野中友博の
『邪教の館』

《29》昭和の残像



 『邪教の館』へようこそ。

今回、面と向かって昭和という時代を扱おうとして、改めて気付いたのだが、昭和という時代は、何やら大昔になってしまった。これはショック……というよりも、愕然という言葉が相応しいような気がする。

忘れもしない、昭和六十四年一月七日……昭和天皇崩御のニュース速報が流れた時、これで昭和という時代は済し崩しに終わってしまうのだと私は思った。それは早すぎる年の瀬だった。

当時、私はとても鬱屈した想いで、『繭物語』という戯曲の改訂を進めていた。上演の為ではなく、文化庁か何かの懸賞戯曲に応募する為の物だった。今現在、『女郎花』に苦戦しているのと同様に、筆は遅々として進まなかった。

昭和天皇は、崩御の二年程前から体調を崩し、当時は皇太子だった今上天皇が国事行為の代行を行っていた。コクジコウイというのが『国事行為』なのか『国璽行為』なのかは、正直云って自信がないが、要するに、ハンコを捺す仕事とか、国会の開会宣言とか、そういった事を遂行できなくなっていた。最初に問題になったのは、天皇に対して手術をしても良いのか否か、という、今ではまるでナンセンスに聞こえるような議論から始まっている。「玉体に刃物を入れる」というタブーが問題になったのは、昭和天皇が「神聖不可侵の現人神」であった時代を経由しているからだろう。

昭和天皇の病状が悪化するにつれて、流行語のようになってしまった事が二つある。一つは『記帳』であり、今一つは『自粛』だ。昭和六十三年末には銀座のネオンすら消えていたという。何となく、日本全国をタブーのタブーの霧が包んでいたように思う。私のホンは、当時から戦前から戦後にまたがる昭和史を背景としていたから、どんな物もある程度天皇制や昭和天皇の存在が影を落としている。自粛ムードの中で『繭物語』を、文化庁という政府の組織に向けて書く事は、とてつもない憂鬱の種になっていたのだ。

一方で、テレビ朝日の『朝まで生テレビ』などは、数度に渡って天皇制に関する是非論や昭和天皇の戦争責任を扱う等、何やらタブーに反発するような番組をムキになって作っているように見えた。これは、マスコミの報道タブーへの反発、というよりは、私と同様に、「今、語らなければ、今後近代天皇制を総括する機会はもう無い」というある種の本能的な危機感に根ざしていたような気がする。

今上天皇は、はじめから人として存在し、戦後民史主義の中で人間天皇として即位した最初の天皇である。元は神であった昭和天皇とは、明らかに一線を画す存在なのだ。

天皇に関するタブーは、どう考えても呪術的なタブーだ。それは今日唯今に至っても変わりはないが、名目的には人間として即位した今上天皇以降、呪術的なタブーを語りにくくしてしまう事は、その当時から見えていたのだ。

つまり、昭和天皇という存在に対しては、その呪術的な、宗教的な禁忌という暗黒面を、正面切って問題にする事が、逆に許されていたのだとも言える。何しろ、自分が神であるとか無いとか、人間であるとか無いとかいう事を、自ら口にしたのも昭和天皇で終わりだ。今上天皇や現皇太子が、何をどう思っているかという事とは別に、それが公式なコメントとして我々に伝わって来る事は無い。

実は、『陛下の御不例中』と云う自粛ムード蔓延の時期は、その『自粛』という現象に対しても賛否両論があり、「自粛の自粛」等という訳の解らない言葉が囁かれたり、先の『朝まで生テレビ』に見られるような、天皇制そのものに対する、かなり突っ込んだ議論があった。問題は、テレビの画面に昭和天皇崩御の速報が流れ、テレビ番組が一斉に(用意されていた)特別番組に切り替わった二日間を境に、昭和と昭和天皇の負の側面について語る事が、更なるタブーに包まれてしまったように思われる事にある。

