年月 | テレビ | KID |
50年6月 | 十月は黄昏の国 | |
51年1月 | ピーターソンの鳥 | |
51年4〜6月 | 坪田直子コンサート | |
51年10月 | 一つの同じドア | |
52年1〜2月 | 黄色いリボンPARTU | |
52年3月 | 一つの同じドア | |
52年6月 | 黄金バット復活版 | |
52年7月 | 大都会PARTU | |
52年8月 | 俺たちの朝 | |
52年10月 | 俺たちの朝 | かれが殺した驢馬 |
52年12月 | 大都会PARTU | |
53年1月 | 太陽にほえろ! | |
53年1〜4月 | 冬のシンガポール | |
53年4〜9月 | 大追跡 | 一つの同じドア 再演 |
十月は黄昏の国 再演 | ||
失なわれた藍の色 | ||
53年10月〜54年3月 | 姿三四郎 | 十二月の夢 |
54年2月 | サラムム | サラムム |
54年2月 | 熱い嵐 | ハメールンの笛 |
54年3〜7月 | クイズヒントでピント | 街のメロス ラブコネクション発売記念コンサート オリーブの枝 |
54年4〜6月 | ミュージックボンボン | |
54年4〜11月 | 俺たちは天使だ! | |
54年5〜10月 | かたぐるま | |
54年11月〜55年3月 | 赤い嵐 | 哀しみのキッチン |
二月のサーカス | ||
冬のサーカス | ||
55年5〜7月 | 冬のシンガポール 再演 | |
55年8月 | さすらいの甲子園 | |
55年9〜10月 | 霧のマンハッタン | |
55年11月〜56年3月 | 青い絶唱 | 心は孤独なポアロ |
55年12月 | スティング | |
56年4〜9月 | プロハンター | KYOHEI FIRST CONCERT |
青春のアンデルセン | ||
56年9月〜12月 | 想い出づくり。 | SHIRO |
56年12月 | ハムレットは行方不明 | |
57年3月 | 先斗町袋小路 | |
57年3月 | 乱れからくり | SHIRO |
KID展 | ||
57年4〜10月 | 天まであがれ! | SHIRO |
57年9月 | 松本清張の「顔」 | ペルーの野球 |
57年11月〜58年4月 | せーの! | |
58年2月 | 勇者は語らず | |
58年4〜8月 | オサラバ坂に陽が昇る | 日曜日のカイン |
58年7〜10月 | 天まであがれ!2 | |
58年8月 | 張り子の虎 | |
58年11月 | 青い目をしたお人形は | |
58年12月 | 日曜日のカインクリスマスコンサート | |
59年1〜12月 | 山河燃ゆ | CHERRY WARS |
59年3月 | 日本の面影 | |
59年3月 | 夢・玉の井・決死隊 | |
59年4月 | 沖田総司 | |
59年4月〜60年3月 | おしゃべり人物伝 | |
59年4月 | ぼくの妹に10 | |
59年9〜10月 | 瑠璃色ゼネレーション | 哀しみのキッチン 再演 |
失なわれた藍の色 再演 | ||
59年9月 | 処刑教師 | |
59年10〜12月 | 離婚テキレイ期 | |
59年10月 | マッドマックス2 | |
60年2〜3月 | 哀しみのキッチン 再演 | |
失なわれた藍の色 再演 | ||
60年4〜10月 | 澪つくし | ペルーの野球 再演 |
スーパーマーケットロマンス | ||
61年2〜3月 | 清水みなとストーリー | |
61年7〜9月 | シシリアでダンス | |
61年10月〜62年9月 | あぶない刑事 | |
61年12月 | マイフェアレディース |
テレビの出演リストに、KIDの芝居名を横に並べただけです(^^;) しかし、この表は昭和62年頃すでに作成。去年、一部修正しました。 日付は、テレビに関しては、当サイト「恭兵さんドラマデータベース」、KIDに関しては、ENDLESS KIDBROS.サイト「この街のことを」をご参照ください。 赤い部分が、人気絶頂期、いわゆる黄金期です。青い部分が、ラッシュ期、いわゆるアカデミック時代、あるいは、好青年期です。 緑の部分は、わたくしイリちゃんのファンデビュー作品です。 それでは、一ファンとして、やや自分の青春期も語りつつ(^^;)、恭兵史を語っていきたいと思います。 50年6月KIDデビュー。62年の「SHOUT」のテレビ放送では、「50年10月、十月は黄昏の国でデビュー」などとテロップが入り憤慨!安直なミスだ(^^;) テレビデビューは約2年後の52年7月。これは思ったより早い、と当時先輩ファンは言っていた・・・・ ぼくの場合、逆にKIDデビューのほうが遅い。