工房着:午前9時25分 作業開始:午前9時30分−作業終了:午後5時15分
工房の気温:21度
今日はワイフの小学校の時の担任(3・5・6年時)だった『Y先生』が工房に来られます。ワイフは勿論、熊公もワクワクしてこの日を迎えました。ところが、朝起きた時ワイフが持病の『目眩』を訴えました・・・。中止にすること考えましたが、ワイフは「『Y先生』は工房に来ることをもの凄く楽しみにして、やっとそれが実現するのだから中止にしないで・・・」 と、決行することに決まりました。勿論ワイフは自宅で養生することになりました。「それでは先生に君が同伴出来ないこと伝えたら・・・」 、と話したら、「伝えたら『Y先生』はきっと工房訪問を辞退すると思うし、あなたは今までに会って話したこともあるのだから一人で大丈夫・・・」 と、ワイフが来れないことをお伝えせずに熊公一人で行くことになりました。ワイフは目眩して居る中、自分が予定していたコーヒーをドリップした物を熊公に持たせてくれました。
少し早めに工房へ到着するようにして、着いたらすぐに柚子を収穫しました。上手い具合に黄色くなった柚子が6個ほど収穫出来ました。3個は自宅へ、残り3個は先生へのお土産にすることにしました。その後は机と床を拭いて先生を待つことにしました。昨日掃除したのにもう汚くなっていました。┓(´_`)┏
3日前から先生へのお土産の目玉として 150年前に大阪−神戸間に敷設され、その後『三越大阪店』の基礎柱に使用されていた双頭レールの輪切りを説明加えて準備しました。
今年初収穫した柚子6個 『Y先生』へのお土産双頭レールの資料
この双頭レールは英国 ダーリントン アイアン社が1870年に製作した錬鉄製のレールです。断面には錬鉄の模様も見え、その脆さを示すヒビも入っている物です。
『Y先生』は10時20分頃に来られました。お会いしてワイフのことを伝えたら本当にビックリして心配して下さいました。熊公は『Y先生』にお会いするのは3回目、先生はフレンドリーな方で緊張することはまったくありませんでした。
昨日綺麗に掃除した休憩室にご案内してご挨拶、そしてまずは刀の話となりました。先生は今夕、蕨市で居合いの稽古と日本刀の勉強会があるということで、今日は日本刀を3振り持って来ておられました。その刀を鑑賞しながら色々お話を聞きました。『Y先生』が居合いで使われている日本刀は600年も経過したものでした。チョット唸ってしまいました。3振りの鑑賞、説明を受けた後は熊公の『脇差』を見てもらいました。
『兼宗』は銘と姿形から美濃伝の古い物ということでした。熊公は関の資料館の孫六の継承図中の『兼宗』ではないかと考えていましたが、実際に見て頂き細かな点をチェックして頂いた結果、美濃伝の中でも古い刃紋や姿が見られるという事でした。おそらくは継承図中の『兼宗』の時期に符合する感じであることを伝えられました。刃紋や沸・匂い等色々説明して下さいました。そして、見て居て飽きない刃紋であると熊公も思って居る感想が伝えられました。自分の所持している刀をここまで詳しく見て説明して貰うのは初めての事、それが思って居た通りであったことは本当に嬉しい事でした。
この刀も先生の刀のように、570年くらい前の刀になります。その間に何人もの手に渡り、歴史の荒波を乗り越えて、現在は熊公が受け継いでいる訳です。そう考えると日本刀を所持する事は、この刀をずっと保存し続けて行かなければならないという責任・使命のようなものを感じます。
次に叔母から受け継いだ相州伝の『?廣』を見て頂きました。まず最初に刀の地金の様子などから相州伝に間違いが無いこと、刃紋の様子などから新刀−古刀の境辺りの刀で、おそらくは『寛文(1661〜1673)』頃の刀と考えられると説明して下さいました。この刀も350年くらい経過しているわけです。
刃紋の様子など色々説明して下さいました・・・。先生はやさしく説明して下さいましたが、熊公は半分くらいしか分からなかった感じです・・・。(;^_^A
また、目釘穴で判読出来ない『?』の部分、最初に入っていた刀袋に書かれていた文と昭和21年の認定の際の書類に『?』部分を『國』と読んでいることに興味を持たれ、文字を模写して持ち帰り調べて下さるという事になりました。
『日本刀』となれば玉鋼やタタラの事が・・・。そこで先生に玉鋼の欠片をプレゼントしました。早速、今日の居合いの稽古のあとの日本刀勉強会の際に資料としてみて貰うと喜んで貰いました。
『兼宗』を鑑賞される つなぎに着けた熊公の小柄の穂を鑑賞される
『?廣』を鑑賞される 熊公作の『打根』を鑑賞される
以前『Y先生』の日本刀鑑賞会にお呼ばれしてワイフと沢山の日本刀を鑑賞して感想を書いたことを思い出しました。熊公の所持している『脇差』、いつも見て居る刀ですが、こんなに深く鑑賞出来るのか!! と、とにかくビックリする一時でした。
最後に熊公が作った『打根』を見て頂きました。これもまた細かいところを見て頂きました。「これは販売出来るのでは?」 という嬉しい言葉を頂きました。また、ペーパーナイフにしている小柄の穂なども見て頂いた結果、「これは販売出来る」 と、鍛冶屋にとってはメチャクチャ嬉しい評価を得ることが出来ました。
刀の鑑賞のあとは鉄の話に・・・。そこで双頭レールを実際に見て頂きました。そして、その鑑賞後、用意しておいた『双頭レールの資料』をお渡ししたら、大喜びして下さいました。『錬鉄』という物がどんな物なのかをお話しして、反射炉などのことも話しました。