『朝生』がムキになったように天皇論議を続けて来た理由も、恐らくは「昭和天皇の喪に服する」というイベントを機に、昭和天皇を断罪するという可能性を含んだ議論は出来なくなるであろうという事を予見していたからであろう。二日間の特別番組は、昭和史の貴重な映像が蔵出しれたという収穫はあったが、全体としては雑誌の皇室アルバムの拡大版という様相を呈していた。「これは昭和という時代そのものに対する禊ぎだ」と、私は思った。

私は、天皇崩御の速報を見たのを境に、『繭物語』の改訂作業を放棄し、上演の為の『蛹化記』の改訂に取りかかった。それは、年内……一般の感覚で昭和天皇の喪が明ける以前に、何が何でも昭和の終わりをラストシーンとした『蛹化記』を上演しなければならない……という、一種の妄執に取り憑かれていたのだが、それも「昭和という時代」が風化していくであろう事の予兆に基づいていた。

昭和の終焉と相前後して、東西対立という概念は崩壊した。やがてバブルは弾け、日本経済に於ける土地神話も崩壊した。いつの間にか世紀は変わり、世紀末という時代の雰囲気すら終わってしまった。新世紀を迎えても、我が国では明るい未来を予感させる出来事は少ない。前の宰相が「日本の国、正に天皇を中心とした神の国であるぞ、と……」等と発言した時や、皇太子に内親王が誕生した時、僅かに天皇制が議論されたが、昭和の晩年に見られた程の突っ込んだ議論はされず、『朝まで生テレビ』も天皇を論じなくなって久しい。

そう遠くない未来、平成の終わりがやってくる日、立太子の礼が行われる時、皇室典範の見直しだの、天皇制のあり方だのが、嫌でも議論される日が来るだろうが、それは明治から昭和前期に及ぶ近代天皇制と大日本帝國の再評価とは無縁のところで進むだろう。この国が、昭和を曖昧に大赦してしまった事による、全ての無責任さは、ひょっとすると、もう永遠に顧みられる事は無いのかも知れない。今一度、昭和という時代と向き合おうとすると、その後悔と諦観のあまりの重さに、頭がクラクラして来る。ただ前だけを見て進もう、と云うには、あまりにも大きな宿題をやり残してしまったのだ。

おそらく、時代は精算などされてはいない。ただ忘れているだけだ。我々が忘れていても、交戦国だったアジア諸国、またアメリカですら、きっと近代天皇制に呪縛された日本を忘れてはいない。忘れてしまった事と、無かった事がイコールではないと気付く事、また想い出す為のカンフル剤が必要なのだろうが、それはまだ今のところ見えていない。惚けていた時間が長ければ長い程、払わねばならない利息は高くなって行く。

「今現在が問題だ。昭和の事なんか歴史家に任せておけ」

この国は、多分、似たような事を言い続けて今までやってきた。明治維新の頃、「今までの日本には歴史がなかった。日本の歴史はこれから始まる」と云った学生が居たらしい。実は、明治政府だって、薩長閥の内紛やら何やらを引きずったまま近代化政策を進めて、実はそんな事が後々の歪みに大きな影響を残したのだ。同じ間違いは、またまた繰り返されつつある。

今まで、私は男性的な視点に対する絶望を長々と書いてきたりした。しかし、女性的な視点も手放しでOKなのではない。女の視点は歴史的に物を見ない。歴史の過ちに学ぶという視点はない。『女』の感性はもっと直感的だ。歴史を顧みようとする事を、ただの懐古趣味だと誤解したりする。

森喜朗や麻生太郎に限らず、閣僚や議員の舌禍事件のような事は、殆どが済し崩しに総括を放り出した昭和の亡霊がもたげる鎌首である。土竜叩きのような事は、いつまでやっていたってラチは開かない。気付くのは遅かったかも知れないし、機会として適当とも思えないが、気付いてしまった以上は、無視しておく訳にも行かない。昭和の残像と対峙するというのは、そういう事かも知れない。

2002.7.21