丸々1年も(^^;)。これは、いかんせん、KIDの存在を知らなかったにすぎない。 しかし、そういう人が多いのよ、と、やはり先輩ファンに言われたことがある・・・・ 以後、テレビは、「熱い嵐」と「先斗町袋小路」を除き、すべてオンエアで見ている。ただ、「熱い嵐」は、ストーリーを完璧に覚えている。なぜ?(^^;) あ、「正月の家」もオンエアで見ていない(^^;) KIDのほうは、財力と興味関心(^^;)のなさで、「ハメールン」や「ラブコネコンサート」などを見逃している。(非常に悔いが残る・・・・) そもそも、「失なわれた藍の色」にしても、家族に連れて行ってもらったのはいいが、芝居を理解するのには難しすぎたと言っていい(^^;) 自分で観に行きはじめたのは「街のメロス」から。KIDは、舞台後に役者さんたちと必ず会うことができる。 初めて生の恭兵さんとしゃべり、そのころやっと恭兵さんのファンクラブに入るためにはKIDを通じないといけないということを知る(^^;) KIDのファンクラブにも入会。坪田さんや峰さんのファンクラブもあったと聞いたが、入ろうとしていない。このときもあっただろうか。忘れた。 53年54年が人気絶頂期であることは、わたくしが私的に言ってるわけではなく(^^;)、当時の雑誌、週刊誌、ファンの反応が物語る。 ただ、そういう言い方をすれば、全国的スターとなった「あぶ刑事」時代のほうが絶頂期だろう。 したがって、ここでは、絶頂期は、黄金期(KIDのスター)と「あぶ刑事」期(全国的スター)の2つあると思えばいいのではないか。 「冬のシンガポール」は、昭和54年度のぴあ誌「もあテン」第1位に輝き、そのおかげでぼくも再演で観ることができたのだが、 このあたりで、KIDの主役・看板の座を、峰さんや国谷さんから受け継いだ感があり、 KIDが全国公演を始めたことと、沖雅也さんとの共演が初レギュラーという幸運も重なって、KIDの知名度がどんどん高まっていく。 「十二月の夢」で、まさに夢の武道館で芝居を行い、スターの役を演じ、アンコールで恭兵さんは感涙。 ここで、スターになると宣言したのは、役ではなく、恭兵さん本人のことであると信じている。 「赤い嵐」でついにテレビでも主役をはり、なんと山口百恵さんと同様に、赤シリーズの主題歌を歌うことに!・・・・恐ろしい! そして、「5マイル・アヘッド」発売の感動と、DARTSの軽薄な生き方に共感し(^^;)、ついに、ぼくは、「追っかけ宣言」(^^;)を心に誓ったのだった。 以上が黄金期である。ちなみに、54年は、この他に、ラジオ「柴田恭兵の翔べ青春」とそのログの意味もある自叙伝「熱風」の執筆、 それから、「柴田恭兵の青春カウンセリング」の連載もあった。 55年度は、休養宣言から始まった。ピークは過ぎた。テレビは、単発の「さすらいの甲子園」しかなかったが、 急遽、KIDでダブルキャストをはっていた三浦さんがアリスさんと結婚・退団したことで、また忙しくなる。ついに一人舞台の初コンサートが実現! 「5マイル」では結局歌番組に出られなかったが、このコンサートでの新曲「なんとなくクリスタル」で、歌番組にも出演。 ぼくがKIDでいちばん好きな作品「青春のアンデルセン」もこの年だった。 「想い出づくり。」あたりまでがデビューからの「ツッパリ期」だとしたら、57年からは「好青年期」。 結局、当時のぼくの年齢からして、この時期が、ぼくの青春期に直接影響を及ぼしたのかもしれない。 具体的に言えば、俺天を見て探偵になりたいと夢見る見方とは別に、ドラマを自分の人生にからめた見方ができるようになったというか。 とにかく、今の職業や生き方の基礎を、この時期の恭兵さんは、テレビとKIDから与えてくれた。 それにしてもすごいこの57〜59年の出演作品の数。 当時のファンクラブの「柴田恭兵会報」は危険で、これらの作品は、毎週発行されるテレビガイド誌によって、体を張って予防するしかなかった(^^;) 幸い、ビデオの普及が一般化され始めていたことや、財力も、持ち合わせを恭兵さん関連に注ぎ込むことができるぐらいだったので、 テレビやKIDをじっくり堪能できていたというのもある。 WORKSHOPのこけら落とし作品「ペルーの野球」は、はじめて複数回観るという贅沢をするに至った。しかし、「カイン」あたりから嫌な予感があった。 実はこの好青年時代、恭兵さんの役だけを見れば、テレビは共感できたのだが、KIDの役は不作だったのだ。 よく考えたら、このラッシュでは当たり前かもしれないが。恭兵さんはこのとき30を越えたばかりだったが、それにしても、もう少し芝居が観たかった。 観る時間があっただけに。