野中友博の
『邪教の館』

《5》癒しを疑う



 最近、NHK教育で放送されている『真剣十代・しゃべり場』という番組にはまっている。十数人のティーンエイジャー達が、その一人から問題提起されたテーマに添って自由な議論をする内容だ。別に、NHKの宣伝をしてやる義理など無いのだが、討論番組として、『朝まで生テレビ』を遥かに凌ぐ面白さなのだ。この場で本音をぶつけ合う少年少女達を見ていると、十代の犯罪や少年法について、訳知り顔に語るワイドショーのコメンテーター達が哀れになって来るほどだ。

 この番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマが取り上げられた。前々回から若年層の死生観の揺らぎに関する事を記しているが、若い世代が自らこの問題に挑む姿を見る事が出来た。だからという訳ではないが、こちらもこの話題をみたび続ける。

 彼らは個々に「自分は殺さない」という分別も理由も持っている。しかし、それが体験に基づく個人的な理由であったり、或いは実際に殺人に及んだ同世代に感覚的にシンクロしてしまう事などに苛立ち、普遍化と言ってしまっては大袈裟だが、殺さない事の動機付を共有しようとして言葉を尽くしていた。既に述べたように、殺人を初めとする道徳規範に関する議論を、純論理的に進めて行けば、根元的な部分で袋小路に達する可能性が極めて高い。にも関わらず、こうした危険な題材に真っ向勝負を挑む彼らの姿は感動的ですらあった。

 少年法に限らず、刑法には再検討が必要と思われる部分が多々あるし、過激な暴力表現や性表現が世の中に氾濫しているのも事実だが、諸外国の例を見るまでもなく、そうした規制や罰則強化が、犯罪抑止につながる事は期待できない。表現規制、重罰主義や、神の国発言に代表される宗教的な情操教育などよりも、むしろこうした、自律的な討論の方が遥かに有効であろう。それでも管理化を求める声が止まないのは、犯罪を抑止する事それ自体では無く、その為に「何かをする」或いは「するべきだ」という欲求を満足させる為なのだろう。

 そして、ヒステリックに「何とかしろ!」と喚き立てる事と表裏一体の関係にあるのが、癒しブームと脳天気な前向き志向であると私は考えている。

 例えば『モーニング娘』の一連のヒット曲の歌詞を見ると、日本の未来は明るかったり、父さん母さんに感謝したりと、至って肯定的かつ元気がいい。その脳天気さは失笑を漏らしかねない物で、私はモー娘を一種のコミック・ユニットとして認識していた。しかし、世のオジサン達は、真面目な応援歌としてモー娘を聴いているらしいのだ。

 今や医学的には中高年という年代に達した世代の多くが、青春期に夢中になったであろうディスコ・ソウル調のコーラス・アレンジと、理解不能のヤマンバ達と同世代の女の子が口にする優等生的な歌詞のミスマッチは、以外と確信犯的な戦略に基づいているようだ。つんくプロデューサー恐るべしである。

 こうした脳天気さは、Jポップの世界の専売特許ではない。むしろ、小劇場を中心とする演劇の世界では、ずっと早くから東京圏を中心にこの傾向が進行していた。九十年代は『静かな演劇』の時代だったと言われているが、同時に『優しい演劇』の時代でもあったのではないか。

 実際、私が九十年代に接した小劇場の多くは、一般にハートフル・コメディーと呼ばれる『優しい演劇』を指向していた。概ね客席は満席状態で、一種独特の共感意識に満ちていた。バラエティー番組その物のようなお笑いネタが多用され、イジメや差別のような題材を扱っても、「みんな良い奴なんだ」的な安易な解決が導かれる。多くの場合、私は自己啓発セミナーに来ているような居心地の悪さを感じた物だが、殆どの観客が、それを肯定的に受け入れていたようだ。

 最近、評論家の方々と話す機会があると、この『優しい演劇』のムーブメントについて訊ねるようにしている。演っている人間も、観ている人間もかなりの数の筈だが、真面目に論じられた事が無いような気がするからだ。「語るに値しない」という反応が大半だが、今日の社会状況の躁病的側面として顧みる必要が有るのでは無かろうかと思う。

 最後に、再び『しゃべり場』についてだが、管理化にも、優しさへの逃避も選択せず、根元的な議論に活路を見出そうとする彼らの姿を見ていると、今の若者達も棄てたモンじゃないという希望を持つことが出来る。そして、すっかり忘れていたのだが、私は二十年ほど前に、某民放局で放送されていた似たような番組のレギュラーをしていた。あの番組で一緒に語り合った連中も、もう三十代後半の筈だが、未だに突っ張った生き方をしているのだろうか? それとも物わかりの良い大人になって、モー娘を口ずさんだりしているのだろうか? 今となっては、消し去りたい過去でしか無かったのだが、『しゃべり場』を見るようになってから、妙に懐かしく想い出すのである。

2000.6.15(『テアトロ』2000年八月号)