LABORATORY OF THEATER PLAY CRIMSON KINGDOM

不死病2006 公演記録

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不死病2006−表  不死病2006−裏


第拾壱召喚式  不死病2006

フジノヤマイ2006

ACQUIRED IMMORTAL SYNDOROME 2006

【時】 2006年3月1日(水)〜3月5日(日)

【所】 中野・ザ・ポケット


【スタッフ】
作・演出…野中友博/音楽…寺田英一/照明…中川隆一/美術…松木淳三郎(ART PINE)/
音響…青木タクヘイ(STAGE OFFICE)/殺陣指導…山田直樹(座◎葉隠)/
照明操作…吉田裕美/音響操作…岡村崇梓 (STAGE OFFICE)
衣裳…橙姫/衣裳協力…高野宏之/文芸部…犬塚浩毅
宣伝美術…KIRA/写真提供…〈人形〉大野季楽・〈撮影〉氷栗優/
演出助手…鈴木淳/舞台監督…小野貴巳(Jet Stream)/制作…菊池廣

【キャスト】
御嶽奈緒美…北島佐和子/御嶽瑠都…駒田忍/御嶽猪作…野口聖員(劇団フライングステージ)/
甲斐…田谷淳(木山事務所)/瀬戸…松本淳市(スパンドレル/レンジ)/袴田十三…佐々木べん/
円居美奈…鰍沢ゆき/御嶽栄作…小林達雄/
那由多…堀川りょう(アズリードカンパニー)/千歳…円谷奈々子(劇団前方公演墳)/刹那…松岡規子/
吸血姫…遠藤紀子(NICEAGE)

【MUSIC CREW】
寺田宏 (guitars, synthesizers & percussions)/井上佳紀 (basses)/
八尋修 (drums & percussions)/小西弘人(percussions)

【概略・備考】
 1999年に初演され、テアトロ誌上で年間ベストワンにもピックアップされた第参召喚式『不死病』の再演。
 紅王国としては、初めての再演であり、公演の規模、経費なども含めて、それまでの全公演中最大級の大規模公演であった。千歳役の円谷奈々子、瀬戸役の松本淳市を除いて、キャストは初演時から一新、唯一、紅王国全作に出演している鰍沢ゆきは、初演時の奈緒美に変わって修道女・円居美奈を演じ、一方の奈緒美役は、初演時不参加であった北島佐和子が演じている。紅王によれば、「これが当初のイメージキャストである」とのこと。また、他劇団に紅王の書き下ろした作品に二度出演していた有名声優・堀川りょうが那由多役で待望の紅王国出演を果たした。
 また、『火學お七』以来、音楽担当から遠ざかっていた寺田英一が音楽に復帰。再演ながら全編新録音のリライト、リアレンジが施され、久しぶりの紅王国的音楽世界を現出している。
 吸血鬼の伝搬をエイズのメタファーとして描くという骨格はそのままに、単なる難病物ではなく、人類的な視野にまで作品の世界観がスケールアップし、尚かつ分かり易かったという評価と共に、紅王国のコアなエッセンスは薄れたのではないかという反響もあった。実質的に劇団体制からプロデュースユニットへの過渡期の作品であり、紅王国全史の中で大きな節目となった作品である。
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【チラシ文】

永劫の孤独

 『不死病』は孤独の物語である。それは題名の如く、永劫の時を生きる不死者、吸血鬼の孤独の物語であると同時に、病者の孤独を描こうとした物語でもあるのだ。
 吸血鬼はそもそも伝染病のメタファーであると言われるが、吸血鬼の伝染がやはり病であるとすれば、それは血の病であり、尚かつ愛の病であり、そして不治の病でもある。幼い頃に見た『吸血鬼ドラキュラ』の映画は、本当に怖いと思ったけれども、それは吸血鬼の毒牙にかかった犠牲者自身もまた、死によってしか魂を救済される事のない吸血鬼となり、胸に杭を打たれて滅ぼされる存在になってしまうという事だった。これは伝染病への恐怖に他ならないし、病者に対する偏見と恐怖もまた象徴しているように思われた。
 病者の孤独とは、おそらく病によってもたらされる死の恐怖という物とは異なるだろうと思っている。私も幾つかの持病を抱えているし、人一倍生への執着も強いので、勿論、死への恐怖という物はあるに違いないと思う。だがむしろ、その病を患っているが故の、他者からの恐れと偏見、同情、無知と無関心、それらと闘いながら、病と共に生きて行くという事にこそ病者の孤独があるだろうと私は思う。孤独や恐怖は死に対してではなく、むしろ生の中にこそある。故に私は死ななくなる病気に罹った病者として吸血鬼の物語を綴った。それは私自身の恐怖と孤独を綴ったという事でもあるのだ。
 一九九〇年代に入って間もなく、私はAIDSを出発点とした劇を書きたいと漠然と考え始めたが、それが『不死病』という一つの作品に結実するまで、十年近い歳月を要した。初演から六年程を経た今も、不死者の孤独、病者の孤独は癒されていない。もう一度、その孤独と対峙したいと思う。
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【パンフレット文】

