野中友博の
『邪教の館』

《15》劇場と劇団とお客さんの三つ巴



 『邪教の館』へようこそ。

 元々、この『邪教の館』を連載していた総合演劇誌『テアトロ』5月号で、二つの特集があった。その内の一つ【春の劇界珍事に物申す】で、評論家、浦崎浩實氏が、興味深い事を書いていた。『芝居に“水をさす”もの、二つ三つ』と題されたショートエッセイの中で、浦崎氏は「たかだか二時間ほどの長さの芝居」に入る休憩の興ざめ、劇場の入っている建物のエレベーターがなかなか来ない為、劇場にたどり着けない事の苛立ちと共に、芝居が始まった後に途中入場してくるお客さんと、それに対する劇場の対応のまずさを上げておられる。

 作品以外の部分で、観客と表現者の関係性が論じられる事は滅多に無いが、実際に興業としての演劇活動を継続させるにあたって、最も神経を使い、劇団や製作体を疲弊させてしまうのは、実は、こうした『お客さん』=『お金を払ってくれる人』との関わり方である。演劇を創る人と鑑賞する人、即ち表現者と観客の関係は一種の芸術論だが、『お客さん』或いは『お客様』と言った場合、それは購買者と購入者の関係となり、経済論や商売の仕方という話になる。以前、「演劇を遂行する為の権力構造と、劇団などの集団を維持する為の権力構造は、そのベクトルも本質も異なる」と書いたが、それと同様に、混同しがちな表現者と観客の関係、購買者と購入者の関係に関して、我々のような小劇団の抱える問題を中心に考えたい。

 浦崎浩實氏のあげた事例は、『世田谷パブリックシアター(以下、習慣的に呼ばれている略称に従って『パブリク』と記す)』での事。何処の劇団(製作体)による何という芝居かまでは記されていないが、開演から終演近くまで、途中入場する観客が後を絶たず、そんな遅刻客の一人が終演5分ほど前に、何と隣の席に案内されて来るに及んで、浦崎氏の忍耐は限界を超え、隣席の客を「バカ!」と一喝し、終演後に案内嬢に、何故、補助席では無く芝居を遮る形で遅刻者を誘導するのかと訊ねたところ、「お客様にちゃんとした席でご覧頂く劇場方針ですので!」という回答を得たとの事である。

 『パブリク』の板張りの床は、途中入場者、及び案内嬢の履く底の堅い靴が触れる度に、甲高い音を発て、芝居への集注を殺ぐらしい。この事は以前、やはり『テアトロ』の連載の中で、マキノノゾミ氏が指摘している。同時期に連載を持っていた、同劇場のディレクター、佐藤信氏の文章によれば、台詞などの音が観客を包み込むように響く事を狙って、この板張りの床が採用されたらしい。台詞が観客を包み込むなら、当然、靴音も観客を包み込むだろう。私は、自宅の最も近くにある劇場であるにも関わらず、ほんの数える程しか『パブリク』には足を運んでいない。超満員の興業ばかりだった為か、幸いな事に、途中入場者と案内嬢の靴音に悩まされた経験は無い。しかし、一観客としてそういう場面に遭遇したら、当然、激怒したであろう。浦崎氏の怒りは、「顔出ししたアリバイ作りの義務客」である可能性のある遅刻者と、『誘導灯』と『靴音』という作品に対する異物を持ち込みながら、律儀に遅刻者を案内する劇場関係者の双方に向けられているようだ。

 国立の劇場は勿論、この『世田谷パブリックシアター』や『青山劇場』等の公共施設、また商業劇場の大規模な物では、受付や場内誘導といった業務を、劇場側が取り仕切る事が多い。我々、紅王国ぐらいの規模の小劇団が手を出せるのは、せいぜい『青山円形劇場』とか『シアタートラム』といった規模の劇場という事になるが、この両者ともに、いわゆる『表方』と呼ばれる接客スタッフは、劇場側が用意する。日常的に、それを生業とし、尚かつ訓練も受けている訳だから、接客や誘導の専門家であるという事になり、小劇場がにわか仕込みで友人知人からかき集める受付スタッフと異なり、信頼度は高い(筈である)。しかし、それらの人材の人件費は、全てではないかも知れないが、劇団側の負担となる。我らのような貧乏劇団には、バカにならない金額なので、好条件で使用のお誘いを受けても、ついつい二の足を踏んでしまう。そして、どういうスタンスで、或いはどういうコンセプトで観客を客席に導くかという問題に制約がかかったり、方針が一致しないという問題が生ずる可能性は高い。遅れてきたお客さんをどう扱うか、という問題も、顕著に現れる例の一つという事になるだろう。

