ジャンボ! アフリカ 〜1.旅の始まりはトラブルから〜

 

 2003年1月15日午前関西空港出発で、はるばる行って来ましたアフリカ・ケニアまで。
 機内泊も含めて11日間の長旅です。
 行ってみて感じたこと…。やっぱりアフリカは遠かった!(当たり前か?・笑)地球の大き
さを実感。 

 今回は、関西空港から香港へ4時間25分のフライト、そこから乗り換えてUAEのドバイ
まで8時間50分、そこでまたさらに乗り換えてケニア・ナイロビまで5時10分と、合計18
時間25分も狭い飛行機の中に缶詰状態。(もちろんエコノミークラスだし)
 ナイロビに着いたのは現地時間で16日の午前6時20分。おまけに自宅を出発したのは
14日の夜の9時過ぎに夜行バスを使ってだったので、まともに横になって休まない状態が
2晩続いたことになる。結構体力を使い、頭も体もヘロヘロの状態でナイロビ・ジョモ。ケニ
ヤッタ国際空港に辿り着いた私だが、実は大きなミスとトラブルが重なって、さらなる精神
的疲労で相当へこんでいた。
 
 ‥‥実は!書くのが相当恥かしいのだが、カメラを忘れていったのである!!(爆)
 今回デジカメと一眼レフを持っていくつもりだったのだが、それらを一眼レフカメラ用のバッグにひとまとめにし、機内持ち込み用のディパックと2つ持って飛行機に乗るつもりだった。つまり、家を出た時点ではカメラ用バッグと貴重品などを入れたディパック、それから機内預け荷物とした旅行用の大きなカバンと3つ持って出たのだが…。夜行バス乗り場まで送ってもらった父の車の中にカメラのバッグを忘れてしまったのだ〜!!
 気がついた時はすでに出発した夜行バスの中。もう引き返すのは難しい。ガーン( ▽|||) 後悔と悩みを残しつつ、結局どうしようも出来ないまま旅立ったのである。(…あ〜、恥かしい。すんごくお馬鹿さんな私)
 教訓…荷物は出来るだけコンパクトにひとつにまとめること
 普段の旅行ではあまり写真を撮らない私だが、はるばるアフリカに行くということで、今回はたくさん写真を撮って友人やネット上で知り合った“井戸端友達”に見て楽しんでもらいたいという気持ちが強く、自分自身それを楽しみにしていた。
 それが旅立つ時点でパァになってしまったことは、悔やんでも悔やみきれないほど大きなミスを犯してしまったわけで、ショックと浮かれ気分で大きな忘れ物をした自分を責める気持ちが長旅の疲れに加わって、ナイロビに着いた時には“疲れた〜”と心底から思っていた。
 
 だが、初めて訪れたナイロビでは、さらにまたトラブルが私を待っていた。
 なんと、いきなり『ロスト・バゲージ』になって、機内預け荷物にしたカバンが出て来なかったのだ!!ひぇ〜?なんで?!出発の関西空港で預けた時にスルーチェックにして、ナイロビまで直行にしたのに〜?!
 今回、関空からドバイまではキャセイパシフィック航空、ドバイからナイロビまではケニア航空を利用したが、ドバイで乗り継ぎ手続きをして、ケニア航空のカウンターのおじさんに確認した時も「ノープロブレム!」って言われたのに〜〜!(×_×)
 
 空港のターンテーブルで、自分のカバンが出てくるのを待つ…、が出てこない。ターンテーブルは何周もして、どんどん他の荷物は減っていくのに見つからない。
 ちょうど同じ時間帯に、やはりドバイからナイロビに来たKLMオランダ航空便もあったので、そちらに混ざったのだろうか?と思ってそっちのターンテーブルも探すが見つからない。周りにいたたくさんの人はどんどん自分の荷物を受け取り、税関を通って出て行ってしまうのに…。時間だけいたずらに過ぎて行く。

 税関のすぐ向こうにある空港の入り口をフッと見ると、今回の旅でお世話になる現地ガイドさんとドライバーさんが、私が旅行手配を頼んだツアー会社の紙を目印に持って立っていた。焦るが、それでもなかなかロスト・バゲージになったことが信じられずにターンテーブルの周りを長いことウロウロしたあと、近くの空港職員に自分のカバンが出てこないことを告げたら、あっさり「あちらに行きなさい」とクレームカウンターを指された。そこにはすでに、同じような人が3〜4人並んで待っている。
 なかなか自分の順番が回ってこず、とうとう外で待っていた現地ガイドさんが空港職員を通じて私を呼び出してきた。
「待たせてごめんなさい。でも、ロスト・バゲージになって困っちゃって…」
 いきなり泣きつく相手は、私よりはるかに背が高い(身長が170を越えている…)ケニア人女性ガイド・カロラインさんだった。
 さんざん待たされた挙句、くたびれきってヨレヨレの私に泣きつかれたカロラインさんだが、彼女は肝っ玉母さん風で動じることもなく、戻ってちゃんと手続きをしてきなさい、ここで待っているからと言ってくれた。

 再び中に戻って、ロスト・バゲージの手続きをする。
 が、連絡先などを書くように言われて渡された紙はただの白紙?!え?ちゃんとした様式の紙はないの??しかし、私の拙いイングリッシュならぬ珍グリッシュでは思うように伝わらない。言われるままにその紙に日本の住所とケニア滞在中の連絡先を書き、提示された一覧表の中から自分のカバンの色・タイプを教え、それらがコンピューターに入力され、後は1枚の紙切れとクレームタグをもらったらおしまい。
 やっとの思いで待ってもらっているカロラインさん達の所に行くが、私が持ってきたロスト・バゲージの手続きの紙切れを見て、「それは違う。正式の書式に書かなかったの?」と言う。どうやらやっぱり違うらしい??(私はすっかりチンプンカンプンだった)
「仕方がないからケニア航空のオフィスに行って直接交渉しましょう」と言い、カロラインさんは私を連れて空港の別の場所に向かう。が、行った先でカロラインさんが交渉してくれるが、担当が違うとか何とかで埒があかない。
「仕方ないわ。とりあえずホテルにツアー会社の日本人現地駐在員が待っているから、そっちに行って今後のことを話し合いましょう」と言われ、結局、ディパック一つで今日滞在予定のホテルに向かうことになる。
 
 …と、ここまでだけでは悲惨な旅だったように思われるかもしれないが、散々だったのはここまで。この後事態は好転し、翌日ナイロビを出発してケニア各地をまわりだしてから帰国するまで、たくさんの良き出会いと人情に恵まれた素晴らしい旅になり、楽しく、そして心に残る旅になったのである。何より、アフリカ旅行はハードで、食事があわないなどから下痢や発熱など体調を崩す人の話を多く聞く中、私はいたって快調に旅を続け、健康面の不安は全くなく、逆に太って帰って来てしまった。
 思えば、カメラを忘れたことが逆に厄払いとなって、その後の楽しい旅につながったのかもしれない。
 …と、都合の悪いことはさっさと忘れ、自分のいいように解釈するいい加減な私。(爆)