野中友博の
『邪教の館』

《9》演劇とオカルト(1)



 洋の東西を問わず、神秘体験を求めて行う修行には、断食、不眠、他者との隔絶といった苦行的な要素が付き物だ。それはスキャンダルにまみれた現在のカルト教団も、聖人と呼ばれた過去の偉人達でも変わらない。山に籠もるか、菩提樹の下に坐るか、或いはサティアンの個室に隔離されるのかといった違い、唱える聖典や瞑想の内容に違いはあっても、孤独と空腹と睡魔という物理的条件は共通している。宗教書や神秘学の本によれば、こうした状況が霊的中枢を開くと書かれているが、言うまでもなく、これらの条件でランニング・ハイ等と同様に、ある種の脳内物質、脳内麻薬が分泌される為である。文字道理、自前のドラッグでトリップしているような物だ。理屈は兎も角、古今の宗教者や呪術者は、前述した物理的状況が幻覚体験を誘発する事を、経験的に知っていた訳だ。

 物書きなら必ず体験しているであろう缶詰状態での徹夜の執筆は、前記した状況に限りなく近い。後で冷静に振り返って見ると、かなりイッちゃった精神状態になっている事が多く、自動書記のように一夜で数十頁を書き飛ばすという事もあった。空腹や睡魔の苦痛がある限度を超えると、何やら霊感に酔っているような気分になってしまうのだ。執筆への集中は、延々と繰り返される瞑想や詠唱と同様自己催眠作用を伴う。宗派によって、苦行に先立って飲む秘薬は一種の補助的なドラッグであろうが、眠気覚ましにがぶ飲みするコーヒーは、それに代わる物だ。御承知の通り、カフェインは、科学的に言えば覚醒剤に属するアッパー系ドラッグである。

 超常現象の化けの皮を剥ぐという行為を、自分の日常にまで当てはめると、どうも危ない現実に気付くことが多い。そもそも演劇は、政祭一致だった古代社会の祝祭にその原型がある訳で、多分に呪術的な要素を内包している。巫女と審神者や神官の関係は、俳優と演出家の関係と、多くの点で一致する。演劇は魔術的な作業であり、我々はその事実と自覚的に付き合っていく他はない。

 間もなく終わろうとしている二十世紀という時代が、総じて近代化の時代であったという事は論を待たない。前世紀の終わりから始まった、スニスラフスキー・システムに代表される近代リアリズムの発展が、演劇の近代化の象徴であるとすれば、同時期に英国で結成された『黄金の夜明け』(以下GD)教団によるオカルティズムの近代化もほぼ同時期に始まっている。その一致は多くの示唆を含んでいる。

 GD教団の流れにある理論・実践両面での神秘学体系は、現在ではその殆どが一般公開されており、GD創立百年にあたった一九八八年以降、今日まで重要文献の多くが邦訳されている。その中で、魔術師……いわゆる魔法使いになる為の諸訓練の方法を見ると、呼吸法やリラックス法、イメージトレーニング等、多くの点が、ザ・メソッドに代表される俳優訓練と共通しているのである。その両者の目差す処は恐らく「意図的に自己暗示をかけ、尚かつそれを制御する方法」なのであろう。

 GD教団は、女性も参加できるフリーメーソン的な結社を作ろうという一種の遊び心から始まったようだ。その初期メンバーには、オスカー・ワイルド夫人とか、バーナード・ショーの愛人とかいった、演劇的才能を豊富に持った女性や、女優達が多数参加していて、彼女らが重要な役割を果たしたと伝えられている。文献で公開されている儀式の式次第を読むと、それが優雅な演劇的な遊びである事が分かる。現在も英国にある某GD系結社のロッジには、最新の劇場に匹敵する音響、照明設備が備えられ、CG映像も駆使された儀式が行われるそうだ。今は亡き創立者達が、現代の舞台芸術で使用される様々な機器を見たら、小躍りして喜んだであろう事は想像に難くない。魔術儀式とは、結局、その気になりきって楽しむ劇的な遊戯だからである。

 一般的な印象とは逆に、現代のオカルティストは、その現実に対して驚くほど自覚的であり、超常現象やカルトに対して、極めて醒めた目を持っている。例えば占星術研究者、鏡リュウジ氏は、例のノストラダムスの四行詩が、予言ではなく旅行記であったという事を、もう、何年も前に看破している。彼らは、いわゆる儀式とか瞑想によって得られる神秘体験が、暗示によって頭の中で起こっている事なのだと、分かっていながら楽しんでいるのだ。

 勿論、オカルトを趣味としていれば、現実と幻想の区別が付かなくなり、カルト教団の教祖様になってしまったり、信者になってしまう危険は常に付き纏う。だが、同様の危険は、役と自分の区別が付かなくなってしまうという演劇の現場でも同様だ。演出家と教祖のカリスマは、同質のものであり、優れた俳優は巫女的な才能の持ち主だからだ。演出という仕事の、或いは劇団主宰者という仕事の罪深さや、劇集団の危険性というものは、劇団ぐるみでマルチ商法にはまってしまうというような例も含め、そのあたりにあるのだと思う。

 例によって、以下次号……

2000.10.17(『テアトロ』2000年十二月号)