最初の挑戦 (2003年11月〜2004年1月まで)

応募(2003年11月)
募集説明会場で貰った封筒の中には募集要項、応募願書とそれを郵送するための封筒、そして健康診断書の様式が入っていた。
まずは募集要項を熟読…。応募から派遣までの流れ・青年海外協力隊の制度について色々書かれてあり、わかりやすい。同時に、今回の募集に対する要請数及び要請内容が簡単に載っていた。(各要請の詳細な内容はJICAホームページで閲覧できる)
今回、『看護師』の募集は25名だが、今後二次選考までに追加要請が出て、増えるかもしれないとのこと。要請数が増えればチャンスも大きくなるから、もっと追加要請出ろ〜、と神頼み(笑)平成15年度春募集の結果も載っていたが、看護師は44名の要請数に対して240名が応募し、最終的に合格したのは35名だったとのこと。うっ、かなり狭き門だ…。
願書を持って帰ったのが10月下旬、募集締め切りは11月16日(当日消印有効)だが、なんだかんだで応募願書をポストに投函したのはギリギリの15日だった。

健康診断(2003年11月)
健康診断は、一次選考までに各自が医療機関等で受け、結果書類は一次選考当日に会場で提出することになっていた。
一次選考は12月7日で、健康診断の結果が出るのに10日程度要するから余裕を持って受けるようにと書かれていたが、自分の都合もあって、結局受けに行ったのは11月25日と遅めだった。
協力隊の選考では、健康診断が大きな比重を占める。そりゃそうだろう、活動地域の多くは、日本と異なり自然環境や生活環境が厳しく、医療事情・衛生事情も悪い開発途上国なのだから。隊員は2年間の活動が支障なく行えるように、まずは健康でなければならない。そのため、健康診断の判定基準も通常よりは厳しく、シビアだそうだ。(協力隊機関紙『クロスロード』によれば、毎回3〜4割前後の人が健康診断で落とされるとのこと)
私はこれまで健康診断でひっかかったことはないし、健康にはそこそこ自信ある方だけど、受診日を決めてからは、食事内容や睡眠にちょっぴり気を使い、体調を崩さないように心がけた。
協力隊の健康診断の項目は、身体所見(身長・体重・血圧・聴力・視力・耳鼻咽喉所見・眼所見)に皮膚所見(アトピー・その他)・血液検査・心電図・尿検査・胸部レントゲンと多岐に渡り、結構細かい。血液検査項目も、非特異的IgE抗体量(アレルギーの有無・程度がわかる)やCRP(炎症反応をみる)、HBs抗原(B型肝炎ウイルスのキャリアかどうかみる)と、一般的な健康診断ではやらないような項目までチェックが入る。(そのため、保健所では検査出来ないことがあるから、病院で受けたほうが良いと言われている)
私は、家から車で30分の所にある大きな病院(人間ドック等各種健康診断もやっている)を選んで、前日夕食以後は何も食べず、朝1番で行って受けた。(予約なしで行っても受けられるので、そこにしたのだ)病院内の健診センター部門で受けたが、人間ドックを受けられる方が多くて少々待たされ、全て終わるのに3時間かかってしまった。はぁ、お腹すいた…。
結果が出るのに1週間位かかるので、出来次第連絡すると言われ、連絡先を告げ、会計に回る。受験用の健康診断なので保険が利かないとはわかっていたが、『18500円』…うひょ〜!JICAから6500円補助が出ると言っても、1万円以上自己負担ですか…(T-T)これで健康診断で落ちたら立ち直れないかも。
そうそう、健康診断の項目の中に血液型もあったのだが、口頭での自己申告は認められないものの、血液型カード提出があれば転記でもOKとのことで、私は献血カードを提出・転記してもらい、検査はしなかった。その病院で血液型を検査すれば、もう3000円追加されるとのこと。そ、それは高いですよ…。
1週間と聞いていたが、結果が出来たと連絡あったのは4日後と、思った以上に早かった。結果は、我ながら“ばっちりじゃん!”と思うくらいの健康優良児(笑)だった。