(結婚が原因だろうが、実は、KID七不思議の「酒呑童子」事件というのがあり、これも原因の一つだろう・・・・) アカデミック時代のテレビは、レギュラーがほとんどない。「松本清張の「顔」」や「勇者は語らず」は4回物。 「オサラバ坂」や「せーの!」は、実はセミレギュラーである。「山河燃ゆ」は出番が少ないし、「おしゃべり人物伝」にいたっては、不定期な単発物(!)である。 そう考えると54年はすごい。「熱い嵐」以外はレギュラーである。(「ヒントでピント」と「ミュージックボンボン」は途中抜けるが(^^;)) おまけに、KIDのほうも全国行脚が始まっていたわけだし。 自分のサイトで黄金期のテレビばかり単独コーナーになってしまったのは、好青年期のレギュラーが、実質、「天まであがれ!」シリーズしかないからである。 かといって、視聴率がよかったから「天まであがれ!」を好青年期の代表としているわけでもない。 この番組がぼくに与えた影響は、生き方の視点から行けば、俺天よりも重要かもしれない。 好青年期は黄金期と同じぐらい、あるいはそれ以上好きなのかもしれない。(アカデミックゆえに、番組にあたりはずれがあるが(^^;)) 同じ意味では、「姿三四郎」も重要なのだが、こちらは、再放送のときに重大さが分かったこともあり(^^;)、好青年期の作品としてとらえている。 「俺天」が、ファンのみんなに愛してもらいたい番組であるのに対し、「天まであがれ!」は、自分との1対1との関わりで愛してほしい番組である。 59年秋からは、大人のドロドロの世界に入った気がした。いきなり「瑠璃色ゼネレーション」(^^;)。見ていない方は、原作のマンガを読まれるといいです。 「処刑教師」はパスして(^^;)、お次が「離婚テキレイ期」。もはや部長なのだ、部長。同じロードマンでも、「青い絶唱」のときは元社員だったではないか! 「あぶ刑事」では、もう何でもできる刑事さん。KIDが発信していた青年期の「負けたり」「悩んだり」するシーンは少ないが、勇次の軽妙さは、黄金期と変わらない。 思えば、その一つ前の作品「清水みなとストーリー」。恭兵さん本人へのオマージュ的作品なだけに、 その最終回で、故郷・清水をとるか、東京での夢をとるか、あの決断こそ、KIDとの別れ・青年期役の冒険の終焉を意味していたのではなかろうか・・・・ |
次に。「時代感」をある程度理解するために。テレビとKIDとの横の関係からも、恭兵さんの姿が見えてきます。 ここでは、基本的に覚えておきたいつながりだけをピックアップします。 1.大追跡=失なわれた藍の色・・・・・・・・・・恭兵さんが沖さんをKIDに招待。沖さんが本当に現れる。 2.姿三四郎=十二月の夢・・・・・・・・・・・・・・半ノンフィクションミュージカルだった「十二月の夢」では、ファンも恭兵さんに対して、「あにき!」と言っていた。 3.俺たちは天使だ!=街のメロス・・・・・・・「メロス」での峰さんのセリフに、「俺たちは天使だ!」という言葉があるのは有名。 4.スティング=心は孤独なポアロ・・・・・・・・この両方を見て、探偵や推理やトリックに俄然興味が沸き、ぼくは外国の推理小説にのめり込むことに・・・・ 5.プロハンター=FIRST CONCERT・・・・・・五島達がセミレギュラーになったのは、KID側から、CONCERT準備のため毎回出られないとの打診をしたから。 6.乱れからくり=KID展・・・・・・・・・・・・・・・・・3月23日。同じ日に開催・放映。恭兵DAYだった。 7.山河燃ゆ=CHERRY WARS・・・・・・・・・・・戦争物のストーリーの年に、KIDも戦争物を上演。ただし、CHERRY WARSはSF。 それでは、メインに入ります(^^;)。これ以下が今回の研究です。 黄金期を大衆誌で振り返りましょう。先ほどの恭兵史の状況証拠というところでしょうか(さして重要とは思えないが(^^;)) 集英社の「明星」、平凡出版の「平凡」、近代映画社の「近代映画」、学研の「ザ・ベストワン」の4大アイドル誌のレーダーです。 赤がテレビの記事、緑がKIDの記事、黄がプライベートな記事です。×は記事が存在なし、−は雑誌の存在がなし(^^;)です。 「ザ・ベストワン」は、54年5月創刊、創刊当時は隔月刊でした。 1ページ分に満たない記事は×にしました。着色の記事は、どれも1ページ以上あります。ですから、小さい記事を含めれば、実際は、もう少し多いです。 また、記事の種類の判別ですが、ぼくの読解の範疇ですので、その点はご了解ください。 どの記事も、プライベートな記事に見えなくもないので、半ば強引にテレビ記事・KID記事に判定した物もあります。 