風の歌に想いを乗せて・・・

次の日も、凛ちゃんは境内の掃除をしていた。

その姿からは、普段と何も変わらないような印象を受ける。

でも、時々立ち止まって何かを思い出すようにぼんやりしている事がある。

それは多分、昔の私たちを思い出しているんだろう。楽しかった頃の事を。

私と、凛ちゃんが、一緒に居られた時の事を・・・。

と、あの大木の側まできた時、凛ちゃんが何かを見つけて驚いたように立ち尽くした。

その視線の先を追ってみると・・・誰かが寝ていた。

凛ちゃんのお気に入りのあの場所で、私たちより少し年上に見える男の人が気持ち良さそうに寝ていた。

『あれ、この人って、前にどこかで・・・』

何となく、見覚えがあるような気がした。

ずっと以前、まだ子供だった頃にどこかで会ったことがあるような・・・

「もしもし、もしもし・・・」

いつのまにか凛ちゃんが男の人の側に立って、身体を揺すっていた。

「う、うぅん・・・」

起こそうとしているようだけど、その人は唸り声をあげるだけで、一向に起きようとしない。

「・・・そうだっ」

突然、凛ちゃんが走り出した。

『あ、ちょっと凛ちゃん、どこ行くのっ!?』

慌てて後を追う。

凛ちゃんは家の中に入り、そのまま台所に向かった。

『ねぇ、何するの?あの人はどうするの』

「ふんふん〜♪」

訳も分からず見ていると、凛ちゃんは鼻歌を歌いながら冷蔵庫から何かを取り出した。

『・・・イカ?まさかイカ焼きでも作る気?』

そのまさかだった。凛ちゃんは取り出したイカを楽しげに焼き始めた。

『なんで急にそんな事・・・あ、そういえばあの人・・・』

イカ焼きで思い出した。あの人とは確かに以前会ったことがある。

まだ子供の頃、凛ちゃんと喧嘩して一人で行った夏祭りで。

迷子になった時に、あの人も迷子になっていて、2人で屋台を見て周ったけ。

そう、確か、名前は・・・

『亮一・・・クン?』

一度しか会ったことはないし、それも何年も前の事だけど、

あれは、確かに亮一くんだと思う。

「あ、唐辛子はあんまりかけ過ぎないほうがいいよね、自分でかけた方が美味しいし」

・・・凛ちゃんは相変わらずイカ焼きにはこだわりがあるようだ。

でも・・・そうか、イカ焼き食べるだけの元気はあるんだね、凛ちゃんは。




出来上がったイカ焼きを持って、亮一くんのところへ戻る。と、まだ寝ていた。

よっぽど疲れているのだろうか、とても気持ちよさそうに熟睡している。

凛ちゃんが、そんな彼の目の前へ、イカ焼きを差し出す。

(・・・これは、匂いでつろうとしているの?)

でもそんなもので起きるんだろうか、凛ちゃんじゃあるまいし。

「う・・・ん・・。あ、あれ?」

イカ焼きの匂いに釣られるかのように亮一くんが目を覚ましてしまった・・・

(うそ!?何であれで目が覚めるの?)

そういえば前にあった時も変わった子だと思ったけれど、それは今でも同じみたい。

そして亮一くんは凛ちゃんからイカ焼きを受け取ると凄い勢いで食べ始めた。

・・・よっぽどお腹がすいていたのかな。

食べ終わって一息つくと、2人して簡単な自己紹介をした。

やっぱり彼は亮一くんであっていたようだ。あ、年上らしいから、クンじゃなくて、亮一さんかな?

それにしても、我ながら良く覚えていたものだ。子供の頃に、たった一度会っただけなのに。

それ程印象に残る出会いだった、て事なんだろうか。

そして凛ちゃんは、相変わらず「凛って呼んで下さい」って言っていた。

亮一さんはそれを聞いてちょっと戸惑っているみたいだけど、まぁ仕方ないよね。

それから2人は色んな話をしていた。

亮一さんが大学に通うために引っ越してきた事。―― 引越し先は櫻木荘らしい。

凛ちゃんがイカ焼きについて熱く語って亮一さんを驚かせたりもしていた。

・・・亮一さんと話している時の凛ちゃんはとても楽しそうだった。

時折見せる笑顔は、自然に出てきているように見える。

もしかしたら、この人なら・・・

その時、ふっ、と初夏の爽やかな風が吹き抜け、

私は、風の中に唄を聞いた。昔から聞きつづけていた、最近は気にも留めなくなっていた、懐かしい風の唄。

そして確信する。

『そうか、この人なら凛ちゃんを支えてくれる』

きっと、この人と一緒なら、凛ちゃんは前に進めるはず。

とても優しくて、強い人だから。あの時、私を助けてくれた人だから。

この人なら、大丈夫。

だから、少し寂しいけれど、もう私がいなくても、凛ちゃんは平気だよね。

私は、いつまでもここには居られないから。

・・・私はずっと、凛ちゃんには私が居ないとダメなんだ、って思っていた。

それは間違ってはいなかったけれど、それと同じくらい、私も凛ちゃんが居ないとダメだったんだ。

・・・私は、凛ちゃんの事が大好きだから。

再び吹いてきた風に乗せて、私は凛ちゃんに声を届ける。

『凛ちゃん、今までありがとう。私、一緒にいられて凄く嬉しかった、幸せだったよ。

 凛ちゃんはいつも私を思ってくれていたから。私はもう充分だから・・・

 だから、これからは自分の為に・・・幸せに』

「・・・結衣ちゃん?・・・」

この声が届いたかどうかは分からない。でも、凛ちゃんは、私の名前を呼んでくれた。

例え今は届かなくても、あの人と一緒ならいつか必ず伝わると思う。私の気持ちが。

その時はきっと、心から笑っていられるよね・・・

最後に、そっと、凛ちゃんの唇に、キスをした。

亮一さんには悪いけど、凛ちゃんのファーストキスは私のだよ。

・・・それくらいは、いいよね。

少しづつ二人の側から離れていく。これから私は一人きりになるのかも知れない。

・・・さよなら、凛ちゃん。でも、2人はずっと一緒だから、寂しくなんか、ないよね・・・

きっと、耳を澄ませば、風の中に、凛ちゃんを感じられるから・・・私も、そこにいるから・・・

だから、もう大丈夫だよね。私も、凛ちゃんも。

だけど、少し、涙が零れそうになって、私は空を見上げた。




その空はどこまでも青く、日差しが眩しい。初夏の風は、暖かく、爽やかだった。

・・・夏が、始まる。








TOP