野中友博の
『邪教の館』

《35》演劇と社会と戦争と……




『邪教の館』へようこそ。

つい先日、『イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会』という物の反対集会をやった。このコラムを読んでいる人なら先刻御承知であるはずだが、私も呼びかけ人に加わっていた。当日の会場で署名した演劇関係者もかなりな数に上る筈であるから、最終的には300人以上になったであろうと思われるが、まだその呼びかけ人が十数人であったかなり初期の時点で私は賛同者に加わった。事務局からメールを貰い、その直後、丸尾さん直々に携帯に電話がかかってきて「どうだ?」と云うので、僕は殆ど即決で「乗った!」と答えた。まあ、それには色々と理由もある。

僕が「これから一生演劇をやって生きて行きたい」と考え始めたのは、17歳か18歳ぐらいの高校生の時だったが、その頃、演劇の次に好きだった事は、社会について考える事だったと思う。ロックを聴いて、歌ったり演奏したりする事、写真を撮って現像したり写真展を開いたりする事、ミニコミを編集して印刷し、全校にばらまいたりする事と、実に多趣味で勉強そっちのけの生活をしていたが、社会科系の点数にだけは執着していた。僕の通っていた高校は、二年生の時は全授業の半分近くが、三年生になると三分の二以上が選択制のゼミになるという大学のような事をやっている妙な学校だった。三年の時、僕は四時間分の演劇の科目以外は、全て社会科系……それも日本史やら世界史の科目を選択した。その殆どが、近代の戦争の問題を扱っていた。

その授業のうちの一つ、「日本史研究」という講座は、要するに「15年戦争史研究」という事で、日中戦争から太平洋戦争に至る、日本と第二次世界大戦の関わりについてシンポジウム形式で進められて行く授業だった。夏休み前に出された宿題が、「実際にどのような反戦運動が行われたかを調べ、そのうちのどれかを選んでレポートし、みんなに報告する事」というような内容だった。僕は、演劇人の反戦運動を調べようと決めて、その資料を探す事にした。僕が当時見ていた演劇の多くが、過去、日本の戦争への関わり方に対して、批判的な描き方をしていたからだ。演劇というのは、社会に対してかなりダイレクトにアクセス出来る表現ジャンルなんだという幻想も持っていた。

その結果は、僕に酷い失望と情けなさを味わわせた。

戦争の前とその最中、演劇人達は、反戦運動として何ら有効なアクションを起こせなかったのだ。むしろ、当時隆盛だったプロレタリア演劇という一つの運動は、左翼の立場から戦争反対の姿勢を打ち出すのが当然だから、徹底的に弾圧の対象となった。権力者から強制的に解散を命じられた劇団も幾つかあった。それはそれで仕方がないかも知れない。だが、僕をとてつもなく失望させ、打ちのめしたのは「移動演劇隊」という存在だった。要するに、前戦の兵士等の慰問活動をしていた大日本帝国政府御用達の一座である。一つや二つでは無かったろうし、どういう人達が関わっていたのかも、ある程度は知る事が出来たが……

前回の公演『女郎花』で僕はこんな台詞を書いた。

紫陽花  それでも日の本は神の国。
芍薬   世界で一つ神の国。
紫陽花・芍薬  負ける訳など御座いません。
芍薬   「撃ちてし止まむ」!
紫陽花  「撃ちてし止まむ」!
芍薬・紫陽花  「進め一億、火の玉だ」> ……これもまた……ありがたいお題目で御座います。

当然、これは皮肉な訳だが、そんな事を大真面目でやらされていたのが政府御用達慰問劇団のお仕事である。女優も含めて、軍服か国民服みたいな制服を着用して、「オイッチニ」と隊列を組んで行進し、教育勅語だか戦陣訓だかのようなお題目を毎朝唱えてから、まるで現在の北朝鮮の俳優が、
「偉大なる将軍様の愛が私を支える……!」
とか云いながら涙を流すという芝居をするように、
「天皇陛下万歳!」
という台詞を吐いていたんだろう。

