朝のサファリドライブから戻ってカロと一緒に朝食を食べていた時、彼女に「近くのマサイ村に行ってみる?」と言われた。
…日本を出る前、このツアーのオプションでバルーンサファリとウォーキングサファリは申し込んでいたが、マサイ村見学は2名様以上と書いてあったので申し込んでいなかったのだ。カロは、1人でもOK、マサイマラでもマサイ村見学出来ないこともないが、あちらの方はより観光化されて俗っぽくなっているのでこっちの方がいいと言う。
それならせっかくのチャンス、行ってみたいとカロに返事をする。ちゃんと入場料が要るそうで、40ドルとのこと。
10時頃から再び車に乗って、近くのマサイ族の村に向かう。
ロッジを出て、サファリに向かう道を少し走った後、車はそれまでの道とは少し違う踏み跡のような道へと入って行く。ガタゴトガタゴト揺られ、15分くらい走っただろうか。それまで野生動物ばかりと思っていた目の前に、水を入れた缶を運んでいるマサイの女性や、自転車に乗って走っているマサイのおじさんが現れた。その向こうに、木の枝で組んだ低い囲いに守られたマサイの村が目に飛び込んできた。
村の入り口に車が着くと、村の中からマサイの人々が続々と出てくる。みんなカラフルなキコイやカンガに身を包み、男も女もマサイビーズを耳や首、腕にとたくさんつけている。足元はタイヤで作ったサンダルを履いている。ブッシュの中を歩くには、タイヤのサンダルが頑丈で足を守ってくれるとのこと。
私の後、すぐ別のサファリカーがやってきて、ヨーロッパ系のご夫婦が降りて来る。
出迎えた村の人達は、昨日ロッジで見たマサイダンスショーのように力強い声で歌のようなリズムをとりながら、やがて男の人達がマサイジャンプを始める。これは、年頃の男性が女性にアピールする意味もあるそうで、より高く跳べる方がカッコイイそうな。
その後、人の輪の中から1人のマサイの青年が私のところに来て、自分はリチャードだと名乗る。どうやら、彼がこのマサイ村での案内係になってくれるらしい。(ご夫婦にはまた別の人がついていた。)
そして彼は、写真を撮ってもいい、もちろんタダだと言う。ほ〜、やっぱり観光マサイ村は写真OKなのね。ガイドブックなどを見ると、誇り高きマサイの人に無断でカメラを向けると嫌がられ、写真お断り、もし撮らせてもらっても後でとんでもない値段の撮影料を要求されると書いてあった。しかし、こういった観光客に開放しているマサイ村は問題なく写真を撮れるとのことだったが、まさしくその通りのようだ。
でも、残念なことにマサイの村人と数枚写真を撮ったところで、フイルムがきれちゃった。予備のフイルムはロッジだ。どうも、私はつくづくカメラと縁がないらしい。(T-T)…と言うより注意力散漫?!
マサイダンスの後、村に入るための何がなんやらわからん儀式がある。みんなで一斉にしゃがんで、1人の人がお経のような、念仏のようなものを唱える。それにあわせて、みんなで「ナイ、ナイ」と言う。その後、やっと村の中に入れてもらう。
村の外周は動物が侵入してくるのを避けるため、木の枝などを集めて作った垣根に囲まれ、その内側には、木の枝と牛の糞で壁を作った低い家がグルリと円形状に建ち並んでいる。そのさらに内側には、円形の広場があった。ここは、放牧に出ている牛が集められて夜を過ごす場所なのだそうだ。もちろん、昼のこの時間帯、牛たちは放牧に出ている。しかし、さすがに牛のいる場所だけあって牛の糞臭い。入ってすぐ、リチャードさんが持っていた杖で足元を示す。そこにはフンコロガシが糞をコロコロ転がしていた。
ここで、別の人が火をおこすところを見せてくれる。
昔ながらに木を使って火をおこすのだが、小さな火種が出来たらゾウの糞を使ってさらに火を大きくするところがケニアらしい。(これには立派な根拠があって、ゾウの糞には未消化の草が混ざっているため、乾燥した糞は燃えやすいらしい)見事に大きな炎がおきて拍手する。火おこしはマサイでは男の人の仕事で、朝と夕方にこうやって火をおこし、それを各家庭から取りに来て、持ち帰った火はカマドに入れられて、食事の支度やランプの灯りに使われるとのこと。