 浦崎氏の問題にした舞台は、自由席だったという事だ。自由席というのは、基本的に良い席は早い者勝ちというルールなので、氏の怒りももっともな話であるという気がする。難しいのは、指定席を購入済みの『お客様』の扱い。例えば、『A−12』というように「指定された席に坐る権利」そのものが売買された『商品』という考え方が出来るからだ。売った側としては、購入者にA−12を確保しておく義務が発生するという理屈が成り立つ。ただし、私(或いは貴方)が、そのすぐ後ろの席である『B−12』という指定席を購入し、時間厳守でその芝居を楽しんでいたとする。そこで、クライマックスというか美味しい場面、御贔屓の俳優のモノローグや見せ場でも構わないが、そういうタイミングで前列に遅刻したお客さんが誘導灯付きで案内されて来たらどうだろう? 集注力は途切れるし、席に着く前の人の陰になって、肝心なシーンを見逃す可能性は高い。そんな状況は誰だって不愉快だ。

 ここで、『B−12』という指定席を購入した貴方や私は、数千円(場合によっては数万円)の金額を払って、何を購入したと考えるのかが問題になる。単に、「○月×日△時開演の○○劇場のB−12という席の空間の占有」という事のみが商品であるなら、何の問題もないが、そのステージの「上演作品を快適に見る状況」という事が商品の内容に含まれるとすれば、「金返せ、バカヤロー!」という権利が、私や貴方には発生する筈である。ここで責められなければならないのは誰か、という事が問題になる。遅刻してきた前列の客が問題なのか、それを誘導するという方針をとった劇団、または劇場が問題なのか……普通、演出家も俳優も、「料金分の芝居はする」と口にしても、考えているのは舞台の上の作品の出来不出来だけである。だが、入場券、指定席券の金額に含まれる物は何なのか、製作体はあらかじめ想定しておく必要がある。それは、観劇のマナーやルールをどう設定するかという事を含むであろう。上記の例を持ち出すまでもなく、A−12のお客さんと、B−12のお客さん、双方の要求を完璧に満たす事は不可能だから。そして、我々のような小劇場を活動の場とする劇集団にも、また別の形での苦労や問題がある。

 総動員が千人以下の弱小劇団の興業では、概ね客席は自由席である。劇場の規模や構造によっては、全席がベンチや桟敷席という場合が多々あり、そうした場合は指定席を作る事は実質的に不可能だ。満員になれば、「あと10センチずつお詰め下さい!」とか、「せーのォ……ヨイショッ!」と声を掛けて桟敷席にギュウギュウ詰めになる、いわゆる『ドッコイショ』と呼ばれる光景が展開される。平日の入場者数が常に客席の八割を超え、週末や休日、千秋楽の動員が、劇場の収容限界を越える事がしばしばという事になると、整理券制を導入する事になる。混雑を事前に予測し、好みの席を確保する為に受付を待つ観客が、劇場前に列を作って並ぶようになり、その列の出来る時間が、指数関数的に早く、かつ長くなるからだ。整理券の発行時間は、短い物で開演の一時間前。人気の劇団になればなる程、整理券の発行時間は早くなる傾向にある。