一次選考までにしたこと
一次選考で行われる筆記試験には、技術問題と語学問題がある。
私は語学問題対策として、募集説明会の会場で買った過去問題集は一通りやった。特に、人造語問題は他ではお目にかからないものなので、本番で戸惑わないよう慣れておくためにも、入念に目を通した。
…が、技術問題対策と言えば、募集説明会々場に閲覧用としてあった春募集の技術問題にチラリと目を通した程度で、他には全くしなかった。ヾ( ̄o ̄;)オイオイ…。
看護師の範囲は、成人看護学1つをとっても、内科・外科・整形外科・脳外科…と幅広い。それに加え、母性看護学・小児看護学・公衆衛生学・基礎看護技術・救急看護・栄養学・解剖生理・その他色々…。それで“面倒くさい、や〜めた!今まで培った経験と知識でなんとかなるだろう”ということにしてしまったのである。(爆)

試験1週間前の12月1日、JICAから厚めの封筒が送られてきた。
開けてみると、一次選考の受験票・実施案内と共に、応募者調書・健康に関する質問書・健康診断領収書や金融機関預金通帳コピー(後日、健康診断料が振り込まれるため)を貼る用紙が入っていた。
応募者調書は、学歴・現在の職業・身分・資格免許などの他に、外国語能力(外国語検定試験の結果等)・受験動機・職歴・受験職種についてどのような経験や技術があるか・セールスポイント(!)など、細かく書くように項目がわかれていた。
勿論、この調書も合否の鍵を握る…と思い、動機やセールスポイントについては、自分を最大限にアピール出来る文章が書けるよう、何度も書き直した。勿論、合格した後に「やっぱりこういったことは出来ません・無理です」ということにならないよう、誇大表現は避け、事実・経験をありのままに書いた。
健康に関する質問書は、「便通はいいですか?」等、体調に関する一般的な質問や、既往歴・現病歴について、そして女性に対しては生理の周期や生理痛について書くようになっていた。
応募者調書や健康に関する質問書には、「虚偽の申告をすると、合格が決まった後でも取り消しになることがある」と書いてあるので、嘘偽りなく正直に書く。(いやいや、それ以前に一社会人として、選考試験を通りたいがために嘘をつくようではいけない)
応募者調書に貼る写真を撮りに行ったりなんだりで、受験前1週間はあっという間に過ぎていった。

一次選考(2003年12月7日)
普通、試験前は早めに休んで、当日朝は余裕を持って出かけるのが鉄則だろう。けれど私は応募動機の文章に悩み、応募者調書を書き上げたのは一次選考当日の朝だった。(爆)(だって、狭い枠内に収まるように書けと言われても、自分の“熱い想い”は何度もはみ出しちゃって…)
受付は10:00〜10:15(時間厳守)、試験会場は山口市の県教育会館である。県教育会館までは車で40分、日曜日だから渋滞はないはずだし、会館の周りには県立の美術館や図書館など公共施設も多く、駐車場が開放されているので、9:15に家を出れば十分間に合う予定だった。
途中、コンビにに寄ってお弁当を買い、応募者調書をコピー(二次選考対策のために)して、教育会館近くのパークロードに入ったのが9:50頃。普通なら、そこから1分程度で駐車場に着くはずだけど、異変はパークロードに入る交差点の辺りから現れていた。
「ん?何だ?やけに車と人が多いぞ…?!」
パークロードに入ると先を進む車が増え、停めようと思っていた図書館の駐車場は大渋滞していた。
「し、しまった〜!今日は山口骨董市フリーマーケットじゃ〜〜!」
そう、この日は第1日曜日、近くの亀山公園では月に1度のフリーマーケットが開かれる。これが中国地方では最大級規模で、毎回早朝から大勢の人が訪れて大混雑することは知っていたが、ついつい忘れていたのだ。
前後の車の列は、明らかにフリマのお客さんと思われる人ばかり。駐車場はいっぱいで、みんな空きスペースを探してノロノロ…。しかし、時間は確実に過ぎて行き、“やばいな〜、このまま車が停められなかったら受付に遅刻してしまう〜”と焦り始める。
少し離れた所には県庁や市営駐車場などもあったが、いかんせん時間ギリギリに行っていたため、そこまで車を停めに行き、徒歩で試験会場に向かう時間的余裕はなかった。ギリギリまで応募者調書を書いていて、あまり余裕を持たずに出てきたことを反省するが、後の祭りだ。
“どこでもいい、とにかく車を停めないと…。『遅刻』で選考試験が受けられなかったなんて一生の恥だ!”と焦りまくるが、本来の駐車スペースは勿論、路上駐車もあふれ、私は渋滞にどっぷりはまり込んで身動きが取れない状態に陥っていた。
時計を見ると10:10、“もうだめだ…”と力が抜けそうになった瞬間、路上駐車になるが、路肩に1台だけ車が停められるスペースが目に飛び込んできた。“ラッキー!”…と思ったが、よく見ると、そのすぐ側には『駐車禁止』の道路標識が…。(爆)な、なるほど、みんな路上駐車をしているものの、微妙な心理が働いて標識の側には停められなかったのね。(苦笑)けれど、そんなことを言っている余裕はない。これも天からの助けと思い、スペースに車を滑り込ませる。
それから教育会館まで猛ダッシュ、受付にたどり着いたのは10:14と、本当にぎりぎりセーフだった。
★教訓…受験生のみなさん、試験会場にはゆとりを持って出かけましょうね(爆)

