ、きちんと返事が来るようなホテルなら、こんな悲しい思いはすることもなかったのでしょう。 


美しくエレガントな街  マルケ州ウルビーノ>


*塩野七生の小説を読んで

 「その小さな公国ウルビーノは、学者や芸術家の華やかな業績でイタリア中にその名を知られ、とくにフェデリー コの創設した図書館は、その蔵書の種類と貴重さによって、メディチをしのぐとさえ言われていた。他のイタリアの宮廷とこのウルビーノ宮廷の違いは、ウル ビーノでは誰もが危険を感じずにくらすことができた点にある。文学者、音楽家を含めて五百人ものここの宮廷人は、争いもなく生きていけた。イタリア中の貴 族や君主たちは、この宮廷の雰囲気を重んじて、その子弟を託す物が多かった。当主フェデリーコは、これらの留学生達に、完璧な教養と武芸を教えた。」

         (塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』より)


 この夏、久々に『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を読み返しました。壮大なストーリー展開とはまた別のところで、妙に心に残ったのがウル ビーノに関する記述。当時の雰囲気は今もこの街に残されているのか、それともただ歴史の1ページに残されているだけのものなのか、ぜひ一度この目で見てみ たい、と強く思ったのです。念願かなってウルビーノを訪れたのは、2001年8月半ばのこと。この街は予想以上に美しくエレガントで、評判通りの 「CITTA'IDEALE(理想都市)」でした。


*ウルビーノの歴史

 ウルビーノの名がイタリアはもとより、ヨーロッパ中に知られるようになったのは15世紀のこと。有能な傭兵隊長であったフェデリーコ・ダ・モンテ フェルトロ統治の時代でした。「ルネッサンスの理想の君主」と評される彼は、学問や芸術への理解が深く、その宮廷には数多くの学者や芸術家たちが集いまし た。壮大なドゥカーレ宮はまさにその象徴であり、彼の命によって建て直された宮殿は、山のなかの小さな街には不似合いに思えるほど、豪華でエレガントな香 りを漂わせていました。それはまさに、フェデリーコが実現しようとした「理想都市」の姿だったのです。

 しかし、やがてその繁栄に陰りが差します。16世紀に入ると、統治はモンテフェルトロ家からデッラ・ローヴェレ家へ変わり、宮廷もペーザロへ。さらに 17世紀半ばには、教皇領に編入されることとなります。一時(18世紀初頭)、ウルビーノ出身の教皇クレメンス11世誕生によって、再び、街は活気を取り 戻しましたが、結局、最後はナポレオンの占領によってとどめをさされ、凋落の一途をたどったのでした。

 街がよみがえったのは、1860年のイタリア統一後。その担い手となったのは、16世紀初頭に創立されたウルビーノ大学でした。現代都市工学に基づいた 街作りが進められ、ルネッサンス時代に基盤が築かれた都市構造を壊すことなく、また街の概観も損なわず、「理想都市」としての姿を現代に伝えたのです。街 の中心部には、現在も大学関係の建物が多く点在し、活気の源となっています。

  *ウルビーノの街を歩く

 標高485mという小高い山の上にあるウルビーノ。強固な城壁で囲まれた旧市街は南北に広がっていて、楕円に近い形をしています。ただのんびり散 歩するだけなら数時間でOKというほど、こぢんまりとしていますが、石畳の坂道の両側にはルネッサンス時代の建物が建ち並び、美しく華麗な姿を見せていま す。街全体が落ち着いた雰囲気に包まれていて、上品でエレガント・・。繁栄当時の面影は、五百年という長い時間を経た今も、確かにこの街に残っているので す。

 『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』の中に「公国の家臣や民衆も、この当主を信頼し、彼の下での平和を満喫していた。(中略)公国にいる時には、毎日、ひとり城を出て街中を歩く侯爵に、民衆が親しくあいさつをする風景がここでは普通だった・・」という記述がありますが、ウルビーノの街を歩いていると、本当にそんな様子が目に浮かんできます・・。

 ところで、この街のメインストリートは、ドゥカーレ宮から北西に伸びるラッファエロ通りです。街の規模の割に華やかに感じるのは、活気があふれているせ いでしょうか? 店の数自体はそれほど多くありませんが、観光客の姿も多く、土産物屋もバールもジェラートショップもなかなか盛況でした。といっても、まだ外国人観光客は それほど多くありませんから、なんとなくのどかで、のんびりした感じがあります。それに、通りを一本入ってしまえば静かなもの。古都ならではの穏やかな空 気が、何より魅力的でした。