あまりに悲惨で考えたくも無い光景ではある訳だが、私の最初に読んだ文献には「演劇人はここまでやって演劇を続けた」というように、ある種、誇らしげな云いようで書いてあった事にもう憤りを通り越して情けなさで胸がいっぱいになった。戦争協力をしていた事、侵略戦争に荷担したのだという事に対する反省がまるで無い。どの時代にだってバカは……特に演劇馬鹿は居る訳だが、ここまで来ると泣きたくなってくる。

実際、当時の事業に関わっていた人達の大部分は、それを汚点だと考えていて、殆ど何も語らないままお墓の中に入ってしまった。本当の事は解らない。これを初めて知った二十二年ほど前はかなり凹んだが、よくよく考えてみれば、そういう戦争協力を拒めば投獄される以外に道はなかっただろうと思われる。その事は冷静に考えれば解る。
「私は御免被ります」と云い、
「そうですか。だったら此処に入っていなさい」
と、牢屋の中に入っていた故・千田是也先生のような態度が唯一出来る抵抗であったのかも知れない。

私の卒業した桐朋学園の演劇科は、その千田先生が安部公房さんや田中千禾夫先生と作った学校だった。千禾夫先生は移動演劇隊の隊長として海外を回っていた事もある。牢屋に入っていた千田先生と御用達一座の隊長だった千禾夫先生が、戦後一緒に劇団俳優座を始めた事は、何かがあったのだろうが、もうその事を聞く事は出来ない。安部公房さんも、千田先生も千禾夫先生も、みんなもうこの世の人では無くなってしまった。何も聞く事はできない。

兎も角、過去の歴史……演劇の歴史を振り返ると、単純な事実が解る。

『演劇には、戦争協力は出来るが、戦争を止める事は出来ない』

何とも悲しい話しだが、それは事実だ。

僕は、作中でかなり反戦的な台詞を書くし、「殺し合いが如何に悲惨であるか、戦争という状況が、人間の情緒や感情を如何に無慈悲に踏み潰していくか」という方向に、観客の印象を誘導しようとしたりする。紅王国の旗揚げ以降の作品は、劇団の内外を問わず、『水神抄』を除いて書き下ろしも含め、全て戦争、戦という要素を含んでいる。シアトリカル・ベース・ワンスモアに書き下ろした『倭王伝』と『八岐大蛇』の二本は、その舞台が古代日本であるというだけで、戦をする事その物と対峙しようとした。でも、それは反戦運動その物ではない。ただ、僕の作り上げた作品がそういう要素を含んで成立しているという事に過ぎない。観客個人個人の心の中に何かを残す事は出来るのかも知れない。が、その事が戦争を止めるという実際の力として機能したりはしない。出来る訳がない。

もう何度も書いてきた事だが、演劇という行為、その作品その物に、社会を変革したり戦争を止めるという力なんか無い。「戦争反対」と思っている演劇人であればあるほど、その事を嫌という程に自覚しているはずだ。
「戦が起こったらこんな旨いモン食えないだろ」
そう思いながら焼く一枚のステーキ……多分、そんな事と同じだ。ステーキ食って反戦が遂げられるなら、反戦に一番有効な手段として、世界の雲行きが怪しくなったら、ステーキを焼きまくれば良いのだと云う話になってしまう。

上手に焼いたステーキは一種の芸術だ。ステーキを焼いてくれるシェフが「戦争中にはこんなモン食えないよ」と思いながら肉を焼いてくれたって、食う僕たちの思いは「旨い」というそれだけだ。演劇も同じだ。ほんの少し、言葉を含めて直截なメッセージはあるかも知れないが、「旨かった」と「面白かった」の間の距離は、そんなに遠くはない。プラカードを持って反戦デモに参加する事と、反戦的な要素を含んだ演劇に関わる事の距離は、面白い芝居と旨いステーキの距離よりも遙かに遠い。デモへの参加と、反戦を唱えての政界出馬は遙かに近い。その事を自覚出来るかどうかだ。そして、旨いステーキ(お好み焼きでもキムチでもお茶漬けでも何でも良いが)を食って、「戦になったらこんなモンは食えないんだから、戦にはならないようにしよう」という想像力を働かせられるかどうかだ。そして、「戦になんない為にはどうしたら良いんかな?」という前進的な思考を持てるかどうかだ。