会場には全部で40人位の人が来ていた。協力隊には様々な職種の要請・応募があるため、色々な人が来られているが、この会場に限って言えば男女比は半々といった感じか。
最初に提出物の回収や本日の日程についての説明がある。その後、以下のようなスケジュールで試験は行われた。
  10:50〜12:30    技術問題(100分間)
  12:30〜13:30    昼食休憩
  13:40〜14:35    語学問題(55分間)
  14:55〜15:40頃   適性テスト(45分程度)

技術問題は筆記で、白紙の解答用紙と、分厚い冊子になった試験問題が配られる。試験問題集の中から、自分が応募した職種の問題を探し、解答用紙に記入していくのだ。
職種毎にそれぞれの専門知識が問われていて、他職種は見てもさっぱりわからない問題ばかりだが面白そう…と言う暇はない。(家に帰ってから見たけど、面白かった)急いで看護師問題を探す。
看護師問題は大きく4つの項目に分かれていた。
1番目は〇×問題が5問。2番目は4つの項目が挙げられ、それぞれについて説明せよという問題。3番目は事例問題で、骨粗鬆症・腰椎圧迫骨折患者の骨折予防教育の要点を述べよという問題。4番目も事例問題で胃癌患者のプロフィール(現病歴やバイタルサイン・検査データや全身状態・患者の性格)が書かれ、それについてアセスメントし、術前看護計画と看護の実際を述べよという問題。
とにかく『書く』問題が大半を占めているので、時間配分に注意しながらひたすら書いて書いて書きまくった。技術問題は、試験開始後60分を経過したら、終了10分前までは出来た人から自由退室OKだったが、私はそんな余裕はなかった。
問題の傾向としては、内容・レベルは看護師国家試験とさほど変わらないのではないかと感じたが、経験に基づく知識・アセスメント能力と実践力を求められているように感じた。

昼食休憩は自由に外出できたため、外に食べに行く人もいたようだが、私はまずは路上駐車している車の移動に行った。(笑)フリーマーケットもピークを過ぎたようで、今度は正規の場所に駐車することが出来た。

そして午後からは語学問題。これはマークシート形式で、全受験者が同じ問題に挑む。
語学問題は大きく5つに分かれて、1番目がある会話に関する5択問題が5問。2番目が穴埋め選択問題が10問。3番目が並び替え問題で5問。4番目は人造語問題で5問。最後は長文読解問題で5択問題が5問。人造語問題以外は英語で、やはり中学卒業から高校生レベルだなと感じた。
開始と同時に、まずは人造語問題にとりかかる。この問題の目的は、外国語に対する学習能力やセンスを見ると聞いたことがあったので、これを確実に解いておかないと合格できないかも…と思ったからだ。問題は、どこの国の言葉ともわからない文章と和訳の例文が書かれていて、それを基に言葉の法則性や意味を理解し、問題を解いていく、一種の言葉パズルのようなものだった。過去問題集に取り組んでいたおかげでスムーズにとりかかれたが、確実に答えようと考えて結構時間がかかってしまった。その後、最初から問題を解いていったが、最後の長文問題はほとんど時間なくて、焦ってしまった。