 ちなみに、この通りの名前の由来は、もちろんルネッサンスを代表する画家ラッファエロです。彼はこの街の出身で、今もラッファエロ通りには生家が残されています。内部が見学できるので、ファンは要チェック。ただし、残念ながら作品自体はほとんど残されていません。


  *大迫力のドゥカーレ宮


 ウルビーノ観光で絶対にはずせないのがドゥカーレ宮。その大きさ、豪華さにはただただ驚くばかりです。イタリアに「ドゥカーレ宮」と名の付く宮殿は本当 にたくさんありますが(ドゥカーレducaleとは「総領」の意)、これだけのものは他にはないと言っても言い過ぎではないと思います。

 その外観はまるで「城」のよう・・、建物は左右対称に設計されていて、二つの塔がそびえ立っています。建物そのものもかなり大規模ですが、傾斜した土地 に建てられていることもあって、宮殿の下側にあるメルカターレ広場側から見た外観はより一層高く大きく感じられ、とても興味深く思いました。

 現在、その内部は国立マルケ美術館として公開されています。作品の量と質には驚くばかり! 壁という壁が絵画やタペストリーで埋まっている、というくらい数が多く、もちろん有名な作品もいくつも展示されています。特に印象的だったのが「フェデ リーコ公の書斎」と称される部屋。なんと、壁一面が寄木細工の"絵画"で飾られていて、その繊細さ、美しさは本当に感動的です。同じような寄木細工の装飾 は、他にも居室の扉など数箇所に施されていますが、いずれもかなりのもので、見応えがあります。その他には、ラッファエロの「貴婦人の肖像」、ティツィ アーノの「最後の晩餐」、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「理想の都市」などの絵画、ラッファエロの下絵によるタペストリー「使徒行伝」などが有名で す。

 ところで、ドゥカーレ宮の一階は、他とはまた趣が異なっていて、とてもユニークです。これは、ぜひオススメ! というのも、建造当時の宮殿の様子をそのまま見せる作りになっているのです。1階部分は、かつての厨房や浴室、ワインセラー、洗濯場、染め物場などが迷路 のように続いていて、ちょっとした探検気分で楽しめます! 当時の人々の暮らしぶりもとてもよくわかりますし、その建築技術の高さ、アイデアの豊かさにも 驚くことでしょう・・。

 ドゥカーレ宮はあまりにも広いので、ハッキリいって相当疲れます。でも、それに値するだけの価値は十分あるから、どうぞ、たっぷり時間をとってお出かけください。「理想都市」に集った人々の思いを受け止めながら、心ゆくまで堪能していただきたいと思います。


  *終わりに・・

 理想都市ウルビーノの姿をこの目で見て、私の中にますますこの街に対する興味がふくらんできました。フェデリーコは何を欲していたのか、どんな思いでこの街にたたずんだのか、そして、人々は彼をどう見ていたのか。

 ウルビーノの街を歩いて、地元の人たちがこの街の文化と歴史に大きな誇りを持っている、ということを強く感じました。だからこそ彼らは、繁栄当時の姿を 今の残そうと心を砕き、手を尽くして、この街を守ってきたのでしょう。初めてドゥカーレ宮の姿を見たとき、その立派すぎる姿は小さな街にはアンバランスに 思えるほどでした。でも、ドゥカーレ宮は周囲の景色と見事にマッチし、ごく当たり前のようにそこに存在していました。さりげなく堂々と、でも華やか に・・。

  そんなところに、ウルビーノという街の志の高さが表れているような気がしたのは私だけでしょうか?。フェデリーコ公が目指した「理想都市」とは、決して建 築学的な問題だけではなく、人々の意識の高さであり、本質的なものを見据えようとする価値観ではなかったか、とふと思ったのでした。

  *ウルビーノへのアクセス


 公共交通機関を利用するなら、イタリア国鉄でペーザロまで行き、そこからバス便(SAPUM)を利用するのが一般的。毎時運行していて、所要時間は約 50分です。ただし日曜日は本数が少なくなるのでご注意を。残念ながら、ウルビーノまでのアクセスは決して便利とは言えないので、できるならレンタカーの 利用をおすすめします。道路網は整備されていますし、交通量もそれほど多くないので、都市部ほど運転に神経は使わないでしょう。また、周囲の景色も美しく のどかで、気持ちよいドライブが楽しめるはずです。ペーザロやサン・マリノ共和国、トスカーナ州のグッビオなどと組み合わせて出かけるのもオススメです。


ドゥカーレ宮殿の写真