 私のような、70年代後半に小劇場演劇、当時はアングラ演劇と呼ばれていたジャンルの観劇を始めた人種にとって、『整理券制自由席』という入場システムは、極々当然の物だ。当時、『ぴあテン・モアテン』のトップを争っていたのは、故・寺山修司氏率いる『天井桟敷』と、唐十郎氏の『状況劇場』で、1ステージに千人前後の観客を集めながら、指定席ではなく整理券制であった。午後7時開演の舞台の整理券が、3時とか1時、つまり4時間から6時間前に発行されていた訳であるが、「整理券@番を獲得する=最前列の中央に坐る」という執念を持った観客達が、更にその2時間ほど前から列を作っていたものである。当然と言うか、私もそんな列の常連だった。晴海の見本市会場や花園神社の紅テントといった一般の劇場とは異なる空間を上演劇場として選択していたという要素もあるだろうが、前衛劇のファンにとって、早い整理番号をとる為に受付に並ぶ事は、ある種当然であったし、それ自体が、既に非日常的世界に浸る為の導入部であったのだ。60年代に活動を開始したアングラ第一世代の劇団、或いは劇的な指導者達は、そうした「非日常への導入」としての入場システムに、かなり意識的だったのではないかと思われる。特に印象的だったのは前述の『天井桟敷』と、富山県利賀村に本拠を構えた『早稲田小劇場(現・SCOT)』であった。

 『天井桟敷』の寺山作品は、概ね『開場同時開演』というシステムをとっていた。整理券をとり、開場前の長い列を作って劇場に入場すると、既にパフォーマンスが始まっている。J・A・シーザーのミニマル・ミュージックに合わせたハイパー・スローモーションが、数百人の観客を誘導する為に、ほぼ30分程続き、全観客が入場後、暫くの間をおいて音楽が急速に転調、スローだったパフォーマンスは速さと激しさを伴うものに変わり、一筋の光もない完全暗転を経て芝居の本編が始まる……だいたい、これが通常のパターンだ。開演の30分前に開場し、おまけのパフォーマンスがあるというのとは、微妙に、というか明らかに異なる。ミニマル&スローのパフォーマンスは、一種の催眠効果をもたらし、急激な転調は、有無を言わさず観客を寺山ワールドに放り込む暗示の役割を果たしていた。徹底的に楽しむためには、なるべく若い整理番号をとり、積極的に自己暗示を受け入れる方が得なのだ。そして、「観客を無理矢理、劇に参加させる」といった類の寺山演劇論は、『天井桟敷』の観客となる事への些かの恐怖を伴った期待感を育む。寺山修司にとって、多少の虚偽を含んだ演劇論が、既に寺山ワールドへの導入部だったのだ。そういう意味では、寺山修司の演劇論は理論書ではなく、一種の文学であり、寺山演劇の一部であると私は考えている。寺山さんの事は、いずれ『邪教の館』か、別の機会で、とことん語る事になるだろう。やりようは違うが、寺山修司は、私の永遠の目標である。演劇実験室という枕詞を紅王国に付けている事は、劇評家・七字英輔氏の指摘する通り、寺山修司と天井桟敷に対する私の敬意と憧れの現れである。そして、寺山作品に手を出さない事が、私の寺山演劇論に対する最大の筋である。この話は、またいずれ……

 一方、鈴木忠志氏の『早稲田小劇場』を富山県の利賀村まで見に行くという行為は、既に非日常的なハレの時間を生きる事だった。今でこそ、野外劇場その他の施設が加わり、総合的なワークショップや演劇の祭典の場として定着した利賀だが、最初は何しろ利賀山房しか無かったのだ。我々は、ただ早稲小を見るという事だけの為に、列車を乗り継ぎ、蛇行する山道をバスに揺られ、合掌造りの家と田畑しかない過疎村の民宿に宿泊したのである。鈴木氏は、自著の中で、地方の演劇愛好者が、東京限定(或いは都市部のみ)の舞台を観る為に上京するというのは、良くある話なのだから、都市の人間が地方に限定された舞台を観る事があり得ても良い筈で、むしろ純粋な観劇行動であるのではないか……というような事を書かれていたと思う(ゴメンナサイ、忙しくて何の本の何という文章だったか確認する暇がない)。最初は危惧され、批判も浴びた早稲田から利賀への移転は、大きな賭だっただろうが、鈴木忠志と『早稲田小劇場』はその賭に勝ったのである。東京やその他の都市へ、観劇のために密航(プロレス・ファンの間では、他地域の会場に観戦に赴く事をこう呼ぶ)した場合、芝居を観る事以外にも、遊びに行く場所や買い物に行きたい所があるだろう。しかし、82年に第一回世界演劇祭が開催される前は、本当に利賀山房で早稲小を観る事以外には、何の目的もなかったのだ。昨今のような、複数の劇団が集う演劇のお祭りではなく、純粋に早稲小を観たいという、ただ一つの目的の為の不思議な時間と空間だった。コーヒーを飲める場所すら無かったしね……最初の世界演劇祭では、日本代表として、早稲小、桟敷、転形劇場と、当時、私的には五指に入る好きな劇団が三つも集まった他、カントールやボブ・ウイルソン等、二度と観られないと思えるような、前衛劇の雄が集まり、私はその全作品を観る為に利賀に滞在した。豪雨の中で上演された早稲小の『トロイアの女』を観られた事も含め、私にとって貴重な財産であると同時に、至福の2週間ではあったのだが、村興しの一つとして演劇を受け入れた利賀村の受け入れ態勢を含め、何か醒めてしまう部分があった。そして、草月ホールやその他の劇場よりも、早稲小は利賀で観た舞台が一番面白かったという事を付け加えておく。