最後に適性テストだが、これは学校や就職試験で行うような性格検査で、“これで性格悪って思われて落とされることがあるんだろうか?いや、それはよほどでない限りありえないでしょ〜”と思って気楽に出来た。

提出物の最終確認等が行われた後、16時前に解散となった。
合否通知は1月9日。合格者には当日配信のレタックスで、不合格者には2〜3日遅れで到着する普通郵便で結果が送られてくるとのこと。なお、二次選考は1月下旬に東京で行われるとのことで、日程が試験会場の後ろに張ってあった。あまり自信はなかったが一応確認すると、看護師は1月30日の予定になっていた。

一次選考合格(2004年1月9日)
一次選考が終了した数日後、JICAのホームページをチェックすると、職種毎の応募状況が出ていた。看護師は259名が応募したが、一次選考を受験したのは210名。要請数は今後も増える可能性はあったが、その時点では7倍以上の受験倍率で、“無理かもしれない…”と不安になってしまう。
技術問題は8割近くはとれていると思うが、他の受験者のレベルがどうなのかさっぱりわからないので、良いのか悪いのか判断つかない。語学問題も然り。頼みは結果ばっちりの健康診断と、これまでの経験(応募者調書)だけだ。でも、こんなに受験者が多いなんて無理かもな〜と、弱気になってしまう。
けれど、12月17日から年末まで、通っている語学スクールのホームステイプログラムを利用してカナダに行ったり、年が明けてからは友人と会ったりしているうちに、すっかり協力隊のことは忘れてしまっていた。

1月9日。その日は仕事がなくて、朝から家でぐうたらしていた。のんびり新聞を読んでいた10時前、玄関のチャイムが鳴った。近所の人や知り合いならチャイムを鳴らしつつドアも開ける音がするのに、ドアが開いた気配はない。誰だろう?と思いつつ出てみるが、誰もいない。“あれ?”と思って側のポストを見ると、緑色の封筒が入っていた。
『レタックス』だ!…と言うことは、一次選考を突破したんだ〜!!
慌てて封を開け、中身を確認する。粗いコピー用紙に一次選考が合格したことと、二次選考の日程だけが書かれている簡素なものだった。
新聞を読んでいた場所に戻ると、丁度来ていた伯母が「何じゃったの?」と声をかけてきたので、伯母、そして母にレタックスを見せ、初めて協力隊の試験を受けていたことを告げる。
…そう、それまで私は、協力隊の試験を受けたことを、ある先輩看護師さんに打ち明けた以外、家族や友人には一切話していなかったのである。(爆)正直通るとは思っていなかったので…。けれど一次選考を突破したとなると、夢が現実味を帯びてきたし、もしも二次選考まで通って派遣されるとなったら、2年間海外へ、それも開発途上国に行くのだから、いつまでも親に隠しておくわけにはいかない。
翌1月10日。速達で、正式な一次選考合格通知と二次選考の関連書類が届いた。
改めて両親に協力隊の試験を受けていること、もし合格したら行きたいという意思を伝える。
両親は、まだこの時点では私が合格して行くとは思っていなかったようだ。(両親の本音?については、この後の『待つ日々』の中で触れる)募集要項に載っている看護師の要請の中に、ネパールからの派遣要請があるのを見つけて、共に山好きな両親は、「お、ネパールがある。お前、ネパールに派遣されろ」「ヒマラヤか〜、ええねぇ」などと、呑気なことを言っていた。

二次選考までにしたこと
二次選考は、全受験者が東京・広尾にある青年海外協力隊広尾訓練研修センターに集められて行われる。かなりの人数が集まるため、1月21日から、職種毎指定された日に二次選考を受けるようになっており、看護師の私は最終日の30日が受験日となっていた。
早速、東京行きの準備を始める。30日は朝早い時間から選考試験開始のため、地方の者はどうしても前日から上京しなければならない。せっかく上京するのなら…と考え、行き帰りの飛行機と宿泊の手配と共に、前日29日の劇団四季『マンマ・ミーア!』の公演チケットも予約する。(*⌒m⌒*)

