野中友博の
『邪教の館』

《11》窒息の予感



 予測された事態ではあったが、それが現実に起こってしまうと、どうにもやるかたない気分になってしまう事がある。加藤紘一氏の乱の影で、少年法の改正が、議論不充分のまま成立してしまった事に続く、深作欣二監督作品『バトル・ロワイアル』に対する永田町の一連の反応は、この国がどうしようもなく息苦しい管理社会に向かって行こうとしている事を如実に示した。

 事は11月17日の衆議院文教委員会で、民主党の石井紘基代議士が青少年に悪影響を与える有害映画として、同作を取り上げた事を発端とする。社会的に悪影響を与える映画に対しては、処罰規定の無い映倫の自主規制には任せておけないから、政府が判断をすべきではないかと、当時の大島文相に見解を求めたが、この時点では石井代議士も大島前文相も件の映画を観ておらず、同月28日に、国会議員、PTA関係者等を集めた特別試写が行われ、深作監督と石井代議氏らによる懇談が行われた。議員達からの「こんな映画を見せられた子供達が、まともに育つ訳は無い」とか、「親御さん達から、上映禁止にして貰えないのかという声がある」といった発言に対して、深作監督が「貴方達は青少年をまるで信頼していない」と反論するという形で、議論は平行線を辿ったようだ。

 筆者がこの件を知ったのは、この時点での報道による物だ。『バトル・ロワイアル』は、映倫からR―15という中学生以下の観賞を制限する指定を受けているが、その後、同作が青少年に対して、また社会的に悪影響を与えるという認識に基づき、12月12日、15歳以下の入場制限を徹底するようにという異例の通達を、町村信孝文相が配給元、上映館等々に行い、今日に至っている。石井代議士は、表現規制の為の第三者機関を作る為の法案を、年明けの通常国会に提出する方針だという事で、本誌が店頭に並んでいる頃には、何らかの新たな動きがあるかも知れない。

 観てもいない映画を有害作品として取り上げるという始まり方からして、既に疑問符が付くのだが、作品その物に対しても、退屈であるとか、つまらないといった類の中傷が試写後の懇談で浴びせられた。本稿執筆時点では一般公開を迎えておらず、試写も観ていない筆者は、この作品の内容を論評する事は出来ない。しかし、主観的な判断による作品の善し悪しが、上映の禁止や制限の根拠になるというような事態は、許されるべき事ではない。舞台を活動の場とする我々としても、対岸の火事と高みの見物を決め込む訳には行かないだろう。だが、筆者の憂いはまた別の処にある。

 『バトル・ロワイアル』を有害映画とする文教委での指摘から、異例の文相通達に至る一連の流れは、それを規制しようとする、或いは規制する権力を持つ側に立つ人々の、様々な不信感を背景に成り立っている。第一には、映倫という自主規制機関に対する不信、更には表現活動、営利活動両面での日本映画界に対する不信感がある。同作が、真実、劣悪有害な作品であるなら、映像だけでなく、我らが舞台、文学、コミックといった表現の中で淘汰されてしまう筈であるが、そのこと自体が否定されるとすれば、あらゆる表現メディアが否定された事に等しい。そして、最大の不信感は、深作監督の指摘どおり、青少年、若年層への不信感である。

「我々大人は、貴方達青少年に物事の善悪を判断する能力も、自制心もなく、この映画を観て悪影響を受け、反社会的な行動に出てしまうと判断します。また、年齢を偽って映画館に入場する可能性が大であると判断し、監視を強化します。つまり、私達は、貴方達を信用しません」

 権力者が、今回の行動を通して若者達に発信したメッセージとは、要約すればこのような事になるだろう。上映禁止を求める親達も同様で、これまで子供達に、情緒的にも倫理的にも充分な教育をして来なかった事を告白し、今後もそうした責任を放棄するので、一切の管理を国家権力に委ねると宣言したようなものだ。

 人は、自分に向けられた不信感に対しては、恐らく明文化された形ではなく、むしろ触覚的、感覚的に、或いは直感的に気付くものだ。明文化できない分だけ、そうしたストレスは鬱積した物となり、何かのきっかけで突発的に爆発してしまう。物事は、より危険で不健全な状態に向かって行くだろうと予想される。

 連日の永田町の茶番劇を見せ続けられる方が、よほど青少年に悪影響を与える……というのは、ある映画評論家の弁であるが、結局、それらの茶番を繰り返す政治家を信認してしまったのは、選挙権を持つ我々国民である。そして、今回の事態の火付け役である石井紘基代議士は、私の住む選挙区から立候補した人なのだ。同党には、石井代議士の行動に異を唱える中村哲治代議士のような人もいるのだが、どうしたものか……一票の重みという物を、改めて再認識した次第である。

 いずれにしろ、このような機会に発言の場を持てた事を、今回ほど感謝したことは無い。

 サンキュー、テアトロ!

2000.12.14(『テアトロ』2001年二月号)