Meri in Tokyo   葛飾柴又の旅 Vol.1

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        寅さん  

 東京の下町、葛飾柴又、寅さんの故郷を訪ねてみました。

 葛飾柴又といえば、映画「男はつらいよ」の寅さんの故郷として有名です。

柴又駅前には、寅さんの像が建ち、京成柴又駅から柴又帝釈天まで続く門前町があります。帝釈
天への参道脇には、映画監督 山田洋次氏の自筆で「私生れも育ちも葛飾柴又です」と記された碑
があります。遠く外国からの客人にも人気が高く、古き時代の面影を感じさせる帝釈天への参道は
賑やかな活気に溢れています。

 参道は、 団子屋をはじめ、飴屋、漬け物屋、土産物屋や江戸民芸品店、料理屋など、あまたの
店がびっしりと軒を連ね、帝釈天までいたる歩みが留まることもしばしば。茶屋(団子屋)で一串買
った草だんごを食べながら、店を覗いてぶらぶら歩くのも良いものです。

庚申の縁日には露店も出て、参道は文字どおり人の波。これだけの賑やかさと雰囲気、柴又っ子
の気持ちよさに肩を並べる門前町は、日本広しといえども、そうめったにあるものではございません。
旅する寅さんが帰ってくる場所は、故郷の葛飾・柴又なのでありました。

 柴又のもうひとつの象徴は柴又帝釈天こと日蓮宗の名刹・経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょ
うじ)。柴又帝釈天(題経寺)は、東京の東部、千葉県との境を流れる江戸川の傍らに、いまから30
0年程前の寛永年間に開創されたと伝わります。

 帝釈天と呼ばれるいわれは、日蓮上人が刻んだと伝えられる板本尊の一面に、右手に剣を持ち、
左手を開いた怒りの相をあらわした帝釈天が彫られていることによる。

 建物を見ると、柴又駅からここを訪れる観光客が必ずくぐる二天門は、明治29年(1896)の完
成。境内に入ると、寅さんが産湯に使ったことになっている御神水があり、その右手に本堂の祖師
堂、左手に帝釈堂が、祖師堂の奥に大客殿が明治中期から昭和初期にかけて建て直され、年代
的にはそう古いものではないが祖師堂と帝釈堂が総欅づくり、大客殿が檜づくりの重厚な構えを見
せている。 ことに大客殿頂経の間には、直径が30センチほどもある南天の床柱があり、 これは
日本一だという。

 また帝釈堂内陣外壁の三面には、法華経の説話から題材を選び、完成が大正末期から昭和9年
までかかったという10枚の胴羽目彫刻が、まさに彫刻ギャラリーといった趣で見られる。彫刻を施し
た1枚の板の大きさは、タテ1.27メートル、ヨコ2.27メートル、厚さ20センチの欅材という見事な
もの。葛飾区の登録有形民俗文化財になっている絵馬も展示されている。

 大客殿に接して邃渓園(すいけいえん)と名付けられた回廊式の大庭園もあり、帝釈堂内陣、大客
殿とともに有料で公開されている。

 山本亭
 帝釈天の裏手には、大正末期から昭和初期にかけて建築されたという和洋折衷の邸宅、山本亭
は、大正末期から昭和初期の時代の建学の精神が反映された建物で、和洋折衷の建物と書院づく
りの和室、モダンな洋室がよく調和し、純和風の築山のある庭園とともに大正ロマンを彷彿とさせる。

 この建物の持ち主であった山本家は、もともと浅草に住んでいましたが、大正12年の関東大震災
で被害を受け、その直後に柴又のこの地に移転してきたそうです。

 建物は、木造瓦葺き2階建てで、床面積は1階120坪、2階15坪に地下室、土蔵、長屋門等から
なっています。

 庭園は、縁先近くに池泉が、背後には緑濃い植え込みと筑山が配置され、滝を池に落とすという、
270坪もの贅沢な書院庭園に仕上げられています。
縁側に座って、庭園を眺めながら抹茶をいた
だくなど、すぱらしいリフレッシュタイムが期待できます。

映画「男はつらいよ」に出てくる寅さんがよく佇んでいた江戸川の土手、金町浄水場の取水塔、そし
て伊藤左千夫の野菊の墓に出てくる矢切りの渡し 等も見ることができます。

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