二次選考はグループ面接と技術面接、健康診断、歯科検診が行われる。
グループ面接という面接形式を受けたことがなかったので、どんなものか想像がつかなかったから、“まぁ行き当たりばったりでもなんとかなるでしょ”(爆)と何もしなかった。技術面接試験に関しては、応募動機や自分の経験についてちゃんと説明できるように、一次選考時に提出した応募者調書のコピーに何度も目を通した。
速達で送られてきた二次選考書類の中に、派遣に関する確認及び調査書があり、派遣希望国・地域や派遣希望隊次、グループ派遣でもいいか?などが聞かれていた。私は、自分の経験が活かせる場所ならどこでも良かった。一応JICAのホームページで看護師の要請をチェックし、なんとなくこの要請がいいなぁとか、この要請だったら合格するのじゃないかと夢(妄想)をふくらませる。看護師の要請数(募集数)は、最終的には40名となっていた。その中で、中米のベリーズから眼科経験のある看護師の要請があって、脳外科と眼科の混合病棟で7年働き、その間時々眼科外来の助勤に出たり、看護学校の眼科看護の講義に行ったこともあった私は、この要請がいいなと感じたが、詳しい要請内容を読むと、眼科全般の知識・技術指導が必要とされているが、「手術室でのマンパワーとしても期待される」と書かれていて“微妙〜”とも思った。私は手術室の経験がなかったので。

歯科検診については、協力隊経験者・現役隊員のホームページを見ていると、ろくな歯科治療設備がない途上国への派遣なので、虫歯1本でも厳しくチェックされると書かれており、10年近く前に親知らずを1本抜いてから歯医者に行ったことがなかった私は不安になった。不安は少しでも減らしておきたいし、この機に歯の総点検を受けるのもいいかも…という気持ちもあって、1月19日、近所の歯科医院に行った。
受付で、歯科衛生士さんに「今日はどうされましたか?」と聞かれ、特に歯が痛いわけでもなかった私は返答に困った。「え、あの、ずっと歯医者に来たことがなくて、虫歯があるのではないかと気になりまして、一度きちんとみていただこうかと…」と、しどろもどろにそれらしい理由を言う。
今までも、歯医者に行って歯石ぐらい取ってもらわなきゃ…と思ったことはあるが、あの機械の音…キュイーンという甲高い音が苦手で、どうしても敷居をまたぐことが出来なかった。
30代前半に見える若いM先生が来て、「どうされました?」と聞かれ、受付と同じことを答え、診察してもらう。『あの音』を聞きたくない私は、“全然痛くないから虫歯ないよね?いや、ありませんように!”と祈るが、先生、「あぁ、2ケ所ほど虫歯がありますね〜。ちょっと削って治療しましょう」と言われる。…ガクッ。
痛みもないので、簡単に削って治るものと思っていたが、2本のうち1本は歯根膜炎を起こしていて、それからしばらく歯医者に通う羽目になってしまった。
でも、協力隊を受験していなかったら、痛みが出るまで歯医者に行くこともなく、もっと酷い状態になっていたかもしれない…。そう思えば、歯医者に行くきっかけが出来ただけでも、協力隊を受験した甲斐があったというか。(×_×)

二次選考(2004年1月30日)
前日の29日、午前中の飛行機で上京し、新橋の汐留サイトの一角にある劇団四季の劇場『海』で、ミュージカル『マンマ・ミーア!』を観劇。アバの名曲で綴られた楽しいミュージカルでノリノリになり(笑)、終演後は、おしゃれな汐留サイトを『おのぼりさん』気分丸出しでウロウロする。…一体、何しに上京したんだか。(爆)一応その後は、当日迷わずたどり着けるように、わざわざ広尾訓練研修センターまで下見に行った。
その日は、都内飯田橋にあるユースホステルに宿泊。

さて、二次選考の受付時間は9:00〜9:30(時間厳守)だが、一次選考のスリル満点滑り込みセーフがこたえていて、かなり時間に余裕を持って出かけた。なにしろ飯田橋から広尾に行くまで地下鉄を乗り継がないと行けないし、平日だったので通勤ラッシュに巻き込まれて遅れないか…も心配だったからだ。けれど、早く出たせいかラッシュもなく、8:20頃には広尾訓練研修センターに着いてしまっていた。