次に忍具を見て頂きました。先生は和光市の歴史等の勉強会をされています。和光市内には伊賀忍者の領地があったとかで、それらのことの勉強会で手裏剣打ちなどを企画したいようでした。その中で忍者としての熊公(鍛兵衛)に手裏剣打ちなどの指導を期待されている感じでした。
でも、鍛兵衛は駄目忍者、棒手裏剣もろくに打てない状態で、忍具製造を柔兵衛親方に命ぜられたことをお話ししました。手裏剣打ちの達人はいくらでも紹介出来る旨を伝えました・・・。
先生には『撒き菱』を一つ差し上げました。
時計は2時近くに成っていましたから、カレーショップへお昼を食べに行きました。桜並木の下を歩いているとなんと、ソメイヨシノに花が付いているのを見ました。今年の夏の暑さで狂い咲きしたようです・・・。
狂い咲きしたソメイヨシノ 先生に頂いた純鉄のプレート・和鉄の釘など
先生はカレーを「美味しい!!」 と言って食べて下さいました。良かった〜〜〜!! 食べて居るときの写真を撮り忘れて、熊公も夢中になって食べちゃいました・・・。公園をグルッと回るコースで工房に戻ってきました。今日は工事が入っていたので雉とは遭遇出来ませんでした。
工房に戻って作業室の機械や新年一番に作る三品、色々な治具類を見て頂き説明していきました。先生は「鍛冶作業の色々な事を文章にまとめて出した方が良い」 と話されました。確かにそういう部分も有るかと思っていますが、熊公に出来るかどうか・・・。スプリングハンマーの威力や鍛冶職人は3本目の手が欲しくなること等話しました。
作業室での説明のあと休憩室に戻り、今度は手元に置いてある焼入れの際にヒビが入ったりして研ぎまで掛けたもののそのままにしてある、本来、熊公が造っていた作品を見て頂きました。棟にヒビが入って没にした物、鍛接不良が出たものなどお見せしましたが、ヒビなんかは分からないと、没にしちゃうのがもったいないと言って下さいました。ちょっと嬉しかったです・・・。でも、作品にはしません・・・。
最後に先生は居合いの稽古に来ないかと誘って下さいました・・・。鍛兵衛(忍者として活動する際の熊公の名前)として武道として頑張っている事として『四半的』の稽古をしている話をしました。そうしたら先生もやってみたい感じで、次回工房に来られたとき、実際に弓を引くことになりました。
今日は先生に純鉄のプレート、和鉄の釘、ヤスキ鋼の板、刀の勉強会の資料、更にご自宅のお近くの農園で販売されているトマトと甲州ワイン(一升)をプレゼントに頂いちゃいました。ワインのプレゼントもメチャクチャ嬉しいですが、鉄関係のプレゼントはもっと嬉しいです・・・。
時計を見ると4時を廻っていました。鉄などの話をしているとまったく時間が頭から抜けてしまいます。先生も稽古があるので4時半頃に帰られました。
熊公も出した双頭レールや忍具等を片付けて帰路に着きました。途中、富士山の上に細い『二日月』が掛かっているのを見ました。カメラが手元にあったら撮影したのですが・・・。
今日はワイフと同伴出来なかったのは本当に残念でした。午前中に耳鼻科に行き診察して貰ってきていました。『良性頭位眩暈症』に『メニエル』が入っている感じと言うことで、新しく薬が処方されていました・・・。
『Y先生』とお会いしてお話しするのは今日で3回目でした。いつもワイフから話を聴いていますし、今日も緊張することなんかまったく有りませんでしたが、帰宅したらいつもとは違う疲れがあります・・・。ヒョッとすると明日『お疲れさん休み』にしちゃうかも知れないです・・・。また、ワイフを病院に連れて行くことになる可能性もあります・・・。お休みになる可能性大きい感じです。
18日はワイフのことを医師会病院まで連れて行ったりしてやはりお休みになっちゃいました。お昼頃に『Y先生』から電話を頂きました。そして、熊公の二振りの『脇差』を調べて下さった途中報告をして下さいました。
まず、『兼宗』ですが以前、熊公が調べたときと同じに2人兼宗を刻む刀工が居て、一人は応永年間(1394〜1427年)・もう一人は永享年間(1429〜1441年)の方です。昨日見て頂いた刀の姿や刃紋の様子から最初の兼宗と考えて良いようだと言うことでした。そうなると590年位経っている刀ということのようです。
赤字は読み易くなるように熊公が画像処理
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もう一振りの『?廣』の脇差ですが、相州伝の『○廣』を手掛かり
に探って下さった結果、『秋廣』ではないかということでした。この
銘を刻む刀工は何人か居るようで、どの代の刀かは今のところ分
かりませんが、初代の『秋廣』だとすると『正宗』の弟子になると言
うことです。
確かに『秋』と書いて、目釘穴に当たる●を書き込むと禾『ノ木偏』
の下側と『つくり』の火の右半分が左の写真のようになります。こ
の脇差は『秋廣』のような感じがします。
ほんの半日でここまで調べて下さるのはさすがに『Y先生』です。
手元にある二振りの脇差は本当に宝物として扱おうと思って居
ます。『秋廣』のボロボロの刀袋には『祖先傳來新藤家之重寶相
州住國廣腰刀』と書かれてあります。きっと代々大切にしてきた刀
なんだと思います。
刀を所持するということは現在の継承者として、次の継承者に
大切にバトンタッチ出来る義務があると感じています。 |
電話の様子から『Y先生』も昨日は楽しかったことが伝わってきました。次は『四半的』を楽しもうと思って居ます。今度はワイフも同伴して楽しい一日に出来たらと思って居ます。
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