病者の闘い

 もう既にあちこちで語っている事だが、『不死病』という作品の出発点は、AIDS=エイズ、後天性免疫不全症候群という病と、その病に対する差別や偏見などの問題だった。どんな場合でもそうだが、差別や偏見の根底には、おそらく無知と無関心がある。
 エイズについて初めて耳にしたのは、今から二十数年前だが、その頃は、エイズは米国で流行っているホモセクシャル特有の病気であるという認識のされ方だったと記憶している。要するに、日本国内で、異性間としか性生活を営まないという大多数の日本人にとっては関係のない病であり、特別な人達の特別な病気として認識されていたのである。そして、この病が確認された時点での最初の発症者の多くが同性愛者であったことが、この疾患に対する偏見を決定づけたという部分はあるだろう。感染症に対する偏見と差別に、同性愛に対する偏見と差別が加わったからだ。

 ところが、日本国内のエイズ問題は、薬害という形で浮上した。輸入された非加熱の血液製剤を投与されていた血友病患者の方々の中から、HIVの感染者が急増し、それをカミングアウトして国家や医療機関の責任を問い始めたからだった。血友病自体が遺伝病として様々な差別や偏見の対象だったことを考えると、非加熱製剤によってHIVに感染してしまった方々の受けた苦難は想像に難くない。だが、ここで日本国内のエイズに対する差別と偏見は、もう一つの様相を帯びることになる。それは何かというと、薬害による感染は同情に値するけれども、同性間、異性間の性的接触による感染は自業自得ではないか、というまた新たな差別と偏見である。

 エイズという疾患は、血の病であると同時にSTD=性行為感染症である。感染の経路や罹患率などはB型肝炎などに近い。例えば、B型肝炎などは、ツベルクリン検査のような注射器の回しうちによって多くのキャリアーを国内に作ったが、同様のリスクが麻薬の回しうちで生じたり、不特定多数の性的交渉がB型肝炎やHIV感染のリスクを高めるという事も確かであるから、麻薬の常用や乱交という不道徳と見なされている行為がエイズの原因と見なされるということがあって、つまりはエイズを単なる不治の病ではなく、不道徳な病気であるかのような認識を生むのだろうと思う。同じ不治の病と言っても、癌だったら気の毒に思うけれどもエイズには思わない、また、同じエイズでも薬害の感染者には同情するけれども、性的接触であるなら自業自得だ……そんな偏見を生むのではないかと思う。そして、そのような声は、実際に、エイズ問題を取り上げた特番などでも視聴者から寄せられていたのだった。この「自業自得」という言い様こそ、私の突破したい偏見であった。かなり初期にHIV感染をカミングアウトした薬害被害者の方(川田龍平君ではない。もっと年配の方だったが御名前は失念した)が番組中で言っておられたが、感染の経路によって病者の区別がある訳ではないのだ、そこには病と闘う病者が居るという事だけがあるのだと仰った。その言葉は私の胸を打った。その想いが、私に『不死病』という戯曲を書かせ、今また再演をするという行為を突き動かしているのだと思う。

 それらの想いは、全て、このお芝居の中にこめたと思っている。だから、本来なら、このようにパンフレットに書き加えることなどは何もないと思っている。補完的に語る事があるとすれば、例えば登場人物の役名について、通称ジュウサンと呼ばれる袴田十三はジョナサン・ハーカー、修道女の円井美奈はミナ・マリーという、プラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の主要登場人物からとっているとか、そういう裏話は幾らでもある訳だけれども、それは分かる人が分かって「ニヤッ」としてくれれば良いのかなあと思う。他にも、役名については一応の根拠や出典があるので、ニヤニヤ出来る人はニヤニヤして下さい。

 医学の進歩は著しい。だが、インフルエンザの特効薬がいつまでたっても生まれないという事実は厳然としてある。そして、人間が人間に対して抱く恐れや差別や偏見……それが克服される時はいつ来るのだろうかと思う。決して見られぬかも知れない、その未来を信じたいと思う。
紅王
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【劇評等】

(工事中)

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【舞台写真館】

(撮影=菊池友成)

 

 

 

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