正面玄関入ってすぐのロビーには、すでに数人の受験者が来ていて、私も空いているテーブルの席に座って待つことにする。すると、隣の空いている席に20代後半に見える女性が、「ここ、空いてますか?」と声をかけて座ってきた。彼女は茨城から来た看護師さんで、それからお互いのこと、選考試験のことなど話して過ごす。
この日は看護師の他に、保健師・薬剤師・数学教師・農業機械・養殖・測量・観光業などの職種の面接もあったが、類は友を呼ぶ?私達がいるテーブルの残りの空席に座ってきたのは、秋田と大阪から来た保健師さん、そして石川から来た数学教師の女性だった。しばし、仕事のことや二次選考で行われるグループ面接の話題で盛り上がる。
朝起きた時から緊張で落ち着かなかったが、彼女達と喋っていることで緊張がほぐれ、受付開始の頃にはいくらか落ち着いていた。
時間通りに受付が始まり、2階の体育館に行くように指示される。そこが、今日の選考試験の待合所となっていた。ここから面接や健康診断の会場に行き、今日の日程をこなすことになるのだ。(なお、広尾訓練研修センターでは、すでに平成15年度3次隊の派遣前訓練も行われており、面接会場や健康診断会場、トイレ以外の場所に行くことは禁じられた)
体育館の中では、職種毎に分かれ、さらに都道府県順に並んで待つように座席が指定されていたため、茨城の看護師さん達とはお互いの健闘を祈ってしばしお別れ。会場には200人以上、いや、250人位の受験者が集まっていただろうか。

9:30過ぎ、今日の日程についての説明が始まる。
二次選考で行われるのは、@グループ面接、A技術面接、B健康診断、C歯科検診、D身分措置聴取、E採寸である。このうちグループ面接と技術面接は、どの時間に受けるか時間指定されているが、健康診断等は面接の合間に各自で回って受けるようになる。なお、遠方から来ている受験者の帰路に配慮し、遠方からの受験者ほど早く受けられるように面接順が組まれているとのこと。
手元に、面接の時間と受験番号が書かれた紙があり、自分の順番を確認すると、ガーンッ!なんと、私のグループ面接の順番は、1番最初の10時となっていたのだ。いくらか落ち着いていた心臓が、再び緊張で鼓動が速くなる。
10時前、グループ面接を受ける最初の受験者の呼び出しが始まり、私も呼ばれて集合する頃には、心臓が口から飛び出しそうになる位、早鐘のように鼓動をうっていた。


グループ面接は5〜6人毎(メンバーは同じ職種の受験者同士)に1つの部屋に入れられて行われる。時間は30分間。部屋の中には試験官が3人。私が入った部屋は男性ばかりで、1人の人が主に進行役で、後2人は、面接中、私達の様子を見ながら何か書き込んでいた。
最初に、「1分間で志望動機を言ってください」と言われ、1人ずつ話すことになる。座った席位置の関係で、私は最後になり、一瞬“1分間に話をまとめられる時間があってラッキー”と思ったが、他の受験者さん達が話す『志望動機』を聞いていくうちに顔が青ざめ、また一段と鼓動が速くなる。(多分、この頃の私の心拍数160前後/分・笑)「子供の頃、テレビでアフリカの子供の様子などを見て以来、ずっと協力隊を目指して努力してきました」等、幼少時から協力隊一筋、その想いに対する年季は相当入ってます…という人が圧倒的に多かったのだ。私も子供の頃に志したことはあったが、一旦夢に挫折し、本気で協力隊を目指したのはここ1年…。一瞬、“こんな年季の短い私でもいいのかな〜?”と思う。けれど、“確かに協力隊を目指したのは遅かったかもしれないが、熱い想いは負けていないぞ”と自分に言い聞かせ、深呼吸をして、なんとか自分の『アピールタイム』を済ませる。