黄金期は53年54年ですが、総じて、雑誌は、54年55年がピークだったようです。(写真は、すべて55年1月号です) 「ザ・ベストワン」の下の欄にある順位は、読者による「好きなタレントベストテン」における恭兵さんの順位で、55年3月に、第1位に輝いています。 54年9月から休養宣言までの一年間、1〜3位を争っていましたが、誰と人気を争っていたかご存知ですよね?(^^;) 備考欄の歌手の情報は、「ザ・ベストテン」の話です。ずいぶん適当です(^^;)。間違っていたらゴメンナサイ。 それでは、ごゆっくりと、タイムスリップしてニヤニヤしてください(^^;)。時代感が見えない方は、なんだこれえ?とニヤニヤしてください(^^;) |
恭兵さん以外の世界では・・・・ | |||||
53年11月 | 姿三四郎 | × | × | − | ツイスト「銃爪」、10週連続トップ |
53年12月 | × | 姿三四郎 | × | − | |
54年1月 | 失なわれた藍の色 | ノンフィクション | × | − | |
54年2月 | × | ノンフィクション | × | − | |
54年3月 | 熱い嵐 | 十二月の夢 | × | − | 「熱中時代」「西遊記」終了 |
ノンフィクション | |||||
54年4月 | ノンフィクション | ノンフィクション | (白昼の死角) | − | 秀樹「ヤングマン」が9999点 |
54年5月 | 俺たちは天使だ! | ノンフィクション | × | 俺たちは天使だ! | ピンクレディ、アメリカ進出するが裏目 |
ハメールンの笛 | 10位以下 | ||||
54年6月 | 俺たちは天使だ! | 街のメロス | 俺たちは天使だ! | − | |
ノンフィクション | 街のメロス | ||||
54年7月 | かたぐるま | ノンフィクション | 俺たちは天使だ! | 俺たちは天使だ! | 「太陽」、ボン殉職 |
かたぐるま | |||||
街のメロス | ヒントでピント | ||||
10位以下 | |||||
54年8月 | 俺たちは天使だ! | ノンフィクション | 俺たちは天使だ! | − | |
街のメロス | 街のメロス | ||||
54年9月 | ノンフィクション | × | オリーブの枝 | 俺たちは天使だ! | 「ゆうひが丘」終了 |
3位 | |||||
54年10月 | ノンフィクション | ノンフィクション | オリーブの枝 | − | 「探偵物語」「西部警察」「金八」スタート |
54年11月 | ノンフィクション | × | オリーブの枝 | 俺たちは天使だ! | |
オリーブの枝 | |||||
2位 | |||||
54年12月 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | − | |
哀しみのキッチン | ノンフィクション | ||||
55年1月 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | |
ノンフィクション | 2位 | ||||
55年2月 | 赤い嵐 | × | × | ノンフィクション | |
3位 | |||||
55年3月 | 赤い嵐 | × | 赤い嵐 | 赤い嵐 | 「太陽」、400話。スコッチ復帰 |
ノンフィクション | 1位 | ||||
55年4月 | 赤い嵐 | 赤い嵐 | ノンフィクション | 赤い嵐 | 松田聖子デビュー |
ノンフィクション | |||||
2位 | |||||
55年5月 | ノンフィクション | × | 二月のサーカス | 赤い嵐 | |
二月のサーカス | |||||
3位 | |||||
55年6月 | ノンフィクション | × | × | 俺たちは天使だ! | 田原俊彦、歌手デビュー |
ノンフィクション | |||||
2位 | |||||
55年7月 | 霧のマンハッタン | × | × | × | 「太陽」、殿下殉職 |
55年8月 | さすらいの甲子園 | × | × | さすらいの甲子園 | |
冬のシンガポール | |||||
7位 | |||||
55年9月 | × | × | × | × | |
55年10月 | × | × | × | × | |
55年11月 | × | × | 霧のマンハッタン | × | 百恵・友和、やっと結婚 |
55年12月 | × | 青い絶唱 | × | 青い絶唱 | 近藤真彦、歌手デビュー |
ノンフィクション | |||||
10位以下 | |||||
56年1月 | 青い絶唱 | × | × | 青い絶唱 | |
10位以下 |