野中友博の
『邪教の館』

《3》コロサナイ



 今年の本誌新人戯曲賞受賞者、久米一晃氏の「受賞のことば」に「小学生の首を切ってはいけない絶対的理由はない」云々という一節があり「自分達には理解不能の世代が現れた」という類の感想を幾つか耳にした。私は、酒鬼薔薇事件の直後、某ニュース番組の特集に出演した高校生の、「殺人がいけない理由が解らない。自分は死刑になりたくないから殺さないだけ」という主旨の発言を思いだした。

 殺す、盗む、偽る、といった行為は、神様や仏様、更には世間様といった古今東西の神学的な権威が禁じているが、共同体や社会が形成されていく過程で、経験的に獲得して行った認識であろうと思われる。人は人を殺さないという信頼関係のもとに、生を営んでいる。人類の発生初期に、この文化を獲得できなかった群は、共同体や社会を形成し得ず、大部分は淘汰され、絶滅したであろう。

 しかし、現代においては、社会のシステムは巨大になりすぎ、メディアや貨幣といった情報のみで、社会とアクセス出来る状況になった。氾濫する情報の中では、自明の規律への実感は薄い。従って、自明の規律が破壊されれば、共同体や社会が崩壊するという実感も無い。

 更に言えば、社会や文化といった概念もまた、共同幻想に過ぎない事に、彼らは漠然と気付いているのだ。従って、他者の死どころか、自分の生、更には人類という種が存続を続けなければならないという理由すら、根元的には無いと直感している。

 若い世代が、こうした発想を持ち、実際に口に出したり、文章化する事は、今では殊更に珍しい事では無い。そして大概の場合、大人社会はその根元的な問いに、明確な回答や反論が出来ない。狼狽えて言葉を濁し、絶句し、せいぜい「いけない事はいけないんだ」と言い張るしかない。そして、昨今の刑法や少年法に関する議論に見られるように、制裁や罰則を強化する事によって、犯罪やモラルの低下を抑止せよと主張し、更には国旗や国歌の強制によって、愛国心を育めなどという、見当違いの方向へエスカレートして行く。今後、この傾向は、ますます顕著になって行くだろう。

 罰則によって何かを禁じようとする発想は、何かを根本的に解決する事にはならない。死刑という罰則のみが、ある人物の殺人を抑止しているのだとすれば、その人物は、例えば量的な人殺しが賞賛される戦争のような環境にあっては、最も積極的な殺人者になりうる。殺す事も、殺さない事も、その人物にとっては等価である。だとすれば、殺す、或いは殺さないという選択は、利害と言うよりはむしろ、洗脳→調教→信仰という過程の結果でしか無くなってしまう。

 実を言えば、前々回に書いた演劇の世界に創られた権力構造は、洗脳から信仰へという過程を経て作られている。その構造に無自覚であるが故に、前回書いたセクハラのような現象も起こるのだ。劇団の新人を奴隷同然にこき使う理由を「俺達もそうやってきた」という言葉で一括りにする先輩俳優は、「悪い物は悪い」という言い様しか知らない評論家と差異は無く、根元的疑問に対する説得力を持たない。

 演劇を個人単独で成立させる事は不可能だ。大道でする独り芝居にしろ、観客との関係性が存在し、そこには「人は人を殺さない」という信頼関係が前提とされている。更には相手役との関係性、俳優と多くの裏方との関係性が存在し、様々な秩序や規律が必要とされる。だから、演劇を遂行するための『座』には、縦社会の権力構造が、経験的に形成されて来た。

 権力構造は必然的に軍隊の様相を呈して行くが、疑義を差し挟む事を許さない軍隊的秩序は、自明の秩序に根元的な疑問を懐く世代の出現によって、その在り方が問い直されている。徹底的な洗脳と調教によって権力基盤を強化するか、或いは、全く別の関係性を模索するかだが、前者の方法は、表現としての演劇が、「人殺しの何がいけない?」という事を問い始めた感性に立ち向かう事を絶望的にしてしまうだろう。

 結局、「殺人を禁ずる根元的な理由は無い」事を前提としながらも、では、私やあなたという個人が、何故行為としての殺人を選択しないのかという事を、再確認し続けるという関係を作って行く事が、社会にも演劇集団にも必要なのだと思われる。

 しかし、その道はかなり嶮しい物だろう。何しろ、若い俳優に対して「自分の頭で考えて、真摯に他者と対峙しろ」と言うよりも、「黙って先輩のパンツを洗え」と言う方が、言う側も言われる側も楽なのだという事を、実は誰もが知っているのだ。

 それでも、「もっと自律的になりなさい」と言い続けるしか、今はあるまいと思っている。関係性は個人の外にあり、洗脳や調教が施された個の作る関係は、根元的な問題に対峙出来ない。

 その関係で得られた「コロサナイ」という合意も、また幻想や信仰に過ぎないと言うなら、それも仕方がない。だから私は開き直って『邪教の館』を構えているのだ。

2000.4.13(『テアトロ』2000年六月号)