さすがに蝿も多い。何匹と集まって体にたかってくる。でも、マサイの人は全然気にする様子はない。顔に4〜5匹止まっていたって気にしない子供もいる。最初は手で追い払っていた私も、そのうち気にならなくなってしまった。
その後、リチャードさんのお家にご招待される。ついて行った先の1軒のお宅に入るが、入り口は低く狭い。いくら背の低い私でも少し頭をかがめて入らないといけないが、中はもう少し高かった。(それでも、背の高いリチャードさんは少し腰をかがめていたけど)
リチャードさんが、そこに座りなさいと小さな椅子を示す。中は暗い。ソフトボール位の大きさで明かり取りの窓みたいなものがあるだけで、あとは全て壁で外界と遮断されている。牛の糞で壁が作られているというが、全然臭くなかったし、日本にある昔ながらの民家の土間と何ら変わりなかった。目が暗さに慣れてくると、真ん中に小さなカマドやランプ、無造作に置かれた鍋などが見えてくる。リチャードさんの奥さんもいた。
家は、土間を挟んで両側それぞれに小さな部屋があるが、間仕切りの壁とかは全くない。竹のような枝を組んだ低い床があるだけの部屋は、片方は夫婦の寝室、もう片方は子供達の寝室になるそうだ。床には牛の皮が敷いてあった。
ここで、一緒に来たカロにマサイ族の人の暮らしぶりについて説明してもらう。
マサイ村では放牧で生計をたてていて、牛が貴重な財産であること。村は1つの親戚集団なので、結婚する時は別の村に行くが、事前に親戚のおばちゃん達が相手の村の人について調べ、牛もたくさん持っているかどうか調査していること。彼らは1日2食で、朝は牛や山羊のミルクや血を飲むこと。子供は学校には行ってないし、女の子は初潮がきたらもう立派な大人で結婚も早いこと。病院はなく、乳幼児の死亡率も高いため、産めよ増やせよじゃないけど多産であること。ケニアの人の多くはキリスト教を信仰しているが、ここではマサイ独自の宗教があること。女の人は、遠くの川に水を汲みに行ったり薪を取りに行ったり、そして食事を作ったりと忙しいこと。だから働き者の女性がモテるのだということ。病気は薬草で治すこと。マサイ村のセックスのルールなどなど…。
同じケニアなのに、カロに聞いたナイロビ近辺の都市部の人達とは全く違う、原始的で素朴な暮らしに目が丸くなってしまう。
話の途中で、リチャードさんが牛・山羊のミルクや血を入れるという細長いひょうたんを見せてくれた。外側にはマサイビーズでアクセントがつけてあってオシャレだが、中はちょっと生臭かった。
でも、マサイだって人の子?近代的なモノは欲しいのだと思う。その証拠に、村の側では自転車に乗ったおじさんもいたし、リチャードさんはじめ数人の青年の腕にはデジタルの腕時計がしてあったし…。
話を聞いた後外に出ると、今度は村の裏手の広場に連れて行かれる。
そこは青空マーケットになっていて、茣蓙の上にマサイビーズの装飾品や木彫りの置物がズラ〜ッと並べてあった。で、ここでも土産物屋同様の売り攻勢が始まる。カロに「マサイ村の品は粗末だから買わない方がいい」と言われたけど、マサイのおばちゃんやお姉ちゃん達にグルリと取り囲まれ、有無を言わさず腕や首にネックレスやブレスレットをつけられる。ちょっと恐い。でも楽しい。結局、色々品定めして、ブレスレットを2つ1000シリングで買った。(もちろん値引き交渉して)でも、他の土産物屋よりここが1番良心的な値段だったと思う。
周りには、小さな乳飲み子を背負ったお母さんが多い。そして赤ちゃんはどこに行っても本当にカワイイ。
これでマサイ村見学は終了だった。
帰りの道の途中、小さな水溜りの側にうずくまっている1頭の年老いたバッファローがいた。老いて群れについていけなくなったのだろうとカロが言う。そのバッファローは夕方のサファリの時もそこにいた。乾季が進んであの水がなくなったら、バッファローはどうするのだろう…。
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