その後、このグループ面接の『お題』が書かれた紙を配られる。その内容については、今後受験する人に話すと後に受ける人が有利になり、不平等になるから喋ってはいけないと言われたので公開しないが(笑)、普段私達がよく使う物に関するマナーに対して問いかける文章が書かれていた。そのテーマに沿って、残り約20分間、討議することになる。(なお、討議のテーマは、入る部屋毎に決まっていたようで、別の部屋ではある社会問題について、違う部屋ではあることに関するマナーの問題が出ていたそうだ…って、結局、みんな喋ってるじゃん・爆・いえ、勿論グループ面接が終わった者同士で話したんですけど)
比較的考えやすく、自分も関心があったテーマだったので、この頃になると幾分落ち着き、他の受験者さんの意見を聞きながら、しっかり自分の意見をのべることも出来た。
この面接では、積極性や協調性、発想の柔軟性や臨機応変さ等を見られているような感じがした。

グループ面接が終わった後、採寸は午前中しかやっていないとのことで、まずは採寸に行く。協力隊の隊員になった時、制服でブレザーが支給されるので、いくつか置いてあるブレザーを着て、自分にぴったりのサイズを申告するのだ。
採寸コーナーは男性と女性に分かれているのに、女性コーナーの担当者はおじさま…。(笑)まぁ別に全部脱ぐわけでもない(ブラウスの上から着る)からいいんだけど。でも、このおじさまが優しい人で、最後に「受かってまた着れたらいいね」と言ってくださった。

採寸はすぐに終わり、技術面接の順番は11:30からとなっていたので、時間があるかな?と思って、歯科検診・健康診断に回る。2つはセットになっていて、歯科検診を済ませないと健康診断が受けられないことになっていた。
歯科検診は、歯科医2名で診察を行っていて、受験者の長蛇の列が出来ていた。なんとか歯科検診は受けられたものの、健康診断はさらに長い行列が出来ており、技術面接の時間に間に合いそうにない。健康診断の受付の人に、午後からまた受けに来てもいいと言われ、待合所に戻る。
ところで、事前に歯医者に通い、2本の虫歯を治療中の身の私であったが、歯科検診の担当医に、さらに3本(!)『虫歯』を指摘され、『推定治療期間5週間』と言われる。“が〜ん、ショック!”と思うが、それだけチェックが厳しいということか。
これには後日談があって、この結果は貰って帰ることは出来なかったが、検診担当医が書き込むのを見て、何番と何番に虫歯がある…というのを覚えて帰り、治療に通っていた歯医者のM先生に言った。するとM先生、私の口の中を見て、「え〜?!これが虫歯ですか?これは虫歯じゃないでしょう。ちょっと変色しているだけなので、普通は治療しませんよ。この程度で削るとかえって歯がガタガタになって、逆に虫歯が出来やすくなります!」と、ブーブー言われてしまった。(結局、合格したら治療するが、今は治療しないということになって、その『虫歯』は放置された・爆)

11:30過ぎ、呼び出しがかかって今度は技術面接の会場へ。
技術面接は1人10分間の予定。前の受験者が出てきて30秒たったらドアをノックして入り、受験番号と名前を言うように言われていたので、きちんと時計で確認してから深呼吸してドアをノックする。
会議室のような所で行われたグループ面接とは違い、今度は狭い社長室(?)といった雰囲気の部屋に、2名の面接官がいる。
1人は比較的若い男性で、JICA職員といった感じの人。まずは事前に書いて提出した派遣に関する確認及び調査書に沿って、この男性が派遣希望国・地域、派遣希望隊次、グループ派遣と個別派遣どちらでもいいか?もし小型自動二輪免許が必要な要請に合格した場合、免許をとる意思はあるか?(免許取得に関する費用は自己負担)を聞かれる。
私は自分の経験が活かせる所ならどこでも良かったし、派遣形態にもこだわりはなかった。ただ派遣隊次は、第1希望が16年度2次隊、第2希望が16年度3次隊、そして第3希望が16年度1次隊だった。もし合格・派遣となった場合、1次隊では合格発表から派遣前訓練までの間が1ヵ月半位しかない。その間に諸々の準備が出来るかどうか自信がなかったし、歯科検診で推定治療期間5週間と言われたばかりだったので、1次隊では間に合わないだろう…。そういったことを話すが、それ以外の質問は特になくてあっさりしたものだった。
次に、もう1人の面接官からの質問を受けることになる。こちらはやや年配の中年女性で、看護の専門家らしい。手元にある応募者調書のコピーを見つつ、専門的な立場から技術・経験についての質問をされる。しかし、応募者調書に具体的に詳しく書いていたからかどうかわからないが、あまり突っ込んだ質問もなく、答えに困ることはなかった。
私が1番長く働いた部署は、脳外科と眼科の混合病棟だったので、そこでの経験を中心に聞かれる。今回募集している要請の1つで、自分も行けたらいいなぁと思っていたベリーズからの要請は、眼科経験のある看護師を求めているが、それを意識されてのことだったのだろうか?眼科経験についてさらに具体的な説明を求められ、私も病棟や外来で対応することは一通り経験を積み、出来ることをアピールするが、手術室の経験はないことを正直に告げる。その時の「そうですか…」という面接官の反応がひっかかったが、技術面接そのものはスムーズに終わった。やはり、手術室経験がないからベリーズの要請に合格することは難しいのだろうか?
全体的な印象としては、落とすための面接ではなく、受験者の技術・経験を確認し、希望を聞いて、派遣先を決めるための面接という感じだった。