 やがて、日本経済がバブル景気を迎えるのと同時進行で、小劇場バブルがやって来た。演劇界では、野田秀樹氏と『夢の遊眠社』の快進撃を皮切りに、小劇場の大劇場進出が出世の条件として当然の常識となって行く。私は個人的にアホ臭い話としか思っていないのだが、『小劇場双六』という言葉が存在し、『タイニィ・アリス』や『シアター・グリーン』を振り出しに、『ザ・スズナリ』を経て、『紀伊国屋ホール』でアガリなのだそうだ。小学館発行の季刊誌『せりふの時代』では、この件を本気になって特集している訳だが、小劇場を出自とする演劇界の中心勢力が、小劇場バブルの中で『小劇場双六』のアガリを目指し、その価値観で頂点に昇った、例えば横内謙介氏と『扉座』のような感性によって占められているという事と、演劇ファンのニーズが、その価値観に沿って進行している事を示している。

 遊眠社は、拠点としていた駒場小劇場(東大、駒場キャンバスの旧学食を改装したフリースペース)から、『旧・シアター・モリエール』、『紀伊国屋ホール』と収容人数を拡大して行くのに連れて、段階的に整理券制から指定席に移行して行った。泥絵の具を塗ったくった張りぼてのような装置は、やがて朝倉摂氏のプランによる、専門業社に発注されたセットに変わり、新劇や商業演劇の感覚に近づいて行った。それは、劇団戦略の一つとして、当時『青年座』に在籍していた演出家、篠崎光正氏を演出に迎えた事に端を発する、新劇系ノウハウの導入を出発点として、商品としての演劇スタイルが確立して行く過程として私の記憶に残っている。エンターテインメントとしての練度が高まり、上杉祥三氏のように、『青年座研究所』出身といった新劇的訓練を経た俳優が加わるにつれ、完成度の向上と反比例して、『状況劇場』的ないかがわしい魅力は半減していった。これは、私の個人的な印象に過ぎないが、私は、プロなら絶対にやらないようないかがわしさを孕んだ野田氏の舞台が好きだった。それは、慣れと驕りから自由な舞台に他ならないからだ。

 『夢の遊眠社』、更には今日の『NODA・MAP』の演劇界征圧から今日に至る小劇場双六的な価値観は、未だに表現者、観客の双方にとって支配的であると感じる。我々、『演劇実験室∴紅王国』のアンケートでも、「もっと大きな劇場に移ったら?」というお言葉を頂くし、同業者の中にも「大きな空間の方が……」という声が大きい。勿論、大きな空間でやりたい事が無いわけではないが、小空間にあえて拘る事を私は選択した。その理由は、平田オリザ氏と『青年団』が、『現代口語演劇』というジャンルの為に、劇場の大きさを限定するのと同じ部分と違う部分がある。しかし、今日的な『お客さん』達の感覚では、舞台と収容人員が共に巨大化して行く事が、劇団の成長とイコールとする考え方が主流なのだ。そして、その中には、坐り心地の良い椅子や、清潔なロビーと化粧室、至れり尽くせりの接待といった、サービスの向上が期待されている。これも、恐らく、バブルと同時進行で進んだ『小劇場双六』的価値観と不可分なものだ。

