野中友博の
『邪教の館』

《10》演劇とオカルト(2)



 前回述べたように、近代儀式魔術とは、ドラッグ抜きで仮想現実に意識をトリップさせるという、演劇的な遊びである。オカルトが近代化して行くその過程で、自己、或いは他者に暗示をかける方法論が、心理学等の導入によって論理的にも経験的にも蓄積されて来た。現代のオカルティストが超常現象等に対して醒めた目を持っている事の一因には、そうした論理的な裏付けがある訳だが、同時に、もう一方で、ドップリとオカルトに浸り、実人生を台無しにしてしまった先人達の教訓というものもあるからだ。

 また一方で、自己暗示や精神的ストレスから引き起こされる幻覚を、超自然的存在の啓示と錯覚して教祖様になってしまう人や、思考を中断してある種の権威に頼りたい為に、進んでカルト教団の信者になってしまう人は、現在でも後を絶たない。一種のビジネスとして宗教やオカルトを利用しようとする人達にとっては、オカルトの近代化によって蓄積された暗示の技術は伝家の宝刀とでも言うべきものだ。暗示の技術とは、マインド・コントロールの技術に他ならないからである。

 ある種の巨大なカルトが成立する背景には、自己暗示によって自我のインフレーションを起こしてしまった教祖様と、そのシンパ達を組織的に拡大しようとする策士集団の結びつきがある。組織化を図る人々もまた同様に暗示にかかっている場合は、あまりにも社会常識からかけ離れすぎる為に、かえってボロを出しやすい。オウム真理教のケース等はその例だ。だが、一見、合理的な論理に裏付けられているように見えるネットワークこそ、遥かに危険なカルトになりうる。

 巷に溢れる自己啓発セミナーやマルチまがい商法は全て、カルト教団と同様の組織論で運営されている。確信に満ちたカリスマ的指導者と、疑う事を知らない末端の構成員、そして合宿などの隔離された状況で行われる研修という名の洗脳……別にシヴァ神だの天声だのが介在する必要は無い。貨幣や理想的人間関係という幻想は、現代人にとっては神々と同等の権威だからである。そして、会員が会員を勧誘し、鼠算式に組織が拡大し、最後には破綻するという事を繰り返す。これまで、幾度と無く摘発や訴訟、マスコミによる糾弾が繰り返されて来たにも関わらず、この手の商売は廃れる事が無いらしい。

 そして、これらのマルチ商法、セミナー商法の仕掛人達は、かなり特定少数のグループに限られるらしいのである。彼ら曰く「どこかから一人キ○ガイ(カリスマ)を見付けてくれば、それにつられる数百人の馬鹿はいくらでもいますから」という事らしい。彼らは、そうやって組織を立ち上げ、初期会員として甘い汁を吸った後に、頃合いを見て退会してしまう。その後、組織は破綻して行く訳だが、その頃には仕掛人達は新たな御神輿(カリスマ)を担いで、新たな組織を立ち上げているという事を繰り返しているのだそうだ。かほどに人とは自ら洗脳されたがる存在なのか?

 そしてまた、巨大なカリスマと思考を放棄した構成員という構造は、一部の小劇場等の演劇現場でも見られる光景である。それは、演劇という行為そのものの魔術的な構造と、全く無関係だとは言い切れない部分がある。

 前回、俳優は巫女的な才能に溢れた存在であり、演出家と俳優の関係は審神者と巫女の関係に近いと書いた。いわゆる霊媒体質を持っている人々は、側頭葉や松果体といった地磁気や脳内物質の分泌に関わる部位が鋭敏であるというような学説が出始めている。俳優能力と脳の構造にどれほどの関係があるのかは、専門家の研究を待たねばならないが、いずれにしろ、役になりきるとか、物語を構築するとか、視覚的に舞台をイメージするといった仕事を常とする演劇関係者達が、ある種の暗示にかかりやすい人のグループに属する事は確かな事だろう。

 別にそのせいかどうかは分からないが、劇団ぐるみでマルチ商法に手を出した事が元で解散してしまったという小劇場を、私も幾つか知っている。とある芝居で知り合った俳優に「会って貰いたい人が居るから」というのでついて行ったら、マルチ商法の説明会だったという事もあった。いずれも十年程前の事で、それらをきっかけに、私はかなり重度の鬱病に罹った。九十年代の前半、演劇からリタイアしていたのは、実はその為だったのである。まあ、彼らにして見れば、マルチ商法で稽古場を建てようなどと、本気で言っていたので、暗示が云々以前に、ただの馬鹿だったという話もあるのだが、その人達の一部も無事に演劇復帰をしたようだ。彼らは、膨大な借金を膨らませながら無謀とも言える旅公演を続けている。

 「二十四時間芝居の事だけを考えていられるんですよ!」

 セミナーの勧誘その物の口調で、私は旅への同行を誘われた。私の断ったその旅公演後、その劇団は座長を除く全員が辞めてしまった。歴史は繰り返す……自分の頭できちんと物事を考えない限り……

2000.11.14(『テアトロ』2001年一月号)