技術面接を終えた後、12時から昼休みに入る。私はパンを買ってきていたが、朝一緒だった茨城の看護師さん達に一緒に食べに行こうと誘われ、外に出ることにする。
ところが、近くのおしゃれなカフェに入ったものの、他のお客さんや受験者でごったがえし、注文したものが来ない。休み時間は13時まで、時間には待合所に戻っておかなければならないのに、結局12:45になっても頼んだものがまだ作られていないとのことで、キャンセルして戻ることにする。トホホ…。私はパンがあったから良かったけど、他のみなさんは、自販機で買った缶スープでお腹を満たしていて気の毒だった。


午後からは真っ先に健康診断に回る。一次選考時に提出した健康に関する質問書に沿って問診を受け、喉の診察と胸部の聴診という簡単なものだった。

その後は身分措置聴取。これも派遣に関する確認及び調査書に基づき、技術面接でも聞かれたことを再確認されたのと、身分措置聴取票に基づき、合格して派遣されるとなった時の身分を確認される。
私は今の仕事は臨時職員として働いていて3月いっぱいで辞める予定だったので、合格・派遣になっても何の問題はなく、質問もあっさりしたものだったが、この時点でその辺りをハッキリさせていない人や現職参加予定の人は質問が長くなって色々大変らしい。
さらに、身分措置聴取の席は、個室で行われた面接と違い待合所の一角を仕切り、長机に何人かが並んで受けるので、時には隣で聴取を受けている人の話が聞こえてくる。私の左隣は大学生さんだったらしく、担当者に「社会に出て経験を積んでから受験した方がいいんじゃないんですか?」とキツイ口調で言われていた…。


面接はまだ続いていたが、16時前に、全て終了した者から解散してよいという指示が出た。殆どの受験者は終了していたので、みな一気に出口へと向かう。私は、茨城の看護師さんや大阪・秋田の保健師さん達に挨拶をして帰りたかったが、人の波の中で彼女達を見つけることが出来ず、残念で淋しい思いをしてしまった。
帰りは、その日の最終便で山口へ帰る手配をしていたので、真っ直ぐ羽田空港に向かう。
山口行きの最終のANA便に乗り、機内オーディオ音楽に耳を傾けていると、前年ブレイクした女子十二楽房の演奏で、SMAPの『世界に一つだけの花』のカバー曲が流れてきた。メロディーと共に、自然と歌詞が頭の中で歌い始める。
 ♪小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから
   NO.1にならなくてもいい  もともと特別なOnly one♪
…そのフレーズを口ずさんだ瞬間、ダーッと涙があふれ出てきてしまった。
協力隊の試験は、能力優先の成績の良い者を採用する試験ではない。あくまでも派遣国のニーズ・現地事情にぴったりの人材を選ぶための試験、NO.1ではなく、Only oneが求められているのだ。果たして自分は、その『Only one』になれるのだろうか?でも、やれるだけのことはやった。悔いはない。
ケニアを旅してから協力隊を目指すようになった日々が走馬灯のように駆け巡り、しばらく涙が止まらなかった。