 テント劇場系の遺伝子を持つ芝居では、未だに『ドッコイショ』が日常的に行われるし、例えば『状況劇場』の千秋楽では、「あと10センチ詰めて……」では無く、「10センチあれば坐れます!」という恫喝に近い口調の誘導がされていたが、大半の観客は、それもそうしたジャンルの劇に付き物の光景として、或いは観劇体験の一部として受け入れていた。しかし、演劇にサービス業的な快適さを求める人達にとっては、許し難い乱暴な扱いだという事になるだろう。しかし、至れり尽くせりのサービスの中で、お行儀良く鑑賞する『唐組』や『新宿梁山泊』というのも、何やら想像し難い光景だ。

 結局、こうした問題は、それぞれの劇団や製作体が、誘導や接待、更には最寄り駅から劇場に到達する過程といった部分を含めて、鑑賞者の観劇体験をトータルデザインし、根気よく納得して貰う努力を続けるしか無いのだろう。本当にお芝居の好きな人達というのは、それぞれの劇団や劇そのもののスタイルに合わせ、柔軟に適応してくれるものである。接客トラブルの元になっているのは大概の場合、浦崎氏の指摘したような「顔出ししたアリバイ作りの義務客」であるように思える。そういう人達の落としてくれる入場料も、貴重な収入源には違い無いのだが……

 当然の話だが、芝居を打つ側は、誰だってお客さんには気持ちよく芝居を観て欲しいと思っている。ただ、その気持ちよさは、劇その物をどうデザインするかによって異なる。『天井桟敷』の開場同時開演システムも、『状況劇場』のドッコイショも、それぞれの芝居の雰囲気に没入する要素だが、「小屋に入って席をとったら、ゆっくり出来る時間が欲しい」というお客さんの要求には応えられない。「お客様は神様です」と言って、サービスに対する要求を全部呑んでいたらきりがない。同じ回の公演で回収したアンケートにも、「暑い」という声と「寒い」という声が混在するのは良くある話……「途中でトイレに行けるように客席を明るくして欲しい」なんて声まである。嘘のようだがホントの話。

 そして、何でもお客さん=お金を払った人の言うとおりにという発想は、何処かで演劇の発想力に制限を加えてしまう危険がある。演劇には客商売という側面、サービス業の側面も確かに存在する。しかし、演劇の歴史は、貨幣制度の成立よりも早く、「お金を払う人と貰う人」という関係は、演劇の本質でも根元でも無い。その事を自覚的に認識した上で、『お客さん』との関係を考えて行かないと、表現者と観客という関係を見失う事になる。資本主義と貨幣制度による疎外は、軍隊的階級制度による疎外に次いで、演劇を不幸にしていると私は思う。「興業となった段階で芸術としての演劇は滅んだ」というのは寺山さんの言葉だが、アンケートに従って芝居の中身を変えて行くという良くある行為は、劇集団が迷走してしまう元凶だ。

 自戒の意味を込めて、私は「二枚目のレコードにはなりたくない」と良く話す。それは、70年代に、英国と米国のヒットチャートの比較で、音楽業界で問題になった分析を元にしている。レコード一枚の販売価格が、アメリカは日本や英国よりも安く(実際、米国からの輸入盤は、関税がついていたにも関わらず、国内版よりも安かった)、同じ金額で複数のレコードを買う事が出来る。従って、チャートのトップとなるアルバムは、どうしても欲しい一枚ではなく、ついでに聞いてみようという二枚目や三枚目のレコードになる……というものだ。販売実数だけで見ると、トップの作品は、当たり障りのない没個性的なものになる。唯一無二の一枚であること……それが演劇実験室∴紅王国の方針と戦略である。

 ここで、最初の問題に戻るが、私は、開演時刻に遅刻するという事のリスクは、お客さん自身に背負って貰うしか無いと思っている。たとえ指定券を買っていようと、発車時間を過ぎれば新幹線も飛行機も出てしまう。それと同じ理屈だ。次回公演『水神抄』のチラシとダイレクトメールには、その辺りのルールを諄いほど詳細に明記した。何やらPL法の注意書きのようになってしまったが、それが興業を打つ側の誠意と責任だと感じたからだ。そして、我々は、ルールとマナーをきちんと守ってくれるお客さんを大事にして行きたい。

 そういう訳で、御予約と受付はお早めにね(^^;;;

2001,4,20〜22