野中友博の
『邪教の館』

《1》魂、売りますか?



 昨年、某劇団のパンフレットに折り込まれていたチラシの中に、驚愕する物を発見した。大部分を占める公演の宣材に混じる俳優教室の案内や、オーディションの告知……私が目にした件のチラシもその手の物には違いないのだが、それは「業界での身の処し方教えます」という内容だった。曰く、才能に恵まれ、地道な訓練を続けていても、プロデューサーやスポンサーとの付き合い方を知らぬが故に、成功できないアナタのために、私達がそれを教えてあげましょう……と、言うのである。

 世の中には、社内での部下や上司、同僚との付き合い方や、御近所付き合いの方法を学ぶためのカルチャー・スクールもあるらしいから、それに類する物が、演劇界や芸能界に出現しても、別段驚くには当たらないだろう。一般社会がそうであるように、この業界も禁忌や慣習、暗黙の了解等に満ちた前近代的な世界だからだ。

 例えば、劇団に入ったばかりの若手俳優が、先輩俳優から、下着の洗濯を命じられ、「私はパンツを洗う為に劇団に入った訳じゃありません!」と本当の事を言って顰蹙を買い、「俺達も新人の頃はそうやって来たんだよ。ふざけんな!」と、罵倒されるという良くある光景……洗濯を「お茶汲み」に換え、劇団を「会社」という言葉に換えれば、今やセクシャル・ハラスメントの一つとして問題になっている、一般企業の光景と、何ら変わらない事が判る。

 パンツを洗う為に劇団に入る俳優は居ない。当たり前だ。パンツを洗う為に劇団に入って来る者が居るとすれば、それは俳優や俳優志願者ではなく、単なるグルーピーである。そして、率先して先輩のパンツを洗うという行為と、舞台上の俳優の演技力には、直接の因果関係があるとは思えない。何かの意味があるとすれば、「年功序列に基づく、劇団(或いは演劇界)の権力構造、その秩序を守る為」だとしか考えられない。それ以前に、「自分達はそのようにやって来た」という以外に、先輩俳優が新人に激怒する根拠は、おそらく無い。

 制度化された階級組織を改革する事は難しい。慣習としての年功序列に異を唱える為には、その組織で、それなりの地位に昇らなければならない。そして、何年か掛かりでその制度に反論したところで、その体制に変更が加えられる可能性は、限りなくゼロに近い。何より、そのやり方で数十年も上手くやって来た集団にとっては、余計なお世話でしか無いだろう。余程の馬鹿か鈍感で無ければ、論理的に、或いは直感的にその事が解るので、「私はパンツを洗う為に……」といった新人の発言がなされる事も滅多にない。その慣習を受け入れ、パンツを洗って貰う階級に昇るのを待つか、黙ってその集団を去るかのいずれかである。斯くして、その集団はますます保守化して行く。

 劇団を維持する為の権力構造と、演劇を遂行する為の権力構造とは、明らかにそのベクトルが異なる。この点については、多くの人が幾度も語っているので、詳述はしない。問題は、劇団、或いは業界の秩序を維持する為の慣習が、演劇に不可欠な物であるという思い込みが、未だに多くの人々の中に存在しているという事である。

 大手の劇団が入団一年目の研究生(或いは準劇団員)に用意する研修期間の目的の一つは、その権力構造への同化、もしくは適応である。この「制度化された階級組織への順応期間」という物が、紛う事無い「洗脳とイニシエーション」である事はウォルフレンの指摘を待つまでも無い。「これが常識、当たり前だ」と言って思考を停止させる事……それは、宗教、信仰といった精神構造と何ら差異は無い。
 演劇の現場に、絶対民主主義が実現されるべきだ等という事を主張するつもりは毛頭無いし、そんな事は不可能なだけで無くナンセンスだ。ただ、無くても一向に構わない慣習の中には、演劇にとって明らかに有害であるばかりか、人道的に許されない事も多いので、それを少しは真面目に考えても良いのではないかと思うのである。

 制度化されたヒエラルキー、階層社会の中では、上位者に対する媚びや阿り、依存と言った体質を、完全に排除する事は不可能だ。それを排除出来る程の自律性が、集団の構成員に備わっているなら、そもそもヒエラルキー自体が不要な物である。そのような状況で伝授される業界処世術とは、結局のところ、礼儀作法指南というよりは、所謂「お利口な立ち回り方」に終始してしまう事が目に見えている。
 前述した「業界処世術指南」のようなセミナー(!)は、舞台よりも、むしろ映像分野の志望者に向けられているだろう。しかし、俳優に限らず、活動の場を舞台だけに限定する人は少ない。映像と舞台の世界は、量的な差異はあるにしろ、質的には同様の病巣を抱えている。
 その最たる物は、業界に横行するセクシャル・ハラスメントだが、肝心な所で紙数が尽きた。と言う訳で、この根深く、腹立たしく、複雑な話は次回に続く。

2000.2.14(『テアトロ』2000年四月号)