ジャンボ! アフリカ 〜34.再びナイロビへ〜

 

 1月23日。とうとうケニアを去る日が来た。

 食事を済ませ、7:30フィグツリーを出発する。
 ナロクまで引き返し、途中までは、ここに来た時と同じ道をたどる。今日もガタガタと車がよく揺れる。最後の別れを惜しむかのように?マサイマラ国立保護区を出ても、しばらくは道の両側にシマウマやキリンが見えた。
 やがて、ナクルから来る道とナイロビへ向かう道に分かれるT字路にぶつかる。左に行ったらナクルで、2日前はここを通ってマサイマラに向かった。今日は右折してナイロビに向かう。イジイジ。かなり後ろ髪引かれる。
 ここからは山の斜面を登っていくようになり、ひたすら上り坂が続く。しかし、今までの悪路とは違って舗装状態もかなり良い。今まで走ってきた平原がはるか下に遠ざかっていく。

 12:20頃、道路沿いにあるグレートリフトバレーの展望台に到着。
 おお〜!これがあのグレートリフトバレーですか〜〜!…って、山の中腹から盆地の底を見下ろしているみたいで、イマイチぴんとこない。ここは死海から始まってエチオピア、ケニアを分断し、タンザニアまで続く東部地溝帯にあたる場所なのだ。しかし、地球の割れ目の底ははるか彼方までに続き、広すぎて“よぉわからんでの〜“状態だ。空のずっと上から見たらわかりやすいのかもしれないけど…。しかし、この大地の下の奥深くでは今も活発に地殻活動が行われており、割れ目はさらに広がるばかりだという。やがてアフリカ大陸は引き裂かれ、数千年後数万年後にはここに海が出来るという。なんとも壮大な地球のドラマだ。 
 ここで30分ほど過ごした後、ナイロビに向かうが、30分位の短い距離だった。 

 13:15過ぎ、ナイロビ市内に入り、郊外の『ふるさと』という日本料理の店で昼食をいただく。天婦羅やお味噌汁など久々の日本食を頂くが、久しぶりに持った箸は扱いにくかった。(笑)

 14時、稲野辺さんが『ふるさと』に来られて、ここからは一緒にナイロビ市内のマーケットにお土産を買いに行くことになる。
 「よかったですねぇ。昨日は市内で学生が小さい暴動を起こして街中には入れず、遠回りして空港に行くところだったんですよ。今日はもう大丈夫ですけど」…ちょっと唖然。
 ここで、お借りしていたコンパクトカメラを返す。稲野辺さん、本当に本当にありがとうございました。

 そこから少し街に入ったところにある、ナイロビでも大手のマーケット『ナクマットマーケット』でお土産にするコーヒー・紅茶を買う。さすが紅茶の産地?ティーパック50袋入りの箱が100シリングに満たない。コーヒー・紅茶買い込んで、ついでにタスカービールの缶6本(日本と同じように6缶でまとめて売ってあるものもあった)と稲野辺さんがお薦めだと言うお酒を買っても1500シリングくらいだった。思ったより安かった。

 そこからは空港まで真っ直ぐである。
 15:30前、ナイロビ・ジョモ・ケニヤッタ国際空港到着。

 空港の中にドライバーさんは入れないということなので、車を降りた所でフレッドさんとお別れだ。
 フレッドさん、本当に本当にありがとう〜〜!!彼はいつものように屈託のない満面の笑顔と力強い握手で見送ってくれた。

 空港の中に入ると、まず、手荷物のセキュリティチェック。普段ならX線の機械に荷物を通すのだが、今日は1台しかない機械が壊れているとのことで、カバンの中を開けて全部見られる。カロがチェックインの手続きをしてくれている間に、私は渡されたツアー会社のアンケートを記入する。

 それらが終わると、いよいよカロ、稲野辺さんともお別れだ。ここからは1人で出国審査を通らなければいけない。

 カロ、稲野辺さん、本当にありがとう〜〜!!
 フレッドさんも含め、3人のおかげで楽しい、そして忘れられない旅になりました。たくさんの出会いがあったけど、やはり3人に出会わなければ、他の出会いに繋がらなかったと思う。そして、稲野辺さんも「カロもフレッドも、うちで1番優秀なガイドとドライバー」と言われたけど、この2人に出会い、一緒に旅が出来た幸運に心から感謝している。

 アサンテサナ!!

 出国審査を通って振り返ると、カロも稲野辺さんもまだ手を振ってくれていた。
 1人になったら、涙が出てきそうだった。