だが、想像力だけでは戦争は止まらない。戦争は国家という機構が起こす物で、その過程には想像を絶するシステムと組織と法体系、つまりは政治の力がある。それを動かすには、市民(シチズン)が市民としての発言をすることからしかはじまらない。

二十二年前、今の官房長官の父親が首相だった頃、やっぱり有事立法という話があって、日本に徴兵制が復活するのではないか……という危機感があった。高校時代、文学(僕は戯曲という劇文学だったが)をやる事で競っていた友人が僕にこう訊いた。
「もし、徴兵制がひかれるという事が現実的になったら、野中はどうする?」
「俺は地下に潜って、反戦劇をゲリラ的に仕掛けようかな……」
そう答えた僕に、その友人は目の色を変えて迫った。
「お前、そんな事で世の中が変わるとでも思っているのか!」
僕は何も言い返す事が出来なかった。

十三年前、湾岸戦争を引きずって、時の海部首相が、中東に自衛隊を派遣したいというような発言をした頃、僕は最後のバブル・マネーの恩恵とも云うべき、美味しいパフォーマンスの台本と演出の仕事をしていた。一緒にやっている連中に僕は云った。
「こんな事やってる場合じゃない。国会の前へ行ってバカヤローと一言云おう!」
みんなの反応は覚めていた。
「そんな事やったって何も変わらないよ。俺達が表現をすることの方がよっぽど有効じゃないか」
そんな中で、今では二十年来の相棒である作曲家の寺田はこう云った。
「俺もそんな行動をしたって何も変わらないと思う。でも、野中がそれが必要だと信じているなら国会の前でも何処でも行くべきだ」
……結局、僕はその時、直接行動にうったえる事はしなかった。

「文学は飢えた子供達に何が出来るか?」

先人達はずっとそんな事を問い続けてきた。演劇も同じだ。そして答は決まっている。

「何も出来ない」

それは事実だ。でも出来ないから、何もやらなくて良いのか?

「演劇に戦争を止める事は出来ない」その事を目もくらむほど自覚している演劇人達によって、「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」は実現されたのだと思う。
「結局、やった事はパフォーマンスとしての見せ物じゃないか」とか、
「何で演劇人に限定するんだよ」とか、
「つまんなかった」とか、
「所詮は一発の打ち上げ花火に終わるんじゃないの……?」とか……
そりゃあ、色々となんだかんだ云われるだろう。そりゃあ「仰るとおりで御座います」としか云えないかも知れない。
でも、考えてみて欲しい。

前の戦争にこの国が突入する時、演劇人は一発花火すら打ち上げられず、結果として牢屋にはいるか、沈黙するか、「忠君愛国一億玉砕!」なんて台詞を吐き続けるしか無かったのだ。そんな事になるのは、真っ平御免の介だし、その為には、直接的に「戦争反対」と言葉にする方が有効だ。そして、演劇人としてではなく、歴史を勉強した一人の人間として、戦争の動きに沈黙する事は、結局は戦争に荷担している事と同じ事になる……その事を僕は知っているのだ。そんな後悔を味わうのだけは嫌だ。

色々云われたって構わないが、このイベントに携わった事で恥じたり後悔する事は何もない。後ろ指を指されたり非難される憶えもない。とんでもない失望もいっぱい味わったが、それも甘受しよう。僕は、自分の決断を生涯誇りにして生きていけると思う。

そして、演劇を愛する演劇人として、演劇を続けていくと思う。

そんな演劇すら出来なくなってしまう、「戦争」という事態が、誰に対してでも起こる事に、演劇人以前の人として、「否」と言い続けたいと思う。

もう一度、この会に、僕の寄せたコメントを書いて、このサイト上に残しておく。

「戦争はイヤです」
ただその言葉を百万回でも繰り返します。
「戦争はイヤです」
「戦争はイヤです」
「戦争はイヤです」
「戦争はヤメテクダサイ